2016年04月09日

新大学生に与える(5/5)


(5)集団力を用いて社会的に学んでいこう

 本稿は,新大学生に向けて,大学で学問に取り組んでいくには,具体的にどのようにすればいいのかを説いてきました。特に最初の3ヵ月間が重要であるという指摘にしたがって,大学に入学したばかりの頃に何をすればいいのかということにも触れながら説いてきました。ここで,これまでの流れをふり返っておきたいと思います。

 初めに,同志を見つけることをお勧めしました。「学生の間に熱心に学問に取り組むんだ!」「学問を修めて高度な専門性を身につけるんだ!」という大志を抱き,情熱を持っている仲間を見つけることが大切だと説きました。なぜ大切かには二重構造があって,一つは,学問の研鑽を継続していくためには,自分の怠け心を排除して,情熱を燃やし続けなければなりませんが,そのためには,お互いの情熱を燃やし合い,刺激し,叱咤激励し合えるような同志がどうしても必要だからでした。筆者の経験からいっても,大学時代に同志を見つけることができたからこそ,勉強会を今でも継続して行えていますし,難解な本でもなんとか読み進めていけているといえるのでした。同志を見つけるのが大切なもう一つの理由は,学問を構築していくためには,あるいは学問的な実力を高めていくためには,絶対に討論相手が必要だからでした。学問は古代ギリシアの時代に誕生しましたが,その誕生のプロセスで,具体的にはソクラテスからプラトンの時代に,活発な討論が延々と続けられたのでした。このような討論によって,相手の認識を受け取って,自分の認識が相互浸透的に発展していくのみならず,相手に分かるように説明しようと試みる中で,論理能力も高まっていくのでした。このような人類の歴史が辿った道を,個人としても辿り返さなければ,学問的な実力は身につかないのであり,そのためにも,志を同じくする討論相手が必要なのでした。したがって,大学に入った直後から,サークルを巡ったり,インターネットを使ったりして,同志を探すために時間を費やすことをお勧めしたのでした。

 次に,一般教養の重要性,何事も全体の把握から部分の把握へと進んでいくことの大切さを説きました。そもそも一般教養とは,世界の論理的な全体像を生き生きと描くことを目指すものですし,学問の全体像をアバウトではあっても描くことにその目的があります。このように,学問の全体像を描いてから,自分の専門領域に突入していくことが学びの王道なのだと説きました。なぜ全体から部分へと学びを進めて行かなければならないのかについて,「群盲象を評す」という故事を挙げて説明しました。すなわち,部分だけから全体を判断すれば,間違った結論になってしまうし,全体から切り離した部分だけを研究しても,正しく解明できない,ということのたとえなのでした。したがって,どのような対象を研究する場合でも,まずは全体をおさえる必要があるのであり,それこそが一般教養教育であるということでした。また,歴史的な事実として,18世紀に大学で一般教養教育を取り入れたドイツは,19世紀後半には医学や自然科学の分野で華々しい発展を遂げたということを紹介して,一般教養の大切さを別の角度からも理解していただいたのでした。最後に,一般教養を学ぶための名著を紹介しました。それは河合栄治郎『学生に与う』(現代教養文庫)という書でした。この書を大学入学後ただちに読んで,さらに中学校の教科書で学問の全体像を描けるように勉強していくことをお勧めしました。

 最後に,弁証法を学ぶことの大切さを説きました。弁証法とは,世界全体(自然・社会・精神)の一般的な連関・運動・発展の法則についての科学のことでした。自然・社会・精神と分けることができる世界には,それらを貫く法則性が存在しているのであり,それを認識の中に掬い上げたものが弁証法の法則なのでした。一例として,「対立物の相互浸透」という弁証法の法則をとりあげました。これはごく簡単に説明すると,対立する二つのものは,互いに相手の性質を受け取りながら,相手的になることによって発展していく,というものでした。地球と生命体が相互浸透して発展したこと,日本と中国が,あるいは日本と西洋が相互浸透して,日本の社会は発展してきたこと,夫と妻が相互浸透して発展していくこと,などから明らかなように,この法則性は自然にも,社会にも,精神にも貫かれているのでした。では,このような弁証法を,なぜ学問に取り組む大学生が学ぶ必要があるのでしょうか。それは,世界が連関しており(つながりあっており),運動・発展しているからにほかなりませんでした。世界はつながりあって,運動・発展しているという弁証法性をもっているのであるから,この世界の仕組みをしっかりと学べば,この世界で起きてくる問題もうまく解決していくことができるのだと説きました。このような弁証法が分かる柔軟な頭は,大学に入学したころでないと保てないものであるし,非弁証法的な受験勉強的な方法から脱して,しっかりと弁証法を勉強していくためには,大学入学の時期が最適だということも説きました。そして具体的な教科書として,三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)も紹介しました。

 以上のように,本稿では3つに分けて,大学でいかに学問に取り組んでいくべきかということを説いてきたのです。しかしこれら3つは,決してバラバラのものではありません。3つがそれぞれ関連し合っているのであり,これらを三位一体として取り組んでいかなければ,学問的な実力を向上させることはできないのです。

 少し説明します。

 まず,一般教養と弁証法は,密接に関連しています。一般教養の学びは弁証法の学びになっていきますし,弁証法の学びは,一般教養を学びながらでないと不可能になります。どういうことかといいますと,一般教養の学びとは,世界の論理的な全体像を描くことでした。そしてその世界というのは,つながりあっており,運動・発展しているものでした。したがって,世界の全体像を描くためには,その歴史をも射程に入れる必要が出てくるのです。すなわち,過程も含めて全体であるということになるのですから,一般教養を学んでいくと,必ずプロセスをも問題にしなければならなくなり,弁証法の学びにつながっていくのです。

 また弁証法とは,世界全体の一般的な連関・運動・発展の法則についての科学ですので,これを学ぶ際には世界全体を学ぶ必要があります。すなわち,一般教養を学ぶ必要があるのです。もう少しいうと,一般教養で学ぶものを素材として,弁証法を学んでいかなければならないのです。たとえば,中学校の理科の教科書で,自然全体を学んでいきます。これは一般教養の学びといっていいでしょう。しかし,その自然はどのような過程を経て現在の自然になってきたのか,各部分がどのようにつながりあっており,どのような弁証法性を有しているのか,という観点で学ぶと,それは弁証法の学びになるのです。このように,弁証法の勉強をしようとすると,必然的に世界全体を幅広く学ばなければならなくなるわけです。

 さらに,このような一般教養の学び=弁証法の学びは,集団的にしか学べません。すなわち,同志との認識の交流なしには,学ぶことができないのです。これは連載第2回で説いたように,継続的に研鑽をしていくためには情熱を燃やし合う相手が必要だからですし,学問的な実力をつけていくためには,人類の歴史が辿ったように討論の過程を個人も辿り返さなければならないからです。もう少しいうと,自分一人の認識には限界があるので,他者との認識の交通関係を結ぶことによって,その限界を突破していくのです。

 われわれの実際でいうと,たとえば,あるメンバーが一般教養として優れた書物を読んだ場合,それを勉強会の機会に報告したり,メールで内容の要約を送ったりして,他のメンバーに伝えます。そうすると,他のメンバーは,自分だけではその存在に気付かなかったような書物を知ることができますし,概略については読んだメンバーから聞くことができます。こうして,一人の学びがほかの同志の学びにもなっていき,相互浸透的に認識が発展していくわけです。また,専門が違うメンバー同士が,自分の専門分野について一般教養的に,あるいは弁証法の観点から,他のメンバーに説明するということも非常に勉強になります。説明を聞いたメンバーは,疑問を提示したり反論を試みたりして,論理的に筋の通っていないところをあぶりだします。それに対して,再度説明を試みることによって,より筋の通った論の展開となり,双方の論理的な実力の向上に資する討論となるのです。このような形で集団的・社会的にしか,一般教養や弁証法は学べないといっても過言ではないでしょう。集団の力はこのように非常に強力であり,一人だけで勉強する場合とは比べ物にならないくらいの実力の向上が見込めるのです。

 以上,要するに,同志を見つけて共に学ぶことと,一般教養を学ぶことと,弁証法を学ぶことを三位一体として,大学入学後早々に取り組んでいってほしいということです。そうしてこそ,大学生に課せられた社会的な使命(学問の修得)が果たせるといえるのです。

 しかし,そうはいっても,なかなか同志を見つけることが難しいかもしれません。そういう方は,是非とも,この京都弁証法認識論研究会で,共に学んでいきませんか。われわれは,情熱をもって学問に取り組もうとする大学生に対して,いつでも門戸を開いています。われわれの研究会は,基本的には月に一度,最近はスカイプを使って例会(研究会)を行っています。また,年に3回ほどは,師も招いて直接顔を合わせて討論する集中例会も行っています。その他にも,本ブログ掲載用の論考を交流し合ったり,それぞれの学習の進展や新しい発見などをメールで交流したりもしています。そして,ブログのタイトルにもあるように,弁証法(と認識論)を学問の基盤として,しっかりと学び続けています。

 その成果は,これまで本ブログに掲載してきた数々の論文として結実しています。これまで,本ブログには約280本の論文を掲載してきました。ブログの下の部分に,そのタイトル一覧があり,クリックすればその論文に飛べるようにリンクが張ってあります。まずは自分の関心の持てそうなものから,ぜひとも読んでみてください。特に,「改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」」や「新大学生への訴え」は,以前に皆さんのように新しく大学に入学された学生を対象に説いたものですので,ぜひとも読んでいただきたいです。

 われわれの研究会のように,集団的・社会的に弁証法の学習ができる組織は,世界中を見渡しても数えるほどしか存在しないものと自負しています。もしもわれわれと一緒に学びたいという同志がおられれば,ぜひとも連絡をください。ブログの右側にある「メッセージを送る」をクリックすれば,われわれにメッセージを送ることができます。

 情熱にあふれ,大志を抱いている若者の参加を期待しています。

(了)
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 ・2010年6月例会の報告
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 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
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 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
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 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
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 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
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 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
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 ・新大学生への訴え
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 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
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 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
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 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
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 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
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 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言