2016年05月13日

2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回までは3回にわたって、論点に関してどのような討論がなされ、どのような(一応の)結論が導き出されたのかについて報告してきました。

 さて、本例会報告の最終回である今回は、参加者のメンバーそれぞれの感想を掲載したいと思います。

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 今回の範囲は、ヘーゲル『哲学史』中世哲学の序論、アラビアの哲学、スコラ哲学であった。

 今回の例会を通じて、大きく2つの学びがあった。まず、キリスト教の登場を唯物論的にどのように捉えるべきかという論点に関わって、私は、本能に代わる認識を発展させてきた人間にとって、地球との相互浸透を行いながら生きて行くためには、キリスト教という宗教なしには不可能なほど、ローマ時代から中世にかけての時期が過酷な時期であった(地球との相互浸透が不安によって阻害された)という見解を出したのであったが、これに対してある会員から、それはキリスト教の意義というよりも宗教一般の意義ではないか、という指摘がなされたのであった。確かにこの指摘はもっともで、キリスト教を宗教一般に解消してしまった、つまりキリスト教の特殊性を把握し切れなかったということになると思う。一方でこの会員は、キリスト教の登場に関して、「非人間的な社会的現実に対して、本来はこうあるべきではないか(こうあるのが人間的なのではないか)、という願望を強烈に対峙できるようになっていき、その人間的な本質を空想的に外化したところに、キリスト教の神が成立したのだ」と説いた上で、人間の認識の発展の流れという観点から、アダム・スミスのいう「公平な観察者」が各人の胸中に明確に確立されるほどに認識が発展してきたのだと説明したのであった。この説明は、私の宗教一般に解消してしまったものとは異なり、キリスト教の特殊性がこれまでの学びの成果を踏まえて上手く捉えられていて、非常に納得できるものであったことであった。

 もう1つは、ヘーゲルの説く精神と自然とはどのようなものかに関わってである。私は論点への見解を執筆する段階では、これらがどのような中身であるのか、よく分からなかったのであるが、ある会員が、ヘーゲルにいわせれば精神も自然も共に精神であって、自然の段階から精神が分化して、そこからかつての自分である自然を眺め、把握していく過程が存在するとした上で、自然とはまだ自分が何者かを理解する前の段階の精神であって、いわば幼い段階の精神、主観的な精神であるが、自然と対比的に用いられる精神というものは、いわば完成した段階の絶対的精神であって、これは赤ん坊はいわば自然状態にあることに比べて、成人した人間はしっかりと精神と呼べるものを持っているというたとえ話でも分かることである、と説明したのであった。これも非常に分かりやすい説明であって、ヘーゲルの認識がどのようなものであるのかを理解する上で、必ず押さえておくべき事柄だと思ったことであった。

 次回は学問の復興期の哲学を扱うわけであるが、チューターに当たっているため、今回のゲルマン民族に受け入れられ育てられたキリスト教の理念と、アラビアを経由して再びヨーロッパに流入した哲学とが、如何なる形で統一され発展を遂げたのか、しっかりと大きな流れを押さえながら学んでいきたいと思う。

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今回の例会では、まともにテキストを読み込むことができずに、論点への見解も作成できなかった。これは大きな反省点である。年度末と年度初めの仕事が多忙を極めたこと、3月末が締め切りの論考が重なったことが主な原因であるが、今振り返ってみれば、絶対に不可能だったかというと、そうではない。つい怠け心に負けてしまった部分も相当にある。この例会に向けての取り組みとブログ掲載論文は、最優先の課題であり、われわれの研究会の発展にとっても不可欠なものである。この点をしっかり自覚して、来月以降はきちんと取り組んでいかなければならない。

内容に関わっては2点、人類の認識の発展に関して大きな学びがあった。一つは、キリスト教の誕生を唯物論的に捉えるならば、アダム・スミスのいわゆる「公平な観察者」が各人の胸中に明瞭に確立されるほどの段階に到達したと指摘できるという点である。当時の人々の認識の中に共通する社会的認識としてキリスト教が誕生していったのであり、それが人類の理想を示したり個々人の道徳的な行動を導いたりしたのであった。これは個体発生でいうと、小学校に入学したくらいの時期に相当するのではないか。そして、キリスト教という社会的認識は、その時期の人々にとっては絶対的な権威であるという意味で、小学校の教師に対応しているのではないだろうか。このような個体発生との関連については、例会当日の議論では触れられなかったと思うが、今後、もう少し突っ込んで検討していくべき課題であろう。

人類の認識の発展についてのもう一つの学びは、スコラ哲学の歴史的な役割に関わる。そもそもキリスト教が、当時赤ん坊的な存在であったゲルマン人に受け入れられたのは、当時の最先端の文化遺産であったキリスト教を、もう一度ゼロから育て直すという意味があり、われわれのいう「リセットの原理」であったことは前提として押さえておくべきであろう。その上で、スコラ哲学は感覚的世界に関わる経験に無関心であり、叡智界を抽象的概念を駆使して説明しようとしたのだとヘーゲルは説いているが、これは、唯物論的にいうならば、「理性」に対する問いかけ像を創っていく過程であり、「理性」に対する問いかけを敏感にしていく過程であったといえるだろう。このような長い長い修練の過程があったからこそ、自然的なもののなかにも精神的なもの(理性)が存在するということが見えてくるようになったのであり、ルネサンスや科学革命につながっていったのではないだろうか。人類の認識の発展の大きな流れが見えてきたような気がする。

 今回の学びを踏まえて、またたとえばシュテーリヒ『西洋科学史』の中世の項などを読み返してみれば、さらに認識が深まりそうである。

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 今回の例会ではチューター担当となっていたが、論点への見解が〆切に間に合わせることができなかった。突発的な事情が生じたということはあるのだが、今から振り返るならば、〆切までに見解を提示することもやろうと思えばできたと思う。やはりここは「何としてでも〆切に間に合わせる」という強い意志をもっているかどうかが問われるところであろうから、この点に大きく反省したい。

 さて、内容に関わってであるが、大きくは2つの学びがあった。1つはキリスト教誕生の意義をどのように捉えるかという点である。当初は不安を和らげるためだという見解を提示していたが、これは宗教一般に当てはまるものだと指摘された。宗教一般を踏まえた上でキリスト教の意義をどう捉えるか、一般性と特殊性という2つの観点から考えていかなければならないのだと痛感した。そしてキリスト教の誕生の意義だが、例会の中で出された、アダム・スミスのいわゆる「公平な観察者」が各人の胸中に明瞭に確立されるほどの段階に到達したという指摘は、深く納得することができた。自らに命令を下して、正しい行動へと導く存在が当時においては客観的な世界の中に存在すると考えられていたからこそ、これを「神」と呼んでいたのだろう。それが次第に自らの内面に存在するのだということに気づき初めて、「良心」などの形で指摘されるようになったのだと思う。

 もう1つは、ゲルマン民族がキリスト教の原理を受け入れたことをどう捉えるかということである。これは端的には過去の文化遺産の集大成を新たな世代が継承したということだと指摘されたが、ここは教育のイメージになぞらえて非常によく理解できた。それまでは何となく言葉でわかっていたものだったのが、像としてわかったように思う。ヘーゲルは『歴史哲学』において、キリスト誕生以前と以後という2部構成で世界歴史を把握しているということを以前議論していたが、その論理が『哲学史』においてもしっかりと貫かれていることがわかった。

 しかし、そうなってくると、南郷学派で説かれている「ヘーゲルは『歴史哲学』と『哲学史』を別々に説いてしまった」という内容の指摘はどのように捉えるとよいのか、という問題も生まれてくる。この問題は以前の例会でも出てきたものだが、再度念頭において具体的な記述を読むことをとおして、指摘の中身を理解するようにしていきたい。

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 今回の例会では、論点への見解執筆の作業を通じ、キリスト教の歴史的な意義について、これまで漠然と考えていたことを鮮明にすることができたのが大きな収穫であった。端的には、非人間的な社会的現実に「人間は本来こうあるべきではないか!」との意志(願望)を強烈に対峙させることができるようになっていったということ、少し角度を変えていえば、個々人の内面的良心の領域が確立していったことが、キリスト教の成立に繋がったのだ、ということである。

 例会当日の議論のなかでは、キリスト教における三位一体の「聖霊」とは何か、という疑問が提示されたが、これは非常に重要な疑問であると思った。万物の創造主としての父なる神、人間の罪を背負って十字架にかけられた救世主としての子なる神、この2つは比較的にイメージしやすいが、聖霊というのは、確かによく分からない。根本的には、生身の人間であったはずのイエス・キリストを、子なる神として父なる神と同一の存在と見做すためにはどうすればよいか、さらにいえば、人間一般を神的な存在と見做していくためにはどうすればよいのか、という大問題があり、これを解決するために設定されたのが聖霊としての神なのであろう。その正体は、アダム・スミス流にいえば「公平な観察者」である、ということになるかもしれない。結局のところ、三位一体というのは全て個人の内面的良心の現象形態である、ということになるのではないだろうか。このあたりの問題については、南郷継正『“夢”講義』をしっかりと再読しながら、考え続けていきたい。

 このほか、キリスト教の精神が未開のゲルマン人の自然と対比されている問題に関しても、考察が深まった。ヘーゲルにあっては結局のところ全てが精神なのであって、それが自己の本来のあり方を取り戻していく(?)過程が歴史として描かれていくわけであるから、読み手の側で自然と精神とを全くの別物として対立させてしまうような読み方をしてはならないのである。このことが明確になったのは、非常によかったのではないかと思う。
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 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
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 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
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 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言