2015年12月07日

2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学要約@
(3)ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学要約A
(4)ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学要約B
(5)ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:アリストテレスのやり方の特質とはどういうものか
(8)論点2:アリストテレスの「理念」とプラトンの「理念(イデア)」とは何がどう異なるのか
(9)論点3:アリストテレスの自然哲学はどのようなレベルのものか
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は,今年と来年の2年間でヘーゲル『哲学史』に取り組み,人類の学的な認識の発展の過程を把握することを目指しています。これは,一昨年のヘーゲル『歴史哲学』、昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえてのことです。もともと,ヘーゲル『哲学史』に取り組みたかったのですが,それは準備が必要であるとして,まずはヘーゲルの『歴史哲学』を学び,次に,哲学者の学説が上手くまとめられているシュヴェーグラー『西洋哲学史』を学んだのでした。

 ヘーゲル『哲学史』を集団的に読み解いていくことによって,ヘーゲルが描く哲学史の流れを理解するだけではなく,それを唯物論的に捉え返すことによって唯物論哲学の創出に向けた第一歩を確実に歩んでいくことを課題としています。

 11月例会では,アリストテレス哲学の概要と,彼の形而上学,自然哲学について説かれている部分を扱いました。今回の例会報告では,まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと,扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し,その後,参加者から提起された論点について,どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に,この例会を受けての参加者の感想を紹介したいとおもいます。

 今回はまず,報告担当者から提示されたレジュメ,およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

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京都弁証法認識論研究会11月例会
ヘーゲル『哲学史』(アリストテレス 形而上学 自然哲学)

概要


 ヘーゲルはアリストテレスに対して、「彼ほど包括的で思弁的な人はいない」と高く評価している。因習的俗説では、プラトン哲学の観念論に対してアリストテレス哲学は陳腐な実在論であるなどされている。しかし、ヘーゲルによれば、アリストテレスは諸々の対象を経験的に列挙して、それらを思惟的に考察し、その結果、思弁的概念を出す。したがって、アリストテレスは真に哲学的となり、最高に思弁的なのだとされる。

1,アリストテレスの形而上学とはどのようなものか

 アリストテレスは形而上学(第一哲学)を存在の本質であるものを規定する学問として他の学問から区別し、その存在論において、質そのもの、質料、運動の原理、目的(善)の原理を扱った。その中身がヘラクレイトスやエレア派、さらにピュタゴラス派やプラトンと対比しながら述べられている。
 ヘーゲルによれば、アリストテレスは普遍的なもの(目的)の実在を主張し、ヘラクレイトスやエレア派に対抗してそれを固く保持した。このようにたんなる変化という原理に反対して普遍的なものに固執するが、同様に、ピュタゴラス派やプラトンに反対して活動という概念を主張した。活動はどこまでも自己同一的なままの変化であり、自己自身を規定することである。
 ヘーゲルはさらに詳しい中身に入って、可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)または完成態(エンテレケイア)について扱っている。アリストテレスにおいては、可能態は抽象的な普遍的なもの一般であり、現実態つまり形式がはじめて活動であり、実現するものであり、自己を自己と関係づける否定性である。質料はたんに可能性であり、形相がそれに現実性を与える。一方、形相も質料ないし可能性なしにはありえない。現実態が具体的な主体性であり、可能性が客観的なものである。プラトンの場合、肯定的原理である理念(イデア)はたんに抽象的に自己自身とひとしいものであり、圧倒的な威力であるが、アリストテレスではそれは否定性の契機であるとされている。
 形相(現実性)の質料(可能性)の対立の運動は実体の様々なあり方を示すことになる。アリストテレスはこの一連の様々な実体のあり方を感性的感覚的実体、活動性が入ってくる実体(現実態一般)、可能態と完成態との統一として、順次考察していったのだとして、その中身が紹介されている。

<報告者コメント>

 ここでは、アリストテレスがヘラクレイトスやエレア派に対抗して普遍的なものに固執する一方、ピュタゴラス派やプラトンに反対して活動という概念を主張したという点が興味深かった。なぜアリストテレスがこのように先人の見解を批判できるようになったのかについては、『哲学・論理学研究』で次のように説かれている。

「アリストテレスはいきなり四原因(いわゆる質料因、形相因、始動因、目的因)なるものを考えて、そこから先人の説を批判できたわけではなく、むしろ先人の見解を学んでいく中で、それらを見渡していく実力がついていき、やがてそれら見渡したものをまとめていける実力がついていったものと思われる。この、まとめていくという過程において、論理能力が徐々についていったはず、だからである。」(pp.77-78)

 つまり、アリストテレスは先人の見解を学び、それらをまとめていくなかで論理能力を身につけていったのだということである。それによって、先人の見解を批判できるレベルに至ったのだと言えるだろう。
 これは学問構築を目指す我々としても意識的に取り組んでいかなければならないものだと言えるだろう。例えば、それぞれの専門分野における偉人の学説を取り上げ、その内容をしっかりと学び、論理的に把握するという作業がアリストテレスの研鑽に相当すると言えるだろう。あるいは、自らの学んだ内容や以前に書いた小論の内容などをまとめ直す作業もよいかもしれない。いずれにせよ、こうしたアリストテレスの歩んだ道を我々も意識的に歩んでいくべきであろう。


2.アリストテレスの自然哲学とはどのようなものか(自然・目的・必然性について)

 アリストテレスの自然哲学に関わっては、まずアリストテレスが自然をどう捉えたかを確認した上で、その中で重要となる目的と必然性という概念について検討している。
 ヘーゲルによれば、アリストテレスは自然を生命として捉えた。つまり、自然はそれ自身のうちに目的をもち、自分自身の固有の内容にしたがって変化を適宜制御し、そのことによって変化しながらも自己を維持するということである。そして、アリストテレスは、自然に内在する合目的性に着目し、必然性をこの合目的性の外的条件と見たのだと説かれている。
 何かがある姿をとると、それははじめからそのように存在していたということである。これが合目的性であり、実現される目的がそれの自然(本性)であるとヘーゲルは言う。ある事物の自然(本性)とは普遍的なものであり、自己を自己自身から突き放して自己を実現し、自己を生み出す自己同一的なものである。可能的なもの(質料)は合目的なもの、すなわち特定の概念(形相)への手段であり、その結果この手段によって諸契機が確定される。目的とは他者において自己を再興するものという概念である。自然は自分自身に自分の手段をそなえており、この手段が目的でもある。自然におけるこの目的は自然の理法であり、真に理性的なものである。一方、必然性については、アリストテレスがたんなる外的必然性に反対していることに触れられており、「必然的なものはただ質料として関わるだけである」という言葉が引用されている。
 目的と質料(必然的なもの)の両方が原理として立てられるべきだが、目的の方が質料に対してより高い原理であり、真の根拠であり、他を動かすものであるとされている。

<報告者コメント>

 ここでは、自然が自分自身のうちに目的をもって変化していくというアリストテレスの自然観が興味深かった。これは合目的性を必然性よりも高い原理だとするというものだが、このような捉え方は、絶対精神が定められたゴールに向かって自己運動していくというヘーゲルの捉え方に非常に近いものがあると言えるだろう。
 ところが中世から近代に至る過程において、この合目的性を問うという認識が失われていくこととなる。この点については、ブログに掲載された『科学はどのように発展してきたのか』に以下のように論じられている。

「神の意志(目的)そのものは人間の理性では把握できないもの、すなわち『信仰の領域』に属するものだとされる一方、神の意志の顕現である自然の諸現象については、人間の理性でも把握できる『知識の領域』に属するものだとされるようになっていったのです。神の目的を問うことの放棄は、“どのように(方法)”を問うこと、つまり、個々の事物の機能の仕方を問うことに専心しようとする新しい認識理想の登場を準備するものとなりました。」

 つまり、自然は神が動かしているものであるという自然観にもとづき、その神の意志(目的)はとうてい把握することができないから、どのように動いているのかを問うようになったということである。ヘーゲルはこのような近代的な自然観との対比で、合目的性を取り上げたアリストテレスを評価しているのだと言えるだろう。
 一方で、アリストテレスとヘーゲルの違いについても見ておく必要がある。この点については、『哲学・論理学研究』で以下のように述べられている。

「アリストテレスとヘーゲルとでは『自然』と言った場合でも説いていることが大きく違う、ということである。何がどう大きく違うのかと言えば、ヘーゲルでは単に自然の現象形態を見てそこから論理化するというのではなくて、(単なる現象形態しか見てとれない当時の自然研究者らを批判もしている)、自然から精神に至るまでの絶対精神の生成発展の在り方を、自然そのものの現象形態の内部に、深奥に視てとっているのである。」(pp.91-92)

 アリストテレスの場合、可能態と現実態の例で出されるのは、木→材木→家という非常に現象的な変化である。このようにアリストテレスは自然の現象形態から論理化したけれども、ヘーゲルはその構造に踏み込んだということになるのではないだろうか。


3.アリストテレスの自然哲学はどのようなものか(自然の様々な対象の概念に関わって)

 このように目的と必然性の概念について検討した上で、ヘーゲルは、自然の様々な対象の概念に関するアリストテレスの議論を扱っている。
 運動について、アリストテレスは可能態から現実態への移行であると規定したとされている。運動は動かすものによる動かされるものの活動であり、動かすものの活動も動かされるものの活動であって、両者のひとつの活動であるとされる。場所(空間)については、アリストテレスが場所は物体であるかどうか、空虚は存在するかどうかという問題を扱ったことが書かれている。アリストテレスは場所が物体であれば、同じところに2つの物体があることになるため、場所は物体ではないとした上で、最初の不動のものとして取りかこむものの最初の不動の限界であると規定した。また空虚の問題については、空虚がなければ物体は運動することができず、比重の変化も生じ得ないという考えにアリストテレスが反論し、空虚が存在しないことを示したとされている。時間については、「私たちは運動に前後を認めるとき、時間が存在する」ということを指摘したことなどが紹介されている。
 以上は純粋な運動についての議論であるが、続いてヘーゲルは、物における運動についてのアリストテレスの論を確認していく。運動のうち「どこへ」が「どこから」より重要な運動が変化だという。この変化がアリストテレスにおいては、@非主体から非主体への変化、A主体から主体への変化、B非主体から主体への変化、C主体から非主体への変化とさらに細かく分類されていることを確認した上で、これを踏まえてゼノンの弁証法(無限の可分性の問題)や原子論に対してのアリストテレスの見解が紹介されている。
 また、ヘーゲルによれば、アリストテレスは絶対的な運動は円運動であるとし、絶対的な円運動がなすものは重くも軽くもないと主張した。アリストテレスの元素論の出発点は重いものと軽いもの(引力と遠心力)であり、具体的には火、土、空気、水だとされた。さらに「暖と寒、乾と湿」という原理を挙げ、@暖にして乾→火、A暖にして湿→空気、B寒にして湿→水、C寒にして乾→土と捉えた。ところが、円運動がなすものは重くも軽くもないのだから、土、火、空気、水とは異なっており、エーテルと呼ばれた。
 しかし、ヘーゲルは、アリストテレスのこうした説明では個々の元素は概念的に捉えられていないし、まとまった全体になっていないために不十分だと評価している。そして、普遍的な自然過程の考察においては、単純な規定そのものが妥当しなくなっていて、その効用をすっかり失っていると言う。暖、湿など自身を過程の概念のもとに引き下ろされねばならないが、経験的現象が思考の手に負えなくなっているのだとしている。

<報告者コメント>

 アリストテレスの時間論・空間論に関わってはこれまでも何度もゼミで扱ったが、そこで説かれていたことは、時間にしても空間にしても、あくまで物体(物質)の存在が前提となっているということである。ただし、物質の運動なり物質の存在なりからひとたび時間や空間という概念が人間のアタマの中に成立すれば、それでもって外界に問いかけることになるため、あたかも時間や空間が客観的に存在するかのように捉えてしまうということであった。このように、どのようにして時間や空間といった概念が成立してきたかを押さえておくことが重要であろう。
 アリストテレスの四元素については、山本光雄『アリストテレス』では次のように解説されている。

「それ(元素)についてアリストテレスは『物体の分割された最後のもの、もはや種を異にする他のものには分割され得ない終極のもの』と言っている。このようなものとしてエンペドクレスは土、水、空気、火の四つをあげた。しかしアリストテレスにとってはそれらはまだ終極のものではなかった。その終極のものは、どうしてもそれらの根底にあると論理的に考えなければならない物質であった。というのはいわゆる四元素は現に生成消滅しているので、それらは相互に転換するものと考えざるを得ないし、相互に転換しうるためには、それらに共通な或るものがあると考えなければならないからである。彼はこれを第一質料と呼んでいる。」(pp.69-70)

 つまり、エンペドクレスは土、水、空気、火の4つを元素としたが、互いに変化しうる以上、その根底にある共通のものが存在するはずだということである。こうしたアリストテレスの主張は、過去の哲学者の見解を批判的に継承したものとして評価することができるだろう。
 しかし、その共通のものとして温・冷、乾・湿を挙げ、それらの組み合わせで土、水、空気、火が成り立っているということ、その根拠として、「物体のすべてに共通な性質は『触れ得る』ということであるから、物体に共通な元素もまた『触れ得る』性質をもたなければならない」(山本光雄『アリストテレス』p.71)などは、やはり現象論レベルだということができるだろう。

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 この報告レジュメに対しては,アリストテレスが現象論レベルということの考察は,自分なりになされていてよいが,アリストテレスと違って「ヘーゲルはその構造に踏み込んだ」ということの根拠が不明である,何の例もあげていないので不十分な書き方になっている,という指摘がありました。観念論で構造に踏み込むとはどういうことなのか,この問題は簡単に結論づけられないのではないか,という指摘でした。レジュメ報告者も,アリストテレスが現象論レベルであったのだから,ヘーゲルは構造に踏み込んだということではないかというくらいの推論で書いてしまったと,反省していました。

 次回からは4回にわたって,今回の範囲の要約を掲載していく予定です。
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 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
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 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
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 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する