2015年11月23日

2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 これまで、ヘーゲル『哲学史』のプラトン弁証法、自然哲学、精神の哲学が論じられている部分を扱った我が研究会の2015年10月例会について、報告レジュメおよび当該部分を要約した文章を紹介した上で、諸々にたたかわされた議論について、大きく3つの論点に整理して報告してきました。

 10月例会報告の最終回となる今回は、参加していたメンバーの感想を紹介することにしましょう。なお、次回11月例会は、アリストテレスの形而上学、自然哲学が論じられている部分を扱います。

 それでは、以下、参加者の感想です。

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 今回の例会では、プラトン哲学の内実として、その弁証法、自然哲学、精神の哲学を扱った。非常に難解な範囲であり、例会1週間前に提出することになっている論点への見解では、全く不十分な見解しか書けなかった。しかし、その後の1週間で、該当範囲を読み返し、他のメンバーの見解やチューターがまとめてくれた内容を読んでいくうちに、そして当日の議論を通じて、ヘーゲルがどういう像を描いていたのかがおぼろげながら分かったきたことであった。

 それはどういうことかというと、ヘーゲルによれば、哲学史の発展は絶対精神の発展であって、絶対精神は一度自然に外化したものの、そこから再び精神へと復帰するのであるが、この精神に復帰した絶対精神は、当初、自分が絶対精神であって全世界の本質であることが分からない状態であった。しかし、おぼろげながらも世界の本質というものが、感性的な現象的世界とは別のものであるという直観は持っていたのであった。この段階がアナクサゴラスのヌースである。ここから、現象界とは異なった世界の原理というものは、実は人間の中にあるのだということに気づき始めたのがソクラテスであって、その後のソクラテス派は、その世界の原理(主観的意識)から諸々の外的世界の現象を何とか説明しようとしていったのであった。こうした過程を経て、プラトンにおいては、外的世界にはその本質としてのイデア、さらにイデアのイデアとしての善のイデア(神)というものがあるのではないか、という理解にまで達したのもの、その神こそ絶対精神としての自分自身であるとの理解に達することが出来ず、そのため、その神と外的現象的世界を媒介させることが充分にできなかった、ということではないかと思われる。すなわち、世界の原理たる主観的意識から現実の現象的世界を何とか説明しようという過程において、表象レベルの神にまで達したものの、それが最後まで曲げ返されず、ヘーゲルのいう環が閉じなかった、精神→自然→表象的な神までは円環が進んだものの、精神→自然→表象的な神=精神として円環が閉じられることはプラトン段階においてはなかったのだ、これがヘーゲルが描いていた像ではないかということである。

 いずれにしても、もっと徹底的に『哲学史』を読み込み、それをどのように把握するのかを考察する時間を十分に持つ必要がある。これなしでは、自らの学問が創出できないのだという覚悟を持って臨んでいきたいと思った。

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 今回の例会では、論点への見解の作成にかなり苦労したが、その中でも『弁証法はどういう科学か』を導きの糸として、自分なりの見解を出せた点はよかったと思う。これは論点2に関わるものである。そこでは、「具体的なあり方からすれば、神は一つの推論であって、この推論は自己自身との区別を通じて自己自身と一緒になるという形で、媒介の揚棄を通じて自己を復興する直接性なのである」とはどういうことかが問題となったが、ここで媒介と直接性という言葉をもとにして、絶対精神が対象となる客観的な世界を見つめることにより、自らが絶対精神であることに気づくということなのではないかという見解を提出した。これまで「実体の世界」と「学問の世界」という対立の構図が提起されてきていたわけであるが、それとの整合性もあるだろうと判断してこのような見解を提出した。また、「自己の曲げ返し」というキーワードともつながりそうであると考えたわけであるが、やはり三浦さんや吉本さん、南郷先生の論を導きの糸としてヘーゲルの論の展開を1つ1つ読み解いていくということが非常に重要なのだということを感じた。

 また、研究会での討議を通して、自分自身が十分に把握できなかったプラトンの国家論とヘーゲルの国家論について理解を深めることができたこともよかったと感じている。プラトンは国家の実体というべき社会的労働に着目し、ヘーゲルは国家意志と個人意志との調和という構造を取り上げているということであったが、これは現象論レベルの国家論から構造論レベルの国家論へと深化したのだということができるようにも思った。(「現象論」「構造論」という概念も、南郷学派の論理である。)

 次回はいよいよアリストテレスとなるが、三浦さんや南郷学派の概念でもってしっかりと捉え返していくことを意識して、読み込んでいきたいと思う。

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 今回の例会で大きなポイントだと思ったのは,プラトンの弁証法をヘーゲルがどのように捉えているかという点であった。端的には,絶対的なイデアが諸々の対立する規定を含みこんで自己を具体的なものとしていくという必然的な自己運動を,ヘーゲルはプラトンの弁証法であると捉えているということであった。またこれをヘーゲルは「滅ぼし合う対立物の統一」と呼んでいるのであった。プラトン自身は明確に説ききれていないようであるが,この弁証法的なイデアの自己規定によって,自然も社会もできあがっていったと説いたのが,プラトンだったように思われる。絶対精神の自己運動としてのプラトン的段階としては,絶対精神が自然を眺めて研究し,その本質がイデアであることを見抜き,そのイデアなるものは実は自分自身であるということに気付きはじめたというレベルだということができると思う。吉本隆明の言葉を使って言うと,実体の世界と学問の世界が明確に区別された上で,両者が一致する方向へと歩み出したのがプラトンの段階であった,とも言えそうである。

 1つ疑問に思ったのは,プラトンの弁証法が,端的にいうと「対立物の統一」であるとするならば,カントの弁証法やレーニンが説く弁証法と,どのような違いがあるのだろうかという点である。おそらくカントも,二律背反として,世界は対立物の統一であると説いたのであろうし,レーニンも弁証法を端的には対立物の統一に関する学問であると規定している。そうであるならば,これはプラトンの弁証法と同じということにならないだろうか。おそらく,ごく素朴な形で対立物の統一が説かれるようになったのがプラトンの段階であり,プラトン自身は明確に「対立物の統一」という論理的把握にまでは達していないが,それがカントの段階で,それまでの自然科学の発展を踏まえて世界を二律背反であるとまで規定できた,レーニンはこういった弁証法の発展の歴史を踏まえて端的に規定した,ということなのであろう。プラトンとアリストテレスがセットであり,カントとヘーゲルがセットであるとどこかで南郷継正先生が説かれていたように思うので,今の解釈は保留しつつも念頭に置いておき,ヘーゲル『哲学史』のアリストテレスやカントの部分を読んでいきたいと思う。

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 今回の例会には、チューターとして、扱う範囲の要約、各自から提起された論点の整理、各メンバーから提出された見解へのコメントの作成といった作業を行った上で、例会に臨んだ。率直にいって、今回の範囲はかなり難解(とりわけ、弁証法、自然哲学の部分は)であり、要約には非常に苦労したのだが、何が何でも要約を作成しなければならないのだという責任感があったからこそ何とか読みとることができたと思うし、逆からいえば、要約作業を実際に進めていくことによってこそ内容をそれなりに読みとることができたのだ、といえるように思う。

 論点に対する自身の見解の作成については、この難解極まりない範囲においてきちんとチューターとしての役割を果たさなければならない! という決意のもと、相当に気合を入れて取り組んだと自負している。論点の提起の段階ではまだまだ漠然としていたものが、論点への見解の執筆を通じてだんだんと明瞭になっていった。プラトン弁証法やプラトンの神概念についてのヘーゲルの把握を理解する上では、「本当の学問の成立」(吉本隆明)は直接に「本当の宗教(神概念)の成立」でもあるのだというヘーゲル観念論体系の特質をしっかりと押さえておくことが決定的に大切であると明瞭にすることができたのは、非常に大きな収穫であった。また、プラトンの時間・空間論についても、論点への見解の作成を通じて、それなりの把握(時間は諸天体の運動の枠組み、空間は地上の諸物体の運動の枠組みとして登場させられるもので、永遠のもの(絶対的に不動のもの)が、変化してやまない感性的世界として登場するために具えなければならない二大側面として位置づけられている)が明瞭になったのもよかった。

 さらに、各メンバーから提出された見解へのコメント作成については、自身の見解を基準にしつつ、議論をどのように収斂させていくか、それなりの見通しをもってまとめることができたと思う。コメント作成の過程で、解釈の困難な個所について、ドイツ語原文、真下信一訳、長谷川宏訳の三者を比較するという作業もやってみたのだが、これは非常に面白くてためになった。

 例会当日の議論については、限られた時間において論点を消化しきれるか不安があったのだが、何とかこなすことができてよかった。例会当日の議論の運営においては、チューターはチューターとして議論の展開についての見通しをもちつつも、あまり出しゃばりすぎてはいけない、あえて発言を控えて他のメンバーに自由に討論してもらうという場面をつくらなければならない、というようなことも意識したのだが、そういう議論の展開によっては、チューターが意図していたのとは微妙に異なる方向に進んでしまうこともあるのであって、そうした事態に対してもチューターとしては余裕をもって対処していかなければならないのだ、ということを痛感させられた。ここはなかなか難しいところであるが、次にチューターを担う際には、そういうことも含めて、より的確に議論の展開を支配できるように、努力を重ねていきたい。

 例会での議論を通じては、絶対精神の自己意識という問題について明瞭になったのがよかった。絶対精神は自然から分離して自分が精神であることを自覚し始めて……といった形で漠然と語られていたのであるが、その絶対精神の自己意識とは何なのか、という問題である。これは端的には、個々の人間としての意識(ソクラテスとしての自己意識、プラトンとしての自己意識)でしかありえないのである。あるいは、共同体から分離した個人という意識が不明瞭であれば、アテナイ市民としての意識とか、エジプト人としての意識、ということになるであろう。絶対精神の自己意識とは現実にはそういうものとしてあるのだということを明確に押さえた上で、絶対精神が自己が何者であるかを明瞭にしていく過程として、ヘーゲルの説く哲学史なり哲学的世界歴史なりを理解していかなければならないのだ、ということを考えさせられた。
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 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
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 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
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 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
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 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言