目次
(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派の哲学 要約
(3)ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派の哲学(続) 要約
(4)ヘーゲル『哲学史』スケプシス派の哲学 要約
(5)ヘーゲル『哲学史』スケプシス派の哲学(続) 要約
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:新アカデメイア派の哲学とはどのようなものか
(8)論点2:スケプシス派の哲学とはどのようなものか
(9)論点3:古代ギリシャ哲学の第二期とはどのようなものであったか
(10)参加者の感想の紹介
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我々京都弁証法認識論研究会は、昨年および今年の2年間を費やして、ヘーゲル『哲学史』(岩波全集版)に取り組んでいます。3年前のヘーゲル『歴史哲学』、一昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて、この『哲学史』を通読することにより、ヘーゲルが描く哲学史の流れを理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた一歩を確実に進めていくことを課題としているわけです。
2月例会では、ヘーゲルのいわゆるギリシャ哲学の第2期のうち、新アカデメイア派およびスケプシス派(懐疑派)について論じられている部分を扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。
今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。
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京都弁証法認識論研究会 2016年2月例会
ヘーゲル『哲学史』 新アカデメイア派の哲学,スケプシス派の哲学
【1】新アカデメイア派の哲学
新アカデメイア派の一般的な考え方は,真理は自己意識の主観的確信であると主張するところにあり,真理は,単なる主観的確信にすぎないので真らしさ(見かけの真理)と名づけられるとヘーゲルは説いている。
エピクロスやゼノンと同時代人であるアルケシラオスは,賢者は賛同することないし同意することを控えなければならないという判断停止の原理を説いたという。内容を思考に取り込んでも現象が生じるだけで存在としての事実が生じるわけではないからであり,賢者は普遍的なものにとどまる必要があるのだから,把握された表象のような規定されたものが真であるというようなところへ進んではならないとアルケシラオスは言いたかったのだとヘーゲルは説いている。また彼は,ストア派に対してすべてのものは把握不可能であり,思考された表象は真でも偽でもありうると主張したという。
大カトー時代のローマに派遣された哲学者の一人であるカルネアデスは,正義に味方する話と正義に反対する話を行い,概念が対立することを示したという。ヘーゲルによると,カルネアデスが主張した原理は,思考も表象も感覚も,われわれを欺くのであるから,真理の基準は絶対的に存在しないということであった。
〔報告者コメント〕
新アカデメイア派は,ストア派やエピクロス派が,対象と認識は一致するという前提で,独断的に真理の基準を設定したのに対して,その前提に疑いを向けたといえるのではないだろうか。すなわち,新アカデメイア派は,対象と認識との間には,超えることのできない溝があるのであり,われわれが問題にできるのは,せいぜい自分の認識の側(主観的確信)でしかないと説いていたように思われる。
おそらく,ストア派やエピクロス派にあっては,対象と認識,客観と主観の区別などがまだまだ曖昧で未分化だったといえるのではないか。両者が混然一体として説かれていたが,それらをある程度明確に区別して,人間が云々できるのは認識=主観でしかないと主張したのが新アカデメイア派であるといえそうである。
この主張は,カントの物自体論を髣髴とさせる内容をもっていると思う。両者ともに言ってみれば不可知論だからである。おそらく,カントの方がより深められた把握になっているのであろうが,哲学の歴史も,否定の否定的に,螺旋的に発展していくということではないだろうか。
【2】スケプシス派の哲学
ヘーゲルは,スケプシス主義は,存在者とその知の形式をまったく無に帰せてしまったのであり,あらゆる知の主観性の見解を完成させ,総じて知において存在の代りに仮象という表現を据えた,あらゆる規定されたもの(区別されたもの)を氷解させ,空無のうちにあることを示す技をもっていると説く。さらに立ち入ってみれば,スケプシス主義は哲学に対して,自らがあらゆる規定されたものの弁証法(否定の働き)であるという態度をとると,ヘーゲルは主張している。このようにすべての真なるものの表象について有限性が指摘されるのは,表象が否定や矛盾を己のうちに含むからであるとされている。
ヘーゲルは,スケプシス派を「懐疑派」と呼ぶことに反対している。それは,古代のスケプシス主義は疑い深かったのではなく,非真理を確信していたからである。だから,ためらったり決心がつかなかったりして,心が落ち着かなくなるのとは反対に,精神の内なる不動と堅固さに至るとヘーゲルは説いている。
スケプシス主義は,アリストテレスの時代のピュロンから始まり,ティモンやアイネシデモスを経て,紀元二世紀の中ごろに生きた経験的な(empirisch)医者であったセクストス・エンペイリコスで頂点に至る。これらのスケプシス主義者は,アカデメイア派と違い,いかなる存在についての陳述もなさず,「である」の代りに「と思われる」という言葉を用いたとヘーゲルは述べている。
スケプシス主義の目的について,ヘーゲルは,あらゆる対象的なものを消去し,同意をエポケー(判断停止)することを通じて,心の不動性と堅固さが生じ,かくして自己自身の心の平静が生じることであると説く。また,スケプシス主義の一般的方法については,あらゆる内容自身のうちに矛盾があり,その対立者があることを示すことであり,そこからエポケーが生じ,さらに心のあらゆる運動の自由が生じるとヘーゲルは主張している。
ヘーゲルは彼らの方法を転釈法と呼び,古いものを10個,新しいものを5個紹介していく。これらの転釈法によって,一つの原理はいつも条件づけられており,弁証法(己による己自身の破壊)を含有していることが明らかになるとヘーゲルは主張する。このような否定的なものについての意識を身につけさせたことがスケプシス主義の名誉であるというのである。
〔報告者コメント〕
ヘーゲルは,新アカデメイア派で始まった弁証法(否定の働き)が,スケプシス主義で完成したと捉えているようである。ヘーゲルの説明を読むと,スケプシス主義は,あらゆるものはAでもあれば非Aでもあるというように意識には現象するのであるから,判断を停止する必要がある,ということを説いているようである。これは,認識における矛盾を指摘したものであり,先の新アカデメイア派と同様に,カントの先駆けであるといえるのではないか。すなわち,カントの二律背反の原基形態とでもいえるのではないだろうか。
弁証法の発展史ということでいうと,すべては対立物の統一であるとか,すべては矛盾しているということを,人間の認識に焦点を当てて解明したということになるのではないか。ヘーゲルは,スケプシス主義では,単に否定するだけで留まっている点を批判しているようである。さらに否定の否定的に進んでこそ,対象をよりしっかりと認識することができるということではないか。これは人類の認識の発展においても,個人の認識の発展においても,必然性であるということがいえそうである。
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以上の報告に対しては、簡潔にポイントを押さえて纏められているのではないか、と概ね肯定的な評価がなされました。また、報告者コメントにおいて、新アカデメイア派やスケプシス派の議論をカントの不可知論と対応させて捉えようとしている点については、哲学史の全体像を念頭において部分を捉えていこうという姿勢が出ていてよいのではないか、との感想も出されました。ただし、新アカデメイア派やスケプシス派の議論とカントの議論が似ているところを漠然と指摘するだけで、両者のどこが相違しているのかについては不明瞭ではないか、との指摘もなされました。この点については、チューターから、前者が存在を否定してしまったのに対して、後者は存在そのものは認めた上でその真の姿は捉えられないとしたのではないか、との発言がなされました。
2016年03月03日
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・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
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・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
・もう一人の自分を育てる心理療法
・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
・文法家列伝:ジョン・ロック編
・一会員による『学城』第11号の感想
・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
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・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
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・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
・一年間の育児を振り返る
・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
・哲学の歴史の流れを概観する
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・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
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・年頭言:機関誌の発刊を目指して
・激動する世界情勢を問う
・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
・一会員による『学城』第4号の感想
・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
・本来の科学的な教育とは何か
・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
・システムズアプローチを弁証法から説く
・一会員による『学城』第14号の感想
・ルソー『学問芸術論』を読む
・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
・斉藤喜博から何を学ぶべきか
・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
・小中一貫教育を問う
・ヘーゲル『哲学史』を読む
・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
・文法家列伝:宮下眞二編
・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
・マルクス思想の原点を問う
・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
・教育の政治的中立性を問う
・日本経済の歴史を概観する
・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
・一会員による『学城』第15号の感想
・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
・現代日本の政治家の“失言”を問う
・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
・障害児の子育ての1年間を振り返る
・新しい国家資格・公認心理師を問う
・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
・徒然なるままに――40歳を迎えて
・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
・教育実習生に説く人間観の歴史
・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言