2016年05月19日

比較言語学誕生の歴史的必然性を問う(1/5)

〈目次〉

(1)なぜ、言語研究史は比較言語学を媒介する必要があったのか
(2)比較言語学が誕生した直接的な契機は何か
(3)比較言語学が誕生した19世紀はどのような時代であったのか
(4)歴史の論理として比較言語学の誕生を捉えるとどうなるのか
(5)比較言語学は言語の過程的構造を人類が把握するために必然的な段階であった


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(1)なぜ、言語研究史は比較言語学を媒介する必要があったのか

 筆者はこれまで本ブログにおいて、言語が歴史的にどのように研究されてきたのかを明らかにすべく、諸々の論稿を掲載してきました。それはなぜかといえば、人間の人間たるゆえんである文化遺産の継承・発展、それに基づく自然の人間化、人間の自然化の過程を本質レベルで支えているものこそ言語であり、この言語に関わるあらゆる謎を解くことこそ、人類の発展にとって必要不可欠な作業であると考えているからです。人間が歴史性を持つ存在として地球環境を変革しつつ自らの生活を発展させることができてきたのは、過去の偉人の認識を保存し、未来に継承することができる言語、諸々の著作として残されてきた言語があったからこそであって、こうした言語に表された認識を受け取り、発展させていくことが人間の歴史の大きな側面なのです。この言語とはどういうものかに関して、学問的な解明をなすことこそ、筆者の人生を賭した目標であって、科学的な言語学体系を創出することによって、学問や文化の更なる発展の土台を創っていきたいということです。

 こうした思いから、まずは言語研究の歴史について考察していくこととしたわけです。具体的には、「文法家列伝」シリーズとして、「古代ギリシャ編」、「古代ローマ・中世編」、「『ポール・ロワイヤル文法』編」、「ジョン・ロック編」、「時枝誠記編」、「時枝誠記編(補論)」を執筆してきましたし、筆者が現在の言語研究の到達点と考えている三浦つとむの言語論に関わっては、その主著である『認識と言語の理論』の要約を掲載することも行ってきました。また、「三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う」と題して、言語を如何に捉えるべきかの視点も提示してきました。端的には、言語は表現(認識を物質化したもの)の一種であって、対象→認識→表現という過程的構造において捉えるべきものであること、言語は自分の認識を相手に伝えるためにこそ創出されるものであること、言語は頭の中にあるのではなくて音声や文字として現実の世界にあるものであること、他の表現と異なり、言語規範という社会的なルールに従って行う表現であること、などを明らかにしました。

 このような、言語研究の流れのそれぞれの「点」に焦点を当てて、その内容を深めていく試みと並行して、「言語過程説から言語学史を問う」と題した小論も執筆しました。いわば個々の言語研究という「点」を大きな流れとしての「線」として把握するとどのようになるのかを問うた論文でした。以下、この論文の概要を、現在の到達点も踏まえて概観しておきます。

 言語研究が始まった古代ギリシャにおいては、言語とそれが指し示す対象との関係が考察されました。言語の意味は、それが指し示す対象にあるとされたのです。また、言語が指し示す対象に応じて、品詞の分類も始まりました。名詞的要素と動詞的要素の区分から始まり、古代ギリシャの終わり頃には、8品詞に分類されるまでになりました。この分類は、経験的・直観的な意味の違い(ある語は物の名前を示しているが、別の語は遂行される活動を表している、など)に基づいてなされ、その方法で分類できないものに関しては、形式的な分類(屈折するかどうか、など)や統語的な分類(修飾する語か修飾される語か、など)で補完される形で行われました。

 こうした古代ギリシャの言語研究の成果は、続く古代ローマや中世にも大きな影響を与えました。当時支配的であったラテン語に関して、古代ギリシャで獲得された品詞分類などが適用され、ラテン語の研究が進んでいったのでした。また、中世期の言語研究の成果として、言語にはそれを表現する話者の心、認識が関係していることが直観的に把握されたことが挙げられます。文法は全ての言語で本質的に同一であり、言語間の表面の差異は偶然的な変化であるという普遍文法が追及され、そこでは世界の事物の存在様式を人間の精神が感知し、言語として表現するという人間に普遍的な様式が考えられていました。また、動詞の屈折形について、単に対象となる事物の運動を表すのみならず、話し手の心を反映していることも言及されていました。

 言語研究が古代ギリシャ以来の大きな進展を見せたのが、17世紀後半に登場したポール・ロワイヤル文法とロックの言語論においてでした。これらの言語論においては、語を認識のあり方に基づいて大きく二分し、さらにそれらの細目を分類するという立体的な品詞分類を行ったのでした。具体的には、ポール・ロワイヤル文法では「思考の対象を表す語」と「思考の形態や様式を表す語」、ロックにおいては「心の中の観念の名前である語」と「心が観念や命題に与える関係を表す語」という形で語の二大別を行ったのです。両者とも、認識のあり方と言語との関係を大雑把にでも掴んだために、実体や属性という、これまである程度解明されてきたといえる直接の対象がある語(名詞や動詞など)だけでなく、直接の対象があるわけではない語(前置詞や接続詞など)に関する鋭い分析が可能となったのでした。

 18世紀から19世紀にかけては、言語の起源に関する考察が活発になるとともに、比較言語学という新たな研究が盛んになってきます。これは、言語学の対象を人間の意志とは関わりのない音韻法則にまで還元するもので、例えば、インド・ヨーロッパ語族の共通基語がどのような音韻法則によって、現在のドイツ語やフランス語や英語などに変化していったのか、その法則性を追求する研究です。言語の音には変化の法則があるのであって、それを明らかにすることこそが言語学の目的であると考える研究方法です。19世紀の終わりには、音韻法則に例外なしと宣言する学派も登場してくるまでに、音韻法則の研究が進んでいきました。

 20世紀になると、フェルディナン・ド・ソシュールが現れ、19世紀の歴史的、通時的な言語学に対して、共時的言語学の重要性を指摘しました。言語は頭の中にある社会的な体系であって、この現に今ある言語の内的構造や一般規則を解明することが言語学の目的だとしたのでした。これに対して、日本に出た時枝誠記は、言語は表現主体が自分の心のありようを外部に表す過程であって、ソシュールのように言語を表現主体から切り離して社会的な事実だと捉えるのは誤りであると批判したのでした。時枝が究明しようとした対象は、あくまでも実際に人間が話したり聞いたり書いたり読んだりすることができる具体的な言語の表現過程(具体的事物が話者によって捉えられ、概念過程を経て一般化され、さらに発音行為によって外部に表出される過程)であって、耳や目で捉えられない頭の中にある社会的な体系ではなかったのです。

 以上のように言語が如何に研究されてきたのかを概観すると、あることに気づかされます。それは、言語の研究ははじめ、言語と対象とのつながりについての研究が中心であったが、中世期より徐々に言語と対象との間に認識が関係していることが見え始め、17世紀に至っては言語と対象とを媒介する認識のあり方に基づいて語の二大別がなされるまでになったこと、そして20世紀になるとその言語と対象とを媒介する認識に関して、ある社会的な約束事の体系が人間の認識に存在することがソシュールによって明らかにされ、また一方では、個々具体的な言語は、表現素材である具体的事物が認識において概念化され表出されるものであることが時枝によって示されるというように、人間の認識が言語と如何なる関係にあるのかが深く追及されていったこと、こうした言語と対象とを媒介する認識に関する把握の深化とは別に、19世紀には音韻法則という、一見こうした言語研究の発展からは逸脱するかのような研究が発展していったことです。端的には、言語と対象とのつながりの間に、人間の認識が介在することが見え始め、その人間の認識に関する研究の発展が言語研究の発展であったにも関わらず、その流れから外れるようにして発展していったのが比較言語学であったということです。

 そこで本稿では、言語研究の大きな流れにおいてなぜ比較言語学なるものが登場したのか、その歴史的必然性を考察していこうと考えています。17世紀の言語論から一気にソシュールや時枝の言語論へと進むのではなくて、比較言語学というまわりみちをしたのはなぜか、それは言語研究史においてどのような意義があったのかについて、細かい事実に捕われることなく論理の筋として考察していきたいと思います。次回以降、比較言語学誕生の直接的な契機は何であったのか、比較言語学が登場した19世紀は一般的にどのような時代であったのかを確認した後で、比較言語学誕生の必然性を論理として検討してきたいと思います。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 言語学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
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 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
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 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
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 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
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 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
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 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
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 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
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 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
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 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する