2016年03月17日

心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想(5/5)

(5)臨床心理学の論理化が筆者の使命

 本稿は,『医学教育 概論』シリーズの最終巻である『医学教育 概論(6)』を取り上げて,心理士の立場から,それも特に心理士教育に活かせる点は何かという観点から,学んだことを認めることを目的として,これまで説いてきた。ここで,これまでの流れを振り返っておきたい。

 初めに,「論理」という視点で本書の内容を考察した。『医学教育 概論』シリーズでは,医学教育改革が成功しない根本的な要因として,膨大な文化遺産を論理化・理論化・体系化する作業が抜け落ちている点がくり返し指摘されてきた。この点は臨床心理士の教育にあっても同様であり,臨床心理士を目指す大学院生には必携といわれている1,500ページほどの『心理臨床大辞典』の目次を取り上げて,論理の段階が異なるものが同一のレベルに並べられていることを指摘した。このように,医学も臨床心理学も,膨大な知見が蓄積されているものの,全くといっていいほど論理化の作業がなされていないために,事実的な知見が論理的に混乱した形で教科書や時点に記載されており,そのために学生は知識を丸暗記するしかないという状況に陥っているのであった。こういった現状から抜け出すためには,本書で指摘されているように,文化遺産の論理化が必要なのであった。腎臓の「濾過,再吸収・排泄」という事実から,これらの事実を貫く「選別」という論理が導き出されたように,心理臨床の対象となる困りごとも,詳細に分類していくのではなく,逆に共通性に着目して,論理化を図っていく必要があるのであり,そのような論理化が可能な論理的な頭脳づくりが,心理士教育に求められると説いた。論理化の例として,パニック障害や社交不安障害,強迫性障害の共通性を把握した「不安障害」という論理,リストカットや過食,激しい攻撃行動などの共通性を把握した「衝動制御の問題」などを挙げた。このような論理化を臨床心理学全体でなしとげていくと同時に,個々の心理士も事実から論理を導き出すことのできる論理的な頭づくりをしていくための教育が必要なのであり,そうしてこそ,千差万別のニーズにしっかりと応えていくことができるのだとしておいた。

 次に,弁証法の観点から本書の内容を読み取った。本書では,「CKD(慢性腎臓病)」という病名の導入は,非常に複雑で分かりにくかった腎臓病の分類に対する一つの論理的な進歩であったと評価されていた。ところが,この病名の導入は臨床には役立っても,医学教育にはそのままでは役に立たないと説かれていた。それは,この病名が事実によって規定されたものであるため,この定義を見ても腎臓病とはどのようなものであるのかの像が描けないからであるとされていた。そこで,腎臓病とは何かの論理的な把握をなすことが必要であるが,そのためには,教科書だけでは腎臓病に至る過程の事実が示されていないために不充分であると説かれていた。これらのことは臨床心理学にもそのまま当てはまると説いた。すなわち,臨床心理学が対象とする心の病も,患者の呈する症状という事実のみによって規定されたものであり,まったく論理化されていないのであった。だから,この診断基準だけで精神疾患の像を描くことは学生には難しいと説いた。また,病気に至る過程が全く問題にされていない点も指摘し,これでは精神疾患の予防は論理的には不可能になると説いた。このような現状を打破するためには,世界の運動の一般性を問題にする弁証法の実力が不可欠であり,病歴をしっかり聞き取って,どのような外界との相互浸透で精神疾患に至ったのかの把握が必要であるとしておいた。また,本書で説かれていた完成形態を初めに学ぶべきであるとの指摘を踏まえて,心理士が扱う心の問題の完成形態は精神疾患であり,そこを踏まえておけば,まだ診断がつかないくらいのレベルの問題であっても,しっかり見てとって,適切な介入ができることにも触れた。また,医師よりも心理士の方が,精神疾患という完成形態に至る過程を見る機会が多いので,精神疾患に至る過程の論理化は心理士こそなしうる可能性が高いと説いておいた。

 最後に,認識論の観点から,本書の内容を心理士教育の問題として捉え返した。『医学教育 概論』シリーズを著し,医学教育改革について従来にはないような構造に分け入り,その核心を暴露することができたのは,瀬江先生らには科学的医学体系があるからであった。とするならば,人間の認識を整えることを専門とする心理士を教育する場合,認識を科学的に明らかにした認識論が必要になるということになるのであった。この科学的認識論の学びが欠如しており,またその必要性も認識されていないことが,心理士教育の大きな欠陥なのであるから,そこを社会に訴えていくことが筆者の当面の使命であると述べた。その際,精神疾患や心の問題についての膨大な文化遺産を,しっかりと,科学的認識論の論理で整序していき,そうすることによっていかに学びが深まるか,その結果,いかに心理臨床の質が向上していくか,ということを示していくことが求められるのだとしておいた。医学の教科書の目次をみても,腎臓病の全体像を描くことはできないし,そもそも「腎臓病とは何か」「腎臓が病むとどうなるのか」「なぜ腎臓が病むのか」について問いかけたことすらないと指摘されていることを確認した。これと同様に,(臨床)心理学の教科書の目次を見ても,心の全体像は分からないし,いくつかのパラダイムが並存していることが分かるだけであり,精神疾患がただ平面的にたくさん羅列されているだけであることを示した。これを統一理論たる科学的認識論で整序すれば,認識とは何かの一般論からきちんと筋を通して認識の歪みが説けるとして,対象たる外界が通常ではなかったために,その結果として像が歪んだものになるケース,特定の問いかけが量質転化し技化してしまったケース,観念的二重化の能力が未熟であるケース,観念的二重化が歪んで技化してしまったケースなどを仮に挙げてみた。心理士の教育にあたっては,このように科学的認識論によってすっきりと整序された文化遺産を修得させていく必要があるのであり,そうすれば学びの質が深まり,介入の質も向上すると説いておいた。

 以上をごく簡単にまとめるならば,実力ある心理士を養成するためには,専門領域の論理化・学問化が必要なのであり,その際に,心理的な問題の生成・発展のプロセスを問題にしなければ,現代の医学と同じような重症化したケースのみを扱うという結果になってしまうので,そうならないために,しっかりとプロセスを扱うことができる弁証法の実力養成も必要となる,さらに,心理士は人間の心=認識を扱う職種だけに,当然に科学的認識論によって,これまでの(臨床)心理学や精神医学の知見を整序していく必要がある,ということになろう。要するに,認識とは何かの一般論から筋を通す形で,専門領域を論理化していく必要があるのであり,その際には弁証法の実力が必須である,ということである。したがって心理士の教育に当たっては,論理学・弁証法・認識論の実力をしっかり身につけさせることが肝要であり,このような教育が実現されなければ,公認心理師のカリキュラム作りや資格試験の整備は,医学教育改革の迷走と同じ結果になってしまうであろう。

 以上を踏まえて,もし筆者が公認心理師のカリキュラムを作るとしたら,どのようなものになるのか,アバウトではあっても考えて提示してみたい。

 まず,学部の1年生2年生の間は,専門の学びに突入する前の一般教養の学びを重視する。心理士は人間の認識を扱う職種であるから,人間の認識を理解することがその専門性となるべきではあるが,その前提をまずは学ばせるのである。この前提には二重構造があると思う。一つは,人間の認識に至る歴史性の学びである。人間の認識は,初めからあったものでもなければ,何の必然性もなく突然生じたものでもない。物質の生成・変化・発展の流れの中で,必然性をもって誕生してきたものである。この物質の発展の必然性を,すなわち「生命の歴史」を,しっかり学ばせることである。「過程も含めて全体である」(ヘーゲル)のだから,認識が誕生するに至った過程をしっかり理解しておかないと,認識そのものの理解が不十分なものとなってしまうと考えられる。もう一つの前提は,自然と社会の学びである。認識とは外界の反映によって成立するものであり,その外界は自然的外界と社会的外界の二つであるから,認識を理解するためにはそれら自然的・社会的外界のことをしっかりと理解しておく必要があるのである。これらと並行して,時代の心,社会の心,人の心を描いた文学作品をたくさん読ませるようにする。

 学部の3年生4年生では,認識論の基礎をしっかり身につけられるようにする。具体的には,認識学原論として,そもそも認識とは何か,どのように生成発展していくのか,ということをきちんと学ばせる。認識の正常な(健康な)生成発展の過程を,観念的二重化や問いかけ的反映という基本的な論理でもって筋を通して把握できるようにしていくのである。それに合わせて,科学的認識論で整序した(臨床)心理学や精神医学の文化遺産をしっかりと学ばせるようにする。その際,しっかりと事実から論理を導き出せるような頭脳創りも行っていく。卒業研究は,統計学の基礎をしっかりと理解し,使いこなせるようになることを目的とし,内容のオリジナリティにはそれほどこだわる必要がないだろう。『統計学という名の魔法の杖 ― 看護のための弁証法的統計学入門』(現代社)によって,統計学の発展の歴史を学ぶとともに,t検定を徹底的に技化できればそれで十分だといえる。

 大学院の修士課程の2年間は,心理臨床の技を創出する教育課程と位置づければいいであろう。心理検査の具体的な実施・解釈技法や心理面接の諸技法を,認識とは何かからしっかりと筋を通して学び,先生方の陪席を通して,あるいはロールプレイや事例検討を通して,徹底的に訓練する期間とすればいいであろう。気分障害や不安障害など,心理的介入が特に効果的と思われる精神疾患については,精神疾患の認識論的な理解に基づいた介入方法を,これまた認識論的にしっかりと筋を通して理解していくことも求められる。また,医療,教育,産業,司法,福祉領域など,心理士が活動する領域を一般的に押さえたあと,自分の志望する領域の特殊性について,ある程度の専門知識の学びと専門的な技能の訓練を行う必要もあるだろう。修士論文は,しっかりとした研究方法に則った,それなりにオリジナリティのある論文が求められよう。

 このような内容のカリキュラムを骨子として,各大学の独自の理念を加味した教育を行っていくことが理想であろう。独自の理念とは,たとえば,医療領域における心理的介入のスペシャリストを養成するとか,中学校や小学校に入って発達障害児者の学習支援をする心理士の養成に力を入れているとか,企業と連携して,職場のメンタル不調者を減少させるストレスマネジメント研修ができるような心理士を養成しているとか,などが考えられる。こういった各大学の売りをしっかりアピールして,そういった領域に進みたい学生を迎え入れることは,学生の動機づけにもつながるだろう。

 最後に,以上のことを実現するための筆者の課題を再確認しておこう。やはり何といっても科学的認識論の構築すること,そして,構築した科学的認識論を基にして臨床心理学の論理化を図ること,これである。認識とは何かの一般論から,心理に関わるあらゆる問題を解けるだけの実力を筆者自身が把持しないことには,上記のカリキュラムも夢のまた夢となってしまう。認識論構築のためには,常に認識とは何かの一般論から,自分が担当している具体的な事例を考えたり,諸々の心理検査や心理的介入,それに精神疾患とされているものを考察したりしていくことが必要となる。すなわち,認識に関わる事実と論理ののぼりおりである。幸い,筆者は医療領域を中心に,教育・産業・司法などいくつかの領域にまたがって仕事をしており,数多くの精神疾患のある方と関わり,数多くの心理検査やカウンセリングを実施してきている。すなわち,論理化のための大前提たる事実は豊富に持っているのである。あとは,『医学教育 概論』シリーズで説かれてきたことを自分の専門領域で実践することによって,あるいは,各巻の感想文で認めてきたことを着実に実行することによって,学問的な論理能力を向上させていくのみである。

 今後とも,科学的認識論の再措定のために必要な研鑽を行い,そのための論文を本ブログに掲載していくことを約束して,本稿と閉じたい。

(了)
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 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言