2016年03月12日

2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派(9/10)

(10)参加者の感想の紹介

 これまで、ヘーゲル『哲学史』の新アカデメイア派およびスケプシス派の哲学が論じられている部分を扱った我が研究会の2016年2月例会について、報告レジュメおよび当該部分を要約した文章を紹介した上で、諸々にたたかわされた議論について、大きく3つの論点に整理して報告してきました。

 2月例会報告の最終回となる今回は、参加していたメンバーの感想を紹介することにしましょう。なお、次回3月例会は、新プラトン派の哲学が論じられている部分を扱います。

 それでは、以下、参加者の感想です。

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 今回の範囲は、ヘーゲル『哲学史』のうち新アカデメイア派の哲学とスケプシス派の哲学であった。どちらの哲学も、真理の規準として独断論(ストア派、エピクロス派)の哲学が提唱した対象と思考の一致ということに関して、それは真でも偽でもありうるから、真理の規準たりえないとしたところに大きな特徴があるということであった。

 例会での討論を通じて、大きく2つのことが学べたと思う。1つ目は、特にスケプシス派の哲学について、ヘーゲルの説く絶対精神の自己運動、円環運動というイメージと重ねるならば、どのようなことがいえるのかという問題に関してである。私自身は、独断論がある特定の真理規準に拘泥するあまり、絶対精神の自己運動が停滞していた、円環運動の始点から離れられずにいたところを、客観的な真理などはないのだ、全ては主観次第なのだと主張したスケプシス派によって、やっと円環運動が開始された、しかしその円環運動は完成して円環が閉じ切ってしまうまではいかずに、いわば半円を描いたところまでであった、というイメージを描いていた。ところが別の会員は、円環運動の始点が精神であって、そこから外的世界の対象に切り込んでいくことが円環運動だとした上で、スケプシス派は一度動き出した円環運動をいわば逆行して、始点たる精神の世界に引き返してしまったのだ、というイメージを描いていたのである。そして、その精神の世界において、「自己意識の自由」を手に入れたのだということであった。独断論の静的な固定的な考え方から、スケプシス派の運動性を帯びた弁証法的な把握へという流れに関しては、私の把握の方がうまく説明できているようにも思えたが、円環運動の始点を精神だとして、そこから外的世界の諸々の対象を筋を通して説明していくことが絶対精神の自己運動であるという観点からは、別の会員が示したイメージが妥当だという思いもある。いずれにしても、絶対精神の自己運動とはどういうものかのイメージを常に豊かにしていく頭脳活動なくしては、ヘーゲル哲学は理解できない以上、こうしたイメージに関する議論は大切にしていきたいと思った。

 もう1つ、今回の例会で学んだことは、古代ギリシャ哲学の各時期における大きな成果や課題はどういったものであったのか、ということについてである。第1期において、普遍的な理念がプラトンのイデアという形で提示されたが、このイデアなるものは、現実的な感覚の世界の対象と切り離された形で措定されたものであった。よって、この普遍的なものを特殊的な外的世界の対象に適用していくこと、つまり体系化して世界を説いていくことが第2期の課題とされたのであった。この世界を体系化して説いていくという課題に対して、思考を重視する考え方(ストア派)、感覚を重視する捉え方(エピクロス派)、そのどちらも規準とはなりえないとする主張(スケプシス派など)などが諸々に展開されたのである。しかし、これら第2期に登場した哲学は、いずれも一面的に世界を把握しようとしたものに過ぎず、吉本隆明のいう「学問の世界」での「自己意識の自由」を獲得するという成果にまでしか到達できなかったのである。「実体の世界」での自由を獲得するために、独断論とスケプシス派の哲学のそれぞれを総合して、かつ、キリスト教という契機も含めて世界を説いていくという課題が、第3期たる新プラトン派の課題となったのではないか、という大きな流れが掴めてきたことが今回の大きな成果であった。

 次回は新プラトン派の哲学を扱うわけだが、こうした古代ギリシャ哲学の大きな流れを念頭におきながら、かつヘーゲルの説く絶対精神の自己運動のイメージを描きながら、しっかりと取組んでいきたいと思う。

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 今月は、チューターとして例会に臨んだが、議論を進めていくなかで改めて、ヘーゲルの描く哲学史の全体像をしっかりと踏まえることの大切さを強く感じさせられた。これまでも、ヘーゲルの描く哲学史とは絶対精神の自己運動であり、自己が自己の何たるかを明瞭に意識していく過程である、というようなことは、漠然と捉えられていた。今月の例会での議論を通じて、以上のようなことに加えて、哲学とは結局のところ真理を目標としたものであり、それはヘーゲル哲学史にあっては最終的に学問体系として現出することになる(学問としての体系のみが真理が現実に存在しうる唯一の形態である)、ということが明瞭になってきたと思う。このゴールを念頭に置くことによってこそ、古代ギリシャ哲学の第二期における真理規準をめぐる議論の意義を的確に捉えることが可能になるといえよう。

 また、このこととも深く関連するが、第二期の意義について、第一期との関連でしっかりと押さえることができたのも、重要な成果であったといえると思う。第二期というのは、端的には、第一期における到達点たる普遍的なものの意識、すなわちプラトンのいわゆるイデアのようなものから出発して、それを現実世界の諸々の具体的なものと如何にして一致させていくか、という課題に取り組んだ時期であった。この課題に対して、表象レベルのイメージにおいて解決されるのだと強引に片づけてしまおうとしたのが独断主義であり、そのような解決には無理があることに気づいて、普遍的なものの意識の方に引き返してしまったのが新アカデメイア派やスケプシス派なのだ、という大きな流れについてのイメージを描けるようになった。

 また、「自己意識の自由」というキーワードに関連して、精神が精神としての自己について明瞭に意識する形態というのは個としての人間の認識以外にありえないこと、その意味で、国家医師から分離した各個人の意志が外的世界と自己との関係に深刻に悩むようになったのは大きな前進の契機であったこと、外的存在を否定して全ては意識に現われたもの(現象)にすぎないとするのは、世界全体を自己(精神)のなかに溶かし込んでしまうものともいえ、全ては精神である、というヘーゲル的な到達点に向かっての決定的な前進でもあったことなどを明らかにすることができたのも、大きな成果であった。

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 今回の例会では、古代ギリシャ哲学の第二期がどのような流れになっているのか、またその第二期は哲学史全体の中でどのように位置づけられているのかということがかなり明確につかめるようになったと思う。真理論という観点から、大きな筋を把握できたと感じている。

 少し振り返っておく。そもそも古代ギリシャ哲学の第一期では、普遍的なものがそれなりに把握されたのであり、これをもとにして具体的な個々のものを把握していき、体系化することが第二期の課題になっていたということであった。これを踏まえて、独断主義では「対象(個別的なもの)と認識(普遍的なもの)の一致」が真理だと主張されるようになり、それを実現したものが表象だと考えられていたのだが、新アカデメイア派においてその見方に批判が加えられたということであった。そして、スケプシス派への流れの中で、そもそも対象と認識との一致などということが可能なのかという疑問が出されるようになったということであった。そもそも対象と認識はつながっていると同時につながっていないという相対的な独立の関係にあるものだが、その中のつながっていないという側面を強調したのが新アカデメイア派やスケプシス派だということであった。この両面を踏まえた上で、1つにまとめていくことが第三期の課題になるのだということであった。

 今回はチューターが真理論という観点から、そして「学問としての体系のみが真理が現実に存在しうる唯一の形態である」というヘーゲルの言葉を踏まえて、古代ギリシャ哲学第二期を捉えていたことが印象的であった。ヘーゲルを完成形態としてここの段階を位置づけていくという姿勢が『哲学史』を読んでいく上では決定的に重要だなと感じた。それぞれの時期がどういう段階にあるのかは、序論などに書かれているので、これも再度読み返す必要があるなと思った。
 
 また、議論の進め方という点で、今回のチューターの問題提起の仕方を見ていて、同じ論点に対して異なった見解が出された場合、両者をどう統一して理解するかという観点が非常に重要だということも感じた。個々のメンバーは『哲学史』のどこかの記述をもとにして自分の見解を出しているのだから、それぞれの見解が絶対的に間違っているということはほとんどない。したがって、個々のメンバーから出された見解を統一的に捉えることは、『哲学史』の理解を深めていく上でも非常に役に立つのだと思う。今後、論点への見解を各自が出したときに、そういう問題意識をもつようにしたい。

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 今回の例会での討論を通して,スケプシス主義の哲学史的意義がクリアーになったと思う。特に,真理とは何かということに関して,ヘーゲル的には,学問としての体系を想定しており,そのゴールに至る過程として,哲学史の流れを見ていくべきだということが,非常によく分かった。具体的には,独断論においては,対象と認識の一致こそが真理であるとして,その真理のあり方を単純に表象に求めたわけであるが,それでは不十分なのだとして,その前提たる対象と認識との相対的独立性に着目して,そのつながっていない部分を過度に強調したのがスケプシス派である,ということになろう。これはこれで一面的な捉え方なのであるが,先の独断論も逆の意味での一面性があり,このような相対立する見方をどのようなことに対しても出すことができるのだということを示したのが,スケプシス派の転釈法であったのだろう。

 また今回反省させられたのは,ギリシア哲学の第二期の意義を考える際に,今回のテキストの範囲の文章のみに依拠して考えてしまった点である。チューターを務めたメンバーは,古代ギリシア哲学の序論に相当する部分の記述に着目して,この第二期の意義を説こうとしていた。同じヘーゲルが説いているのであるから,現象的には違うことが説かれているように見えても,内的なつながりがあり,結局は同じことを説いているはずである。そこに筋を通すべく,当日議論できた点はよかったと思う。しかし,本来であれば,例会当日までにこれまでの論の展開の中で関係のありそうなところはピックアップしておいて,全体に筋が通るような形でヘーゲルを理解していく必要があると思う。

 次回でギリシア哲学の範囲が終るので,これまでの序論的なところや最後のまとめのところなどは最低でも読み返して,大きな流れをしかっかりと描けるように努力していきたいと思う。

(了)
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 ・一会員による『学城』第13号の感想
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 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
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 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
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 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
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 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言