2016年05月15日

専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想(2/5)

(2)実践の目的を問うことが大切である

 本稿は,専門家はいかにあるべきかという観点から『初学者のための『看護覚え書』(3)』を読み込み,臨床心理士である筆者が学んだ内容を認めていく論考である。

 今回は,実践の目的を問うことが大切であるというナイチンゲールの主張を確認し,その論理を心理臨床の実践に当てはめるとどういうことがいえるのかを考察したい。

 神庭先生は,『看護覚え書』の「部屋と壁の清潔」の章を取りあげて,部屋と壁を清潔にすることがなぜ重要なのかといえば,それは人間が生きていくことにとって必要不可欠な新鮮な空気に関わるからであると説いておられる。どういうことかというと,人間が生活していると,必然的に室内は人間化される=汚染されるのであり,汚染されたほこりや汚れが壁や絨緞などに染み込むと,室内の空気に汚れが発散されてしまうことになるということである。そうならないようにするためには,つまり新鮮な空気を保つためには,どうしても部屋と壁の清潔が保たれていなければならないのである。だからこそ,室内の掃除が必要だということなのである。

 ところが,ナイチンゲールの時代の掃除の方法は,ドアや窓を閉めきって,ほこりを部屋のある場所から舞い立たせて別の場所に舞い降りさせるといったものだったという。これを受けて,神庭先生は,次のように説かれている。

「ナイチンゲールが「部屋と壁の清潔」について取り上げている背景には,部屋の掃除について“何のために清掃するのか”という,清掃することの目的が看護することの意味として理解されていないという問題性が現実として幾つもあったことがみてとれるはずです。

 つまり,何のための行為(目的的な掃除)であるのかということが理解されていないことから生じる問題性の指摘であるとみてとることが必要です。」(p.85)


 すなわち,掃除をする目的がしっかりと把握されていないからこそ,形上は掃除をしているように見えても,実際には掃除したことになっていない,ということである。このように,実践の目的をしっかり説い,それを把握した上で実践していくことが大切だとナイチンゲールは説いているのだということである。

 このようなことは,教育や学びのあり方にとっても重要な指摘だとして,神庭先生は次のように説かれている。

「どういうことかというと,看護の学びとして,例えば看護の技術を学ぶ時に,その技術を単に行為として手順として学習し,覚えるという態度ではなく,その行為が,技術が,看護にとって何のために行うことであるのか,すなわちそれが病む人の「生活過程を整える」看護として,なぜ必要なことであるのか,そのためにどのような方法が用いられているのか,あるいは用いられるべきなのか,という考え方から学び取って身につけていってほしいことだからです。単純な行為レベルの手順ではなく,その行為の意味すること(目的性)から理解していくことが,どんなことにおいても大切だということを学んでいくことが大切(重要)なのです。

 難しい言葉で言い換えると,現象だけをみてとる学びのあり方ではなく,その目的性あるいは構造をみてとる学びのあり方を,看護の基本の学びの考え方として学習そして学修していってほしいということなのです。」(p.87)


 ここでは,基本を学ぶ場合には,現象だけをみてとるような学びのあり方ではなく,その目的性あるいは構造をみてとるような学びのあり方を目指すべきだと説かれている。

 現象だけをみてとる学びのあり方とは,先の例でいうと,掃除をしているという見た目だけをみてとるような学びということであろう。確かに,ドアや窓を閉めきっていても,ハタキでパタパタやっていると,掃除しているように見える。しかし,それでは掃除していることにならないのである。掃除する目的は,汚れをしっかり部屋の外に除去することによって,空気の汚染を防ぎ,新鮮な空気を保つところにある。このような目的が実現できていないのであれば,いくら見た目が「掃除」に見えても「掃除」とはいえない。このようなことが分かることが,掃除の目的性をみてとる学び方ということであろう。

 では,構造をみてとる学びのあり方というのはどういうことか。構造とは,それがなければそのものが成立し得ないような大切な柱となる性質ということであろう。掃除でいえば,汚れやほこりをしっかりと室外に除去しきる,ということであろう。そうしないと,空気の汚染が予防できないからである。このような構造がないものは,いかに見た目が掃除であっても,掃除であるとはいえないのである。たとえば,ハタキでほこりを部屋のある場所から別の場所に移動させるだけというのは論外である。また,ハタキで部屋のほこりを室外に追いやったとしても,絨緞に染みこんだ汚れが除去できていなければ,空気の汚染は免れないのであるから,掃除したことにはならない。床だけきれいにしても,壁や天井が汚れていては掃除したことにはならない。このように,掃除といえるためには欠かすことのできない条件をしっかり見ぬくことが,構造をみてとる学びのあり方であるといえるだろう。

 このように見ると,目的性をみてとるということと,構造をみてとるということが,同じであるということが分かる。目的性という場合には,実践の目指すゴールという観点からの見方であるのに対して,構造という場合には,そのものをそのものたらしめている性質という観点からの見方である,という違いがあるだけである。

 このような実践の目的や構造を問う視点は,心理臨床にとっても非常に重要である。臨床心理士の質を向上させるためには,この視点をいかに徹底的に把持し続けるかどうかが鍵を握っているといってよいと思う。

 たとえば,認知療法の典型的な技法である認知再構成法は,しばしば「考え方を変える技法である」と理解されている。これはまさに,「掃除=ほこりをその場から移動させること」と同じような現象だけをみてとる学びのあり方であるといえる。ほこりがその場からなくなっても,同じ部屋の別の場所に移っただけでは,空気の汚染を防止するという,掃除本来の目的を果たせない。したがって,これでは掃除したことにならない。これと同じように,単純に考え方を変えただけでは,認知再構成法の本来の目的を果たせていない可能性がある。もしそうであるならば,認知再構成法を行ったことにはならないのである。認知再構成法の目的は,端的にいうと,不快感情の適正化である。すなわち,過剰な抑うつ気分,過剰な不安,過剰な怒りなどを和らげることが本来の目的なのである。したがって,考え方を変えることによって,このような不快感情の適正化にまでつながっていないのであれば,それは認知再構成法を行ったことにはならないと知るべきなのである。

 他の例も考えてみよう。優れた先輩心理士の初回面接に陪席して,その話すスピードが非常にゆっくりであることに気づいたとする。そして,自分の話すスピードは非常に早かったことを反省して,「カウンセリングでは,ゆっくり話すことが大切なんだ」ということを学んだとする。これは,現象だけをみてとる学びのあり方である。そうではなく,先輩心理士が何のためにゆっくりと話していたのかまでみてとる必要がある。初回面接では,クライエントと相互の信頼関係(これをラポールという)を築く必要がある。そうしないと,カウンセリング(あるいはセラピー)という共同作業がうまく進んでいかないのである。そして,ラポールを形成するためには,こちらが相手に合わせていくことが大切である。この合せることを「ペーシング」という。相手の何に合わせるかというと,すべてに,である。もう少し具体的にいうと,言語表現,非言語表現に合わせていくのである。言語表現とは,相手が使っている語彙や敬語などである。非言語表現とは,言語表現に伴う話し方のトーンや抑揚,スピードや間などだけではなく,姿勢や動作,呼吸や服装などのことである。このような相手の表現に,可能な限りこちらが合わせる,しかも自然な形で合わせることによって,両者の共通点・一致点が多くなり,相手に「似ている」という感じが生じ,それが安心感・安全感につながり,ひいては信頼関係(ラポール)の形成につながっていくのである。先の先輩心理士は,このようなラポール形成のためのペーシングの一つとして,相手のゆっくりとした話し方のスピードに合わせていたのである。ここまでの目的や構造をみてとる学びをしなければならない。そうしなければ,非常に早口で話すクライエントに対して,こちらがゆっくりと語りかけることによって相違点を強調してしまい,ラポール形成を阻害するだけではなく,相手にイライラ感を生じさせることにもなりかねない。これではうまくカウンセリングやセラピーを進めて行くことはできなくなってしまうのである。

 このように,心理臨床においても,単に行為の現象(見た目)だけを問題にするのではなく,何のためにその行為を行っているのかという目的性や構造をしっかりと問う必要があるのである。極論すれば,心理士の一挙手一投足は,すべて目的意識的な行為なのであり,心理士は,自らの言動の全てについてその目的を意識しており,あえて尋ねられたならばすぐさまその目的を答えることができなければならない。

 ここに関連して,神庭先生は,『看護覚え書』の「からだの清潔」の章を解説して,皮膚の清潔保持の意味やその方法に触れた後,次のように説かれている。

「つまり,「なぜ,何のために」その行為を行っているのか,ということを考えることがとても大事なことであるとナイチンゲールは説き続けているのです。ただ教えられた行為やその方法を何となく真似ることにとどめるのではなく,それ以上に「そのことの意味を問いなさい」という教えはとても重要なことです。行為としての学びだけではなく,看護者としての主体性を持ってその意味を問う時,ナイチンゲールの時代とは異なる現代でも同じ論理として学び取ることができることに私たちは気づくことができるのだと分かることが大切です。」(p.134)


 ここでは,看護の行為の現象や方法をみてとるだけではなく,「なぜ,何のために」その行為を行っているのかという意味を問うことが大切である,と説かれている。ここでいう行為の意味というのは,これまで見てきた目的性や構造と同じ中身であろう。そして,「主体性を持って」その意味を問うことが大切であると強調されている。

 主体性とは,自分が自分でなすべきことを決定するとともに,そのなした結果に対してしっかりと責任をとる姿勢のことであるから,専門家としてしっかりと責任を果たすためには,自身の専門的行為の目的・構造,あるいはその意味をしっかりと問い続けることが大切だということになる。これはいかなる専門家であっても大切なことであるといえるだろう。

 筆者も心理士としての専門性を高め,専門家としての責任を果たし続けていくために,しっかりと自分の実践の目的を問い続けていきたいと思う。
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 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言