2016年05月29日

2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』学問の復興 要約@
(3)ヘーゲル『哲学史』学問の復興 要約A
(4)ヘーゲル『哲学史』学問の復興 要約B
(5)ヘーゲル『哲学史』学問の復興 要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:古代の学問が復興されるようになったのはなぜか
(8)論点2:哲学本来の動向とはどのようなものか
(9)論点3:宗教改革の意義をどのように捉えるか
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、3年前のヘーゲル『歴史哲学』、一昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて、昨年からいよいよヘーゲル『哲学史』に挑戦してきています。今年末までかけてこの著作を通読することで、ヘーゲルの説く哲学史を理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた第一歩を確実に歩んでいくことを課題としているわけです。

 5月例会では、ヘーゲル『哲学史』の学問の復興を扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

京都弁証法認識論研究会 2016年5月例会

ヘーゲル『哲学史』 学問の復興

古代の研究
 ヘーゲルは、学問の復興の時代について、精神がようやくにして自己に立ち返り、超感覚世界にも自然にも自分が現実の自己意識として存在していることを認識しようという欲求を感じるに至った、という。これは要するに、人間が、神も自然も全て結局は自分のことなのではないか、と予感するに至った、ということであろう。人間は、他ならぬ自分こそが神々しい存在であり、その自分を抑えつけてきた教会の教えというのはおかしいのではないか、と考えるようになったのだ、というわけである。
 こうして、学問のなかに人間的なものを探し求めようとする姿勢が生れたとき、さしあたってそれは、古代ギリシャの哲学をそのまま復活させよう、という動向としてあらわれた、とヘーゲルはいう。

【報告者コメント】
 超感覚世界にも自然にも自分が現実の自己意識として存在している、というのは、ヘーゲル哲学の立場からの独特の表現であるが、非常に含蓄が深い。要するに、人間(=精神)が、神も自然も全ては自分自身のことである、と自覚することこそが、哲学の完成なのである。世界全体に自己意識が存在している、というのは観念論的表現であるが、これを唯物論的に表現しなおすと、自己意識に世界全体が存在している、ということになるであろう。すなわち、脳細胞に世界全体の体系的な像を描きだすこと、これが唯物論の立場からの哲学の完成なのである。観念論の立場からいうにせよ、唯物論の立場からいうにせよ、〈世界=自己〉という自覚(強烈な感情)が成立することこそが哲学(の大前提)である、ということができるであろう。

哲学本来の動向
 ヘーゲルは、古代哲学の穏やかな復活と並ぶもうひとつの傾向として、哲学本来の動向というべきものをあげる。これについて、非常に活力に満ちており、全体として大いに独創性が認められるものの、内容については玉石混交だと述べている。とはいえ、ヘーゲルは、精神の主観的エネルギー、正真正銘の偉大なものを求める驚異的な情熱をきちんと評価すべきである、と強調するのである。
 なかでも、ヘーゲルが高く評価するのは、ブルーノの哲学である。ヘーゲルは、ブルーノの哲学について、第一に、アリストテレスの概念を援用しながら世界全体を質料と形相という二大要因によって統一的に把握しようとしたこと、第二に、概念の体系(思考の論理体系)が、外的自然の形態ときちんと対応している様を示そうと努力したことを指摘するのである。

【報告者コメント】
 ここでは、何よりもまず、哲学本来の動向として「正真正銘の偉大なものを求める驚異的な情熱」が強調されていることを、しっかりと押さえておくべきであろう。旧秩序の解体という大激動の時代にあって、自分自身が納得できる形で世界の全てをつかみとりたい! という強烈な感情が芽生えたのだということである。こうした強烈な感情が根底になければ本来の哲学などできるわけがないのである。
 ヘーゲルによるブルーノ哲学への評価のポイント2点は、いうまでもなく、哲学の完成形態たる自己の哲学を基準にしたものであり、ヘーゲルの考える哲学とは如何なるものかをつかむ上で重要なヒントになる個所ではないだろうか。世界全体をひとつに繋がったものとして捉えること、世界全体を現象の世界と論理の世界との二重構造に分けつつ両者はきちんと対応したものであることを示すこと――この2点が大切だ、ということになるのではないだろうか。

宗教改革
 ヘーゲルは、宗教改革によって人間は彼岸から精神の現在へと呼び戻され、大地とその肉体たる人間の徳や共同体、自身の良心が価値あるものだとみなされるようになった、という。それまでは、人間は教会(司祭)の媒介なしに神とはつながりえない、とされていたのだが、宗教改革によって、人間は自己の内面的良心の領域において直接に神とつながっているのであり、聖霊は人間の心の内に住んで人間に働きかけてくるのだ、とされるようになったのである。人間が外部の権威に従うのではなく、自己の内面的良心に従って行動するようになったということは、精神の自由であり、主体性にほかならない、とヘーゲルは述べている。
 人間そのものが神々しい存在だとされるようになったことで、労働だとか結婚だとかいう人間の生活のあり方が、それ自体として肯定されるようになっていく。個の意志が何から何まで罪とみなされるわけではなくなったこと、このことによって、芸術(技術)や産業は活動の正当性を認められ、新たな活力を手にしたのだとヘーゲルはいう。

【報告者コメント】
 宗教改革とは、端的には、人間が神(=世界の本質)はほかならぬ自分自身のなかにある、自分の心は直接に神とつながっているのだ、という自覚に到達したことを意味するのであろう。これは、〈世界=自己〉という自覚を概念的に表現したものとしての哲学が成立する上で、確固とした土台が築かれたことを意味するのだといってよいであろう。
 各個人の意志について、ヘーゲルが、自己意志が万人に通用するような形式をもつとき、意志ははじめて正当性を認められる、と述べているのは重要である。個人の意志がそのまま肯定されるわけではなく、いわば高いレベルの「公平な観察者」となってはじめて(神的なもの、すなわち聖霊を住まわせるようになってはじめて)正当化されるのだ、ということであろう。人間が主体的に世界に対峙しうるようになるためには、そのような高いレベルの認識の発展が必要であった。その成果として、近代における(哲学にリードされた)学問の発展があり、(資本主義経済を土台とした)現実の国家の発展があった、ということになるのであろう。しかし、個それ自体の自由な活動が肯定されるあまり、全体としての統括ということが軽視された(というよりも、全体としての調和は個の自由な活動の結果、おのずから達成されるはずだ、という楽観的な見方が強かった)ために、経済(生産と消費の活動)は無政府状態的な混乱に陥ってしまい、哲学は個別科学に解消されていったというのが、現代の到達点ではないだろうか。個(個人、個別科学)の自由な活動を前提としつつ、全体としての統括をいかに取り戻していくのかということが、現実世界の国家においても、観念世界の国家たる学問においても、大きな課題として浮上してきているといえるのではないだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以上の報告に対して、まず、「古代の研究」の【報告者コメント】にある「脳細胞に世界全体の体系的な像を描きだす」という表現について意見が出ました。すなわち、ヘーゲルが観念論の立場から説いた「超感覚世界にも自然にも自分が現実の自己意識として存在している」という表現を唯物論の立場から捉え返した場合、「脳細胞に世界全体の体系的な像を描きだす」という表現になるのだとした報告者の見解に対して、この「世界全体の体系的な像」という表現には、生命の歴史、すなわち単なる物理的な運動が化学的な運動へ、さらには生命現象へと発展し、そこから単細胞生物が生まれ、諸々の進化を経て人間にまで至ったのだという生命の生成発展過程が含まれているのか、この表現だけではそこまでは表されているように思えないのだが、という意見でした。これに対して報告者は、そうしたことも含めてイメージしていたが、そこまで展開するとなると膨大な記述となるため、端的にこのように表現したのだと回答しました。その他、「哲学本来の動向」において、ブルーノの「世界の全てをつかみとりたい!」という情熱に関する記述があるが、これは戦後、思想家として活躍した吉本隆明さんの感情につながるものであること、「宗教改革」に関わる【報告者コメント】において、報告者が経済の無政府状態的な混乱や哲学の個別科学化に至った流れとして宗教改革を説いていることが素晴らしいと感じたことなどのコメントがありました。
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 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
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 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
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 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
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 ・一会員による『学城』第11号の感想
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 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
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 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
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 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
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 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
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 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
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 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2