2016年01月26日

看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想(2/5)


(2)自分の体験を通して学ぶ

 本稿は,神庭純子『初学者のための『看護覚え書』(2)』を臨床心理士である筆者が読み解き,そこから臨床心理士として学ぶべき点について考察していく論考である。特に,看護師と臨床心理士に共通した学び方という観点から,本書に学んでいくこととしている。

 今回は,自分の体験を通して学ぶということについて考えていきたい。

 神庭先生は,「第2章 ナイチンゲールの説く 「食物の選択」 に学ぶ」の「第1節 ナイチンゲールの言葉は知識ではなく自分の体験を重ねて理解することが必要である」のなかで,次のように説いておられる。

「ですが,このことを単に言葉としてのみ,知識としてのみ知っているだけでは,おそらく適切な看護はできないものです。なぜかといえば,知識として持っているだけのことには,自分の人間としての(看護者としての)感情がこもらないしこもりようもないからです。例えば,失恋した相手を慰める場合,自分に失恋の体験があれば,その時どきの立ち直るまでの感情としての思い出をもとに,相手に対しての言葉かけの中身の一つ一つが,しっかりと役に立つ形で慰められることになるはずですが,その経験もない友人が何をいっても反発されるだけである,ということで分かってもらえるはずです。」(p.33)


 ここでは,単に言葉としてのみ,知識としてのみ知っているだけでは,感情がこもらないので役立てられないということが,失恋した相手を慰めるという例で,分かりやすく説かれている。

 この後,食事に関しても,自分がきちんと食事をとった場合とそうでない場合の体調の変化を感覚として経験していれば,病人相手の場合にも,きちんと食事を取らないことが体調をますます悪化させるのだと感覚として分かるはずだとした上で,次のように説かれている。

「それだけに,食事の質もさることながら,体調にとっての質,つまり,きちんとした食事の時間にきちんとした食事を摂らせることの大切さを,自分の事例を通して感覚的かつ感情的に分かっておくことがいかに大切であるかを説いているのだ,とも分かっていかなければなりません。」(p.34)


 すなわち,自分の事例を通して感覚的かつ感情的にナイチンゲールの言葉を分かっていくことが非常に大切である,ということである。この後の文言を借りてさらに言い換えておくならば,「自分の過去に学んだ感情をもとにして」ナイチンゲールの説く内容を「自分の体験と二重に重ねながら学んでいく」(p.34)ことが必要である,ということである。

 これは,臨床心理士の学びにもそのまま適用できる論理であろう。たとえば,クライエントとのコミュニケーションのやり方を教科書で学ぶとしよう。クライエントに気持ちよく話していただくためには,セラピスト側はうなずきやあいづちを入れながら,相手の気持のこもっている言葉や重要そうな言葉などを1,2語とりあげ,それをつぶやくようにくり返す,と書いてあったとする。これを単に言葉として,知識として知っていてもさほど役には立たない。これだけではうなずきやあいづちの具体的なあり方やタイミングなどが分からないからである。

 だから,これを学ぶ際には,自分が誰かとコミュニケーションをしていて,こちらが気持ちよく話せた時とそうでなかった時の差を,相手の反応という観点から振り返ってみるとよいかもしれない。こちらが話しているのに,うなずきもあいづちもなく,すぐに自分の話を始めてしまう人と会話した経験,その時の感情を思い出す。悩み事を相談して,熱心に聞いてくれた友人の反応と,その時の感情を思い出す。そうした自分の体験と,教科書に書かれているコミュニケーション法を二重に重ねながら学んでいけば,クライエントとのコミュニケーション法もうまく上達していくと考えられる。すなわち,感情を込めてうなずき,あいづちを打てるようになるし,適切な言葉をピックアップしてくり返すことによって,相手に気持ちよく話してもらえるようになるはずである。

 他の例でも考えたい。例えば,認知行動療法を教科書やマニュアルで学ぶ際,認知行動療法が主としてターゲットとする悲しみや不安などの感情を,単に言葉として受け取って学んでいっては,大きな失敗をしかねない。認知行動療法の教科書には,過剰な不安に苦しむ不安障害の方には,「曝露」といって,あえて不安を換気するような刺激に直面する方法が非常に効果的であると書いてある。たとえば,汚いものを触ってしまったら,自分が汚染されて,間違って口に入ってしまったら病気になってしまうと不安を感じて,手洗いを長時間くり返してしまうという強迫性障害(不安障害の一種といえる)の方には,あえて汚いと思うものを触ってもらって,手洗いをしないようにするのが治療的であるとされる。しかし,この方法に忠実に,マニュアル通りにやろうとしても,クライエントのドロップアウト(治療からの脱落)を招くのが落ちである。不安を感じて,それを解消するために手洗いがやめられないのに,不安をあえて感じ続けて,手洗いをするなと指示するのであるから,そんなことはしたくないとなるのは当たり前である。

 こんなことにならないようにするためには,教科書で「不安」を学ぶときは,最低限,自身がかつて感じた「不安」と二重に重ねながら学んでいく必要があろう。そうして,不安という不快な感情を味わい,それに伴うソワソワ感を味わい,不安を解消するために自分がとった行動とその結果を思い出すならば,不安障害の方の思いにも少しは共感できるというものである。そうすれば,正しい方法だからといって機械的にマニュアル通りの治療を進めていく,などということにはならず,しっかり相手の思いを受容して,どうすれば少しでも負担を少なく治療を進めていくことができるのかを考え,工夫していけるはずである。

 さて自分の体験を通して学ぶということに関わって,神庭先生のもう一つの指摘も確認しておきたい。神庭先生は,看護として食事を整えるためには,人間にとっての食事とは何かという一般論,生命体とは何かという一般論,人間の発達段階の一般論などを踏まえる必要があると説いたあと,次のように説かれている。

「看護者として向かい合った,その人にとっての食事とは,ということの意味を,その人が回復過程に置かれるように,生活過程を整えることの中身としてより豊かに描けるようになってほしいと思います。

 そのためには,まず看護を学ぶみなさん自身が,看護者として自分自身の生活を見つめ直して,自分自身の健康を守るために食事を整えるとはどういうことかと問い直し,日々食生活に関わる実践を積み重ねていくこと,それが看護者としての訓練の重要な第一歩になるといえるのではないでしょうか。」(p.78)

 ここでは,看護の中身を像として豊かに描けるようになるためには,自分を対象として看護してみる実践を積み重ねることが訓練の重要な第一歩になると説かれている。

 この学び方は,われわれ臨床心理士も同じであろう。筆者の専門とする認知行動療法でいえば,まずは,自分で自分に認知行動療法を試し続けていくことが,認知行動療法の上達のための訓練法となる。たとえば,考え方を柔軟に・多様に・することによってネガティブな感情の適正化を図る認知再構成法という技法を,自分が過度に落ち込んだ時に自分に使ってみる。ものを言いにくい上司に意見する際に,アサーション(自己主張)のポイントを思い出して,実行してみる。自分や子どもの行動をコントロールするのに応用行動分析の考え方を試してみる。人見知りの傾向があるのであれば,それを克服するために,自分から不安を換気する状況に曝露してみる。このように,認知行動療法の技法を自分で自分に使ってみれば,それぞれの技法の使い方がカン・コツレベルではあっても徐々に分かってくるであろうし,クラエント体験もできるので,クライエントの立場に立つこともできるようになっていくであろう。そうすれば,本書の冒頭で指摘されているような「病人に不可能なことを強い」(p.13)るような愚を犯すリスクも減ると考えられる。

 以上,自らの五感器官を通して反映した感情像を専門分野の学習につなげていくべきであるし,自らの五感器官を通して反映した感情像として専門分野の知識を吸収していかなければならない,薄っぺらな知識レベルの認識=像ではなく,分厚い五感情像として専門分野に関わる認識を育てていかなければ,本当に役に立つ武器にはならない,ということを確認した次第である。
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 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言