2015年12月06日

英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―(5/5)

(5)人類史を踏まえた将来の国家像こそが教育改革には必須である

 本稿は、施光恒『英語化は愚民化』の書評という形で、「早期化」と「コミュニケーション重視」を中心とした英語教育改革の是非について検討してきました。ここで、これまでの内容を振り返ってみましょう。

 まず、なぜ「早期化」と「コミュニケーション重視」を中心とした英語教育改革が進められているのかを見てきました。その背景には新自由主義者の思惑があるということでした。内需が落ち込んでデフレ不況となった日本経済を立て直すためには、外需を獲得したり、海外からの投資を増やしたりすることが必要だと考え、外需を獲得するために英語でのコミュニケーションができる企業人や、英語で行政手続きがしやすいように英語ができる公務員を求めているのです。そのための英語教育改革なのだということでした。これに対して、施氏はデフレ不況を立て直すためには内需を回復させることこそが重要なのだということ、また外需を獲得するとは相手国の内需を奪うものであることを主張していました。しかし、外需の獲得を目指すとは内需を無視するということであり、決して日本社会(日本経済)そのものの復興につながらないということ、新自由主義者は国家の発展=大企業の発展と考えているようであるが、決してこの2つは直接つながるものではなく、国家の発展を矮小化した捉え方だと指摘したのでした。

 続いて、現在の英語教育改革が進められれば日本はどのようになっていくのかを検討しました。これに関して、施氏は社会の階層化・二極化が進んでしまうということ、日本語による日本人らしさや日本の良さを破壊してしまうということを挙げていました。第二言語の習得は、経済的・時間的余裕に恵まれている上層階級の方が圧倒的に有利になります。したがって、経済的な格差が第二言語の運用能力の格差として現れ、これが教育格差となり職業選択に大きな影響を及ぼし、社会的な格差を生んでしまうということでした。そもそも民主政治が成立するためには連帯意識が必要であるのに、このような格差が生まれてしまえば、民主政治が成り立たないということでした。また施氏は、言語は単なる「ツール」以上のものであり、使う人の自我の在り方、世の中の見方全体に影響を与えるものだとし、日本語は、幼児期から英語を学んでしまうと、日本らしい「思いやり」「気配り」「譲り合い」の精神が失われてしまうと主張していました。第一の点については、そもそも産業革命が進展して資本家と労働者の対立が激しくなった時代、こうした階級対立によって社会が滅んでしまうことを防ぐために、教育格差をなくし社会的な連帯を保とうとする動きが現れ、統一学校という形で実現したという歴史的な経緯を踏まえた上で、英語教育改革によって教育格差を生むことを助長するという施氏の主張は十分考慮すべきものであることを指摘しました。また第二の点については、そもそも言語は認識の表現であり、言語の背後には認識が存在しているということ、したがって、日本語の背後には日本人の認識が含まれているのであり、日本語を学ぶとはその日本人の認識を学ぶことであり、それによって日本人としての感性や考え方を身につけるという側面があるのだということを指摘しました。こうした観点からすれば、まだまだそれが身についていない時期から英語教育を行うことは、日本人を育てる教育としては問題のある改革だということを説きました。

 最後に、なぜ日本で英語教育が必要なのかという必然性が本書では説かれていないことを踏まえて、この点を明らかにするとともに、日本における英語教育はどうあるべきかについて検討しました。そもそも(日本の)教育とは(日本)社会の維持・発展を担う人間(日本人)を育てることであり、そのために必要な文化遺産を継承させることであるという一般論を踏まえた上で、言語教育は文化遺産を継承させるための土台だということを確認しました。日本の英語教育は英語圏の文化遺産を学ばせるために必要なのであり、それが行われるようになってきたということは、英語圏の文化を学ばせる必要が出てきたということ、日本が諸外国との関わりの中で、日本は日本であると同時に諸外国でもある(日本文化と諸外国の文化が混ざり合っている)ようになったということでした。その上で、日本における英語教育のあり方を見てきました。在留外国人の推移から今後も日常生活や多くの仕事に英語のコミュニケーションが常態化することはなく、あっても「用事を済ませる」レベルであるから、そのための英語教育を行うのは本質から外れているのであり、コミュニケーションはそれが必要な職業に就いた場合に訓練すべきだと主張しました。ただし、それが可能となるための最低限の英語の力は全国民を対象とした義務教育で育てるべきであり、それは従来から行われている読み書きだということでした。読み書きを瞬時に行えてこそ、コミュニケーションが可能となるからです。とりわけ英語を読む機会は誰でも日常生活の中に存在しうるものであるから、「読むこと」こそ日本の英語教育において重視すべき点だと指摘しました。

 ここまで振り返ってみたときに、新自由主義に基づく現在の英語教育改革は、これまで歴史的に積み上げられてきた文化遺産を捨て去るものだと言うことができるでしょう。そもそも新自由主義そのものが大企業の自由な活動を求めて、歴史的に生まれてきた国家的な規制を打ち捨てようとするものでした。そして、それに基づく英語教育改革は、上層階級と下層階級という階級の対立を緩和し、社会を維持・発展させていくために教育格差をなくそうとしてきた人類の歩みと反対の方向に進む可能性のあるものだということでした。そして、日本が行ってきた読み書きを中心の英語教育を否定して、コミュニケーションを重視した英語教育に転換しようとするものなのでした。

 施氏によれば、英語教育改革の背後には以下のような歴史観があるとされています。
村落共同体→国民国家→地域共同体→世界政府(グローバル市場・グローバル統治)

 つまり、身近な土着の小さな社会が、より大きく普遍的な世界に統合されていく過程として人間の歴史を捉えているのです。国家的規制を廃そうとする新自由主義は、まさにこの歴史観に則っていると言えます。しかし、今まで見てきたように、この歴史観に立てば、これまで人類が歴史的に創り上げてきた文化遺産を打ち捨てることになります。それは果たして正しいものだと言えるのでしょうか。

 こうした新自由主義の歴史観に代わる新たなものを提示しなければなりませんが、施氏もそこまではできていません。というよりも、施氏はこのグローバル化史観の批判を強調しすぎるあまり、人類の歴史的な歩みには法則性があるという考え方(施氏は「歴史法則主義」と呼んでいます)そのものを否定しています。これではこれからの世界や日本がどう進んで行くのかが予測不可能ということになってしまいます。

 そもそも教育とは社会の維持・発展を担う人間を育てることです。したがって、その社会がどのように変化・発展していくのか、ここをしっかりと予測することなしには教育を論じることはできません。人類史を踏まえて、これからの世界の姿を予測し、あるべき国家像を描くことが求められるのです。ここを明確に打ち出し、あるべき教育改革について論じていくことが私の使命であることを確認し、本稿を終えたいと思います。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
昭和37年大学卒業後、なぜか海外で仕事がしたいと考え、昭和41年南米に三年間駐在し、その後、アジア、中近東で仕事をしてきました。
その戦後の海外進出黎明期からの悪戦苦闘の体験から、海外の言葉の修得と異文化コミュニケーションで苦労を重ねました。
そして、最近、にわかに小学校から英語を学ぶということが三年後から実施されるということが現実化しました。
私の英語学習の基本は、鳥飼玖美子著「危うし!小学校英語」を読んで、彼女の主張に全く同感しました。
実業界では「使える英語」の教育要請が強いようです。そして英語コンプレックスの母親父親が、早期(小学生)から英語をやれば上手になる、と期待する世論でこうなっているようです。しかし、そんな期待は、やはりやる気と基本(文法、模範的な文章の熟読、文章を書く)を地道に努力して積み重ねること、それができるのはやはり中学生からだと私は思います。
鳥飼さんは私より一回り下の世代ですが、同時通訳や万博番組などでよく観ていました。
彼女の英語力の背景には相当なやる気と地道な努力があったようです。
私は建設プロジェクト関係の英文入札書類や契約書類を学ぶのに相当苦労しました。当時我が国にはこれらの英語を教える大学の先生もいませんでした。むしろ工業英語の時間に先生の間違いを指摘した程度のレベルでした。
それでも仕事の必要上、悪戦苦闘、英国エンジニア連中に質問攻めで何とかものにできました。
しかし、英語で文章を書き、発言する、会話するためには、自分の考えをきちんと確立しなければできないことも実感しました。
英語教育改革についての貴殿の分析・提案にも同感しました。
Posted by at 2017年03月23日 15:44
貴重な体験を紹介していただき、
ありがとうございます。

読ませていただいて、
英語を使えるようになるには、
使わざるを得ない状況にいることが
必要不可欠なのだと感じました。

そういう観点から言えば、
日本では誰もが英語を日常的に
使えないといけないという状況にはないですし、
逆に英語が求められる職業の人は、
学校教育で培った土台を生かして、
しっかり英語が使えるようになっています。

それを踏まえれば、日本の場合、
これまでのように、
読み書きを中心とした英語教育で
大きな問題はないのではないかと考えています。
Posted by ortho at 2017年03月27日 17:07
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 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
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 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史