2016年01月29日

看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想(5/5)

(5)事実からと論理からの二重性の学びを

 本稿は,神庭純子『初学者のための『看護覚え書』(2)』(現代社)を,臨床心理士である筆者が読んでその感想を認める論考であった。その際,看護師による認知行動療法が保険点数化される見込みであるというニュースが示すように,看護師と臨床心理士の業務内容は一部重なるとともに隣接していることから,看護師と臨床心理士に共通する学び方に特に注意を払いながら,本書を読んで学んだことを考察していった。ここで,これまでの内容をふり返ってみたい。

 初めに,自分の体験を通して学ぶということについて考えた。神庭先生は,ナイチンゲールの言葉を,単に言葉としてのみ,知識としてのみ知っているだけでは,感情がこもらないので役立てられない,そうではなく,自分の事例を通して感覚的かつ感情的に分かっていくことが非常に大切であると説かれていた。これをわれわれ臨床心理士の学びとして適用すると,たとえばよいコミュニケーションの方法としてうなずきやあいづちを学ぶ場合,自分がかつて話していて,話しやすかった体験を踏まえて,相手はどのような反応だったから話しやすかったのかということと教科書の内容を二重に重ねながら学んでいくことが大切だと説いた。また認知行動療法の教科書やマニュアルを学ぶ際,「不安」や「悲しみ」とあれば,それを言葉としてではなく,自分の体験に基づいてきちんと感覚的かつ感情的に理解していくことが大切であり,そうしないと,患者さん・クライエントさんに共感できずに失敗してしまう可能性があると説いた。また神庭先生は,自分を対象に自分で看護してみることが訓練の重要な第一歩であると説かれていた。これはわれわれも同じで,たとえば認知行動療法を学ぶ際にも,自分に感情や行動の問題が生じた際に,自分で自分に認知行動療法を行っていくことがよい学びになり,こういう学びをしていると病人に不可能なことを強いるような失敗を犯す可能性が減るであろうと説いた。このように,自分の体験を通して分厚い五感情像を培っていくことが大切だと確認した。

 次に,先達や先輩からはどのように学んでいけばいいのかを考察した。神庭先生は,時代や場所が大きく異なった状況で活躍した先達から学ぶ際には,具体的な事実に着目するのではなく,その事実を通して説きたかった中身を掴む必要があると指摘されていた。すなわち,具体的な事実は違っていても,その意味するところ(論理)は同じであるから,論理を読み取って自らの実践に活かしていくべきである,ということであり,現象的な違いに引きずられることなく,その中身(構造)を理解していく必要がある,ということでもあると思うと述べておいた。また神庭先生は,ナイチンゲールの説く具体的な行為を問題にするのではなく,その行為の意味・性質・構造・論理をこそ問題にしなければならないとも説かれていた。このようなことは,われわれ臨床心理士も留意する必要があるとして,例えば海外の心理療法を学ぶ場合や先達や先輩の事例論文から学ぶ場合も,条件が違うから役に立たないなどと考えるのではなく,論理の光を当てて,中身をしっかりと読み取って活かしていくべきだと説いた。また,先達や先輩の面接を実際にみて学ぶ場合にも,ある具体的な行為のみを問題にするのではなく,その行為の意味・性質・構造・論理を見てとる必要があり,そのためにはカウンセリングや認識論の一般論を踏まえている必要がある,と説いた。要するに,論理の光を当てるからこそ,現象的な違いの背後に潜む構造が掴めるのだし,一般論を把持しているからこそ,具体的な事実の意味(論理)が分かるのであるとまとめておいた。

 最後に,認識論の一大論理である「観念的二重化」の問題を取り上げた。本書の第十章では,友人からの「おせっかいな励まし」や「忠告」は,病人にとって利益になるどころか,かえって病む人の苦悩をよりいっそう引き起こしたり,生命力の消耗を大きくしたりすると説かれていた。これは,真に病む人の立場に立つことができていないからこそ,すなわち,「自分の自分化」レベルでしか観念的二重化を行うことができていないからこそ,相手にとっては不適切なものとなるということであった。一般にカウンセリングにおいて,忠告やアドバイスをしないように教育されているのは,既に何十回もなされている可能性のある実現不可能な忠告を,それもプロから行うことは,クライエントを落胆させ,消耗させるだけであるからだと説いた。素人のいいそうなことも,自分の自分化レベルの観念的二重化の実力が反映されたものであるから,相手とのずれを引き起こすことになるだけであり,プロはいわない方が無難であることにも触れた。さらに神庭先生は,相手の認識を本当に相手の立場からのものとしてみてとることができるようになるだけではなく,そこからさらに,相手に立場に立ちつつどう介入していけばいいのかを専門職の立場から考えられることが大切であると説かれていた。相手の認識を本当に相手の立場からのものとしてみてとる,すなわち自分の他人化は,われわれ臨床心理士の世界でも,「受容」「傾聴」,あるいは「ペーシング」「ジョイニング」などとして重視されていることを指摘した。しかし専門職者としてはそれだけではなく,その成果を引っさげて,相手に合わせた専門的介入を行い,専門家としてしっかりと結果を出さなければならないことを説いた。

 以上,これまで説いてきた3つの内容を振り返ってきた。端的にまとめると,看護であれ,心理臨床であれ,自分の体験を通して学ぶことが大切であるし,先輩・先達からは論理的に学ぶことが求められるし,観念的二重化の論理を学び,自分の他人化を通して得た成果を踏まえて専門的な介入を行うべきである,ということであった。このような3つの学び方の共通性について検討してきたということである。

 では,これら3つはどのような関係にあるといえるだろうか。まず,第一の自分の体験を通して学ぶということは,第三の観念的二重化からの学びの前提となるであろう。どういうことかといえば,自身がしっかりと体験し,その体験をしっかり目的意識的に観察しすることによって,分厚い五感情像を創りあげておくことが,相手の立場に立つ,つまり自分の他人化をなすためには,必要不可欠なのである,ということである。三浦つとむが『弁証法はどういう科学か』で説くように,現実の自分が有能ならば,観念的なもう一人の自分も優れたものになるわけである。端的にいうならば,現実の自分の体験の幅が広く,その体験の意味を深く理解していればいるほど,観念的二重化の能力も高く,自分の他人化ができる可能性も高くなるということである。

 次に,先達・先輩から論理的に学べるためには,その先達・先輩に観念的に二重化できている必要がある。これは,先達・先輩の説く事実にとらわれるのではなく,その事実を通して説きたかった中身(論理)を捉えるにしても,先達・先輩の実践行為の現象面に引きずられるのではなく,その行為の構造を掴むにしても,これらは要するに,その先達・先輩の認識をきちんと受け取るべし,ということを意味するからである。どういう目的像を描いて,どのような認識の表現としてそのような行為を行ったのか,ということをきちんと理解しなければならない。そしてそのように先輩・先達の認識をきちんと受け取るとは,とりもなおさず,彼らに観念的に二重化することであり,自分が先輩化・先達化することである。したがって,自分の他人化の実力がそれなりになければ,先輩・先達から論理的に学ぶことはできない,ということになる。

 最後に,先輩・先達から論理的に学ぶということは,少なくともある程度,その領域に関わる論理的な学びを行っている必要がある。たとえば看護とは何かを知らなければ,食事の配膳という現象に潜む意味(構造)など分からないし,ペーシングという論理を知らなければ,ぞんざいな言葉づかいの背後にある意図(論理)も分からないことになる。したがって,これは,単純化すれば論理→事実という流れの学びということになる。これに対して,自分の体験を通して学ぶというのは,体験からある意味なり論理なりを学ぶということであるから,事実→論理という流れの学びということができよう。すなわち,今回説いた第一の内容と第二の内容は,ある意味,対立の関係にあるのであり,両者を統一してこそ,認識ののぼりおりが可能となる,すなわちまともな学びとなるのである。

 以上要するに,第一の自分の体験からの学びによって,第三の観念的二重化の実力がついていき,さらに観念的二重化の実力がつくことによって,第二の先達・先輩からの論理的な学びも深まっていく,そして第一の学びと第二の学びは認識ののぼりおりの関係に対応しており,これによって専門領域の理解が深まっていく,アバウトにいえば,3者はこのような関係にあるといえるのではないだろうか。

 ここで,論理からの学びと事実からの学びに関して,本書にある次のような指摘が想起される。神庭先生は,「弁証法というのは全世界の一般的な運動の科学,あるいは運動の一般的な科学のこと」(p.81)という弁証法の概念規定に関して,「一般的な運動」と「運動の一般性」の区別を説かれた後,次のようにまとめておられる。

「ですから,弁証法の学びとは,大きくアバウトに運動としてとらえることと,小さな個々の事物・事象の変化・発展・消滅などのあり方を,大きく一般性としてとらえる訓練が必要だということとの二重性(二重構造)で弁証法の学びは始まっていくことになる,そうでなければ弁証法的にはならないという意味をもった概念規定なのです。」(p.82)


 ここでは,弁証法の学びは二重性(二重構造)で始まっていくのであり,一方では「大きくアバウトに運動としてとらえること」であり,他方では「小さな個々の事物・事象の変化・発展・消滅などのあり方を,大きく一般性としてとらえる」ことだと説かれている。

 これもいってみれば,論理から事実を学んでいく方向と,事実から論理を学んでいく方向の(あるいは全体から部分へと学んでいく方向と,部分から全体へと学んでいく方向の)二重性ということではないだろうか。

 看護にしても心理臨床にしても,同様に二重性の学びが必要なのであって,どちらか片方では「弁証法的にはならない」,すなわちきちんとした上達は見込めなくなる,ということであると考えた次第である。今後とも,看護学の遺産をしっかり心理臨床に活かしていけるように,本『初学者のための『看護覚え書』』シリーズに学んでいきたいと思う。

(了)
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 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言