(1)「論理能力の生成発展」が『学城』第3号の全体を貫くキーワードである
(2)国家の体系性を論理的に把握するとは
(3)国家論はどのように発展してきたのか
(4)先進的な文化を丸ごと受け入れることが頭脳活動の発展には必要である
(5)文化の発展には「場所の移動」が必須である
(6)学問体系を構築するためには論理的な学びが必要である
(7)研究と学問の違いとは何か
(8)人類の系統発生における論理能力の獲得と発展過程とは如何なるものか
(9)江戸末期に日本が導入した西洋の医学教育とはどのようなものであったか
(10)論理能力は学問創出の土台である
(11)学問の構築には意志の強さ、素直さ、身体的強靭さが必要である
(12)対象の運動性に着目できる論理能力=弁証法の実力を養成する必要がある
(13)学問の創出には、「論理能力の生成発展」を論理的に理解する必要がある
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(1)「論理能力の生成発展」が『学城』第3号の全体を貫くキーワードである
2015年10月24日から本ブログに連載した「一会員による『学城』第2号の感想」において、第1号の感想を認めた理由について、最新号の『学城』の感想を論じていくつもりであったが、ある偶然のアクシデントのため、第1号の感想をその代用としたことを述べた後、次のように説いた。
「ところが、この原点ともいえる第1号の感想を認めるうちに、これは最新号の『学城』を本当の意味で理解して自分の実力とするためには、さらには自分の学問を自力で創出していく土台となる学問力を創り上げるためには、どうしてもこの『学城』が辿ってきた道のりをもう一度(といわずに何度も何度も)辿り返す必要があるのではないか、そのためにも、これまで感想をブログ掲載論稿の形でまとめられていない第2号から第7号までの『学城』についても、じっくりと学び直す必要があるのではないか、と思われてきたことであった。」
つまり、今後は毎年2号ずつ発刊されるであろう『学城』を読んで自らの実力を向上させる契機とするためには、『学城』がこれまで辿ってきた軌跡をしっかりと踏まえる必要があるのであって、そのためには、これまで執筆できていなかったかつての『学城』についてもしっかりと学び直す必要があり、その一環として感想小論を執筆していくのだ、ということである。
そこで『学城』第2号に関しては、「大志・情熱」というキーワードをもとに個々の論文の感想を認めたのであった。そして「一会員による『学城』第2号の感想」の最終回には、南郷継正先生が高校生に贈った人生論として『武道と弁証法の理論』に再録しておられる文章を引用した後、次のように説いておいた。
「つまり、この連載で注目した「大志・情熱」ということはもちろん必要で重要なことではあるのだが、これだけではいわば片手落ちであって、もう1つ、「論理能力」というものもしっかりと把持すべく研鑽する必要がある、ということである。これがなければ、悪くいえば、「地獄への道は善意の敷石で敷き詰められている」ということにもなりかねない、ということである。思いだけで突っ走ってもダメであって、そこに筋が通っているかどうかをもしっかりと確認しながら進む必要があるということである。」
南郷先生は、現今の若人に欠けているものとして、〈大いなる志〉と〈論理能力〉を挙げておられたのであった。だから、第2号全体を貫くテーマである「大志・情熱」ということももちろん大切なのであるが、それだけではなくて、「論理能力」を磨いていくということも怠ってはならないのだと結論しておいたのである。
さて、以上を踏まえる形で今回からは、『学城』第3号の感想を認めていくこととする。そこで今回も、第3号全体を貫くテーマを見出し、このテーマから各論文について学んだ中身を展開していくこととしたい。それでは第3号全体を貫くテーマとは何か。ここまでの流れでもうお分かりかと思うが、それは「論理能力」もしくは「論理能力の生成発展」ということであろう。第1号においては「原点」というキーワードのもと、学問を構築していく上では常に「原点」に立ち返ることが必要であることが説かれ、その上で、第2号、第3号において、今の若者に大きく欠けている〈大いなる志〉と〈論理能力〉を養成するためにはどのような学びをすべきかが説かれているというわけである。
これだけでは、第3号全体を貫くテーマが「論理能力」もしくは「論理能力の生成発展」だということに納得されない向きもあるかもしれない。そこでここでは、「巻頭言」において南郷先生が説かれている内容について少し見ておくこととしよう。南郷先生は、『学城』やかつての『試行』のような学問誌が10号にまで積み重なっていくには、「大きく超えなければならない巨大な壁が存在する」(p.1)として、「論文を書くためには、少なくとも対象的事実の共通性をまずは導きだし、そこを一般性として把握できるだけの実力を必要とする」(p.2)こと、「一本、また一本と論文の質的向上を果たす必要がある」(同上)ことを説いておられる。「対象的事実の共通性をまずは導きだし、そこを一般性として把握できるだけの実力」とは、つまり「論理能力」のことであり、その「質的向上」こそが学問には必須である、ということである。
以上を踏まえれば、第3号全体を貫くテーマが、まずは論文を書けるために必要な論理能力を創出すること、及びその論理能力を向上させていくことにある、つまり「論理能力」「論理能力の生成発展」である、ということがお分かりいただけるのではないか。「編集後記」においては悠季真理先生も、「学的研鑽の内実を筆にする困難さ」「学問的レベルでの弁証法の構造をもっての理論性の頭脳活動を創出しながらの論文執筆」(p.229)という表現でもって、「論理能力の生成発展」過程を持つことが学問にとって(どれほど困難であっても)どれほど重要であるかを説いておられる。
ただし、ここで断っておかなければならないことは、この小論の目的が、第3号全体を貫くテーマが「論理能力の生成発展」にあることを証明することにあるのではなくて、あくまでも「論理能力の生成発展」という観点を設定して、そこからこの第3号を学んでいこうということにある、ということである。第2号で学んだ「大志・情熱」ということを土台として、その上に如何に「論理能力の生成発展」過程を重ねていけるのか、こういう視点で第3号を学んでいくこととしたい。
では最後に、『学城』第3号の全体の目次を以下にお示ししておく。
学城 ( ZA-KHEM,sp ) 第3号
◎南郷継正 巻 頭 言
―学問を志す初学者たちに
◎近藤成美 マルクス「国家論」の原点を問う(3)
―ヘーゲルから継承した市民社会と国家の二重性について
◎加納哲邦 学的国家論への序章(3)
―マルクス主義の「国家論の歴史」を問う
◎悠季真理 古代ギリシャの学問とは何か(3)
◎悠季真理 古代ギリシャ哲学、その学び方への招待(3)
―ポリス社会が誕生するまでのギリシャ小史
◎瀬江千史 「医学原論」 講義 (第3回)
―時代が求める医学の復権
◎本田克也 ウィルヒョウ 『細胞病理学』 なるものを問う(上)
瀬江千史 ―研究至上主義は学問への道を断つ
◎諸星史文 学問形成のために問う医学の歴史(3)
悠季真理 ―医学史とは何か
◎小田康友 日本近代医学教育百五十年の歴史を問う(2)
―医学教育論序説
◎北嶋 淳 人間一般から説く障害児教育とは何か(2)
◎井上真紀 青頭巾 ― 『雨月物語』 より(上)
―悟りへの道を考える(2)
◎田熊叢雪 現代武道を問う 〔T〕 ―居合とは何か(3)
◎南郷継正 東京大学学生に語る 「学問への道」(1)
―平成十六年、夏期東京大学合宿講義
◎南郷継正 欧州版 『武道の理論』
悠季真理 ―科学的武道論への招待
◎悠季真理 編集後記
次回以降、順次各論文の感想を認めていくが、その際、この第3号全体を貫く「論理能力の生成発展」というテーマを常に念頭において、論を展開していくこととする。なお、連載回数の都合により、本稿では田熊叢雪「現代武道を問う〔T〕 ―居合とは何か(3)」及び南郷継正、悠季真理「欧州版『武道の理論』 ―科学的武道論への招待」を取り上げることができないことを予めご了承いただきたい。