2015年11月14日

2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法 要約
(3)ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法(続) 要約
(4)ヘーゲル『哲学史』プラトン 自然哲学 要約
(5)ヘーゲル『哲学史』プラトン 精神の哲学 要約
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:プラトンの弁証法とはどういうものか
(8)論点2:プラトンの自然哲学とはどういうものか
(9)論点3:プラトンの精神の哲学とはどういうものか
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、今年および来年の2年間の予定で、ヘーゲル『哲学史』(岩波全集版)に取り組んでいます。一昨年のヘーゲル『歴史哲学』、昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて、この『哲学史』を通読することで、ヘーゲルが描く哲学史の流れを理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた第一歩を確実に歩んでいくことを課題としているわけです。

 10月例会では、プラトンの弁証法、自然哲学、精神の哲学について論じられている部分を扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

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京都弁証法認識論研究会  2015年10月例会
ヘーゲル『哲学史』 プラトン 弁証法〜精神の哲学

【1】弁証法
 ヘーゲルは、真の弁証法は純粋な概念の必然的運動を示すものであり、対立した概念の統一こそがプラトンに見られるとしている。また、プラトンの弁証法には、特殊なものを混乱させ、普遍的なものを生み出すというほかに、この普遍的なものを内容的にさらに規定するという側面もあると説く。このようなプラトンの弁証法は、思弁的であるから、否定的な成果をもって終わることなく、かえって、相互に滅ぼし合う対立物の統一を示すという。
 ヘーゲルは『パルメニデス』はプラトン弁証法のもっとも有名な傑作であり、その根本主題は一と多の対立の解決であると説いている。ヘーゲルによると、神的存在者には自己自身の内への曲げ返しという契機が不可欠であるが、概念こそは、自己の内に立ちもどったものであるとともに、またそれ自身としても存在するものである。だがプラトンは、事物のこの本質が実は神的存在者と同じであることをはっきり説いていないと、ヘーゲルはいう。
 『ソフィステス』では、存在と非存在の対立の解決が主題であるが、この解説部分で、ヘーゲルは、諸々のイデアを統一することこそが、本当の弁証法の仕事であると説き、プラトン弁証法は、普通の意味での普遍的弁証法、およびエレア派の弁証法に対して戦うと述べている。
さらにヘーゲルは、『ピレボス』において、快楽の本性が探究され、特に無限なものと有限なもの対立が問題にされるとしている。プラトンがもつとされる4つの規定、すなわち、無限定なもの、規定されたもの、両者の混ざったもの、原因のうち、ヘーゲルは原因こそが区別されたものの一体性であり、主体性であり、対立物に対する支配力であるし、世界を司るところの神的理性であるとしている。

〔報告者コメント〕
 ヘーゲルは、プラトン弁証法は「相互に滅ぼし合う対立物の統一」であるという。これは、何か安直に結論できるような対立物の統一ではなくて、ヘーゲル流にいえば、「純粋な概念の必然的運動」の結果(果てに)、ようやくにして実現するような真の対立物の統一である、ということではないだろうか。プラトンはその対話篇の中で、パルメニデスやヘラクレイトスなど、プラトン以前の哲学者の説を登場させ、それらを踏まえた対話によって、それらの説を否定しきるのではなく、止揚することによって自らのイデア論を打ち立てている。これは、ヘーゲル流にいえば「純粋な概念の必然的運動」であろうが、唯物論の立場からすれば、無数の討論の結果、ようやく諸々の対立する見解を統一するような高次な見解が出てくる、ということを意味していると考えられる。要するに、対話に次ぐ対話、討論に次ぐ討論によって、諸々の見解が止揚されていって、一つの統一した見解が生まれるということこそが、プラトンのいう弁証法だと考えられる。このような弁証法を、ヘーゲルは高く評価しているのであろう。


【2】自然哲学
 ヘーゲルは、『ティマイオス』において、イデアが具体的な被規定性として出てくると説いている。プラトンは、世界は神的なイデア界の似姿であり、神的理性の芸術作品であるとしている。
 プラトンは、火なしでは何ものもみられず、地なしでは何もの触れることができないのだから、神は始めに火と地を造った、という。そして、両者をつなぐきずなは主体的、個体的なものであって、他のものを侵してそれと自己を同一にする力であるとされる。これをヘーゲルは概念を含んだ純粋な表現であると評価している。ヘーゲルは、思弁的内容の主眼点は、相互に結合する両端の同一性であって、換言すれば、中間のものにおいて表わされた主語は、何か他のものとではなく、かえって自己ならぬ他のものを通じまたこの他のもののなかで自己自身と一緒になるような何らかの内容であり、これが言葉を換えれば神の本性なのであると説いている。
 さらにプラトンは、神は火と地の間に空気と水を置き入れ、世界に心を与え、自己自身に知られなじんだ存在者を成立せしめ、世界を至福至幸なる神として生んだ、という。ヘーゲルはここに関して、世界心によってひとつの全体性となる世界にこそ、イデアの認識が存するのであり、中間者および同一性としてのこの創られた神にしてはじめて真の絶対的存在者といえると評価している。
 ヘーゲルはプラトンのいう時間にも触れている。プラトンは、永遠なものの模像として、天体の運動がある第二のものが存在し、数で表されるような運動をするこの永遠な像こそ、我々が時間と呼ぶところのものであるとしている。

〔報告者コメント〕
 非常に難解で、ヘーゲルが何を言おうとしているのかは、なかなか理解できない。しかし、ここは前節の「弁証法」の具体化として理解しなければならないのではないか、という気がする。火と地という対立物が、空気と水という媒介物と三位一体となって、止揚され、統一されて、この神的な世界は成立してきたのだ、プラトンの自然哲学を、ヘーゲルなりにとらえたのではないだろうか。ヘーゲルの捉えたプラトンの「神」概念も、他者になった後に、それを踏まえて自己に復帰するような自己運動する概念として捉えられているのだろう。


【3】精神の哲学
 ヘーゲルは、プラトンの学説中、精神の側面に属するもので我々の関心を惹くのは、人間の道徳的本性に関するプラトンの思想であり、これは『国家』で明らかにされているという。『国家』の最初の主題は正義とは何かであり、社会契約説を批判ながら、正義は国家においてのみ存在するとヘーゲルは説く。
 プラトンの『国家』は、何か理想を説いたように解釈されるが、ヘーゲルはそうではなく、ギリシャ道徳をその実体的なあり方において描いたのであり、ギリシャ的国家生活がプラトン的国家の真の内容を成すと断言する。そして、プラトン的国家では、個人が普遍性に対立するということがないという。プラトンは正義を立ち入って論じるなかで、道徳的共同体の器官を剖いて、道徳的有機体を生かす契機を3つの形態で考察している。身分としては治者(学者)、戦士、耕作者と手工業者であり、対応する徳としては、知、勇気、抑制であり、それらの土台として正義があるという。
 プラトンは、国家を維持するためには、各人の使命である仕事が各人の特有な在り方となり、個人の習俗的行為および意志として現存するようにしなければならないと説く。とりわけ、治者の人間形成は哲学によって行われるべきだとしているとヘーゲルは紹介している。
 最後にヘーゲルは、主体的自由の原理を排する立場こそ、プラトン的国家の主要な特徴であり、個体性のあらゆる側面が普遍的なものの内に解消されること、全ての人がただ普遍的人間としてのみ意味をもつことに、プラトン的国家の精神が本質的に存する、と主張している。

〔報告者コメント〕
 この部分は、プラトンの国家論として有名な箇所であろうが、単にプラトンの国家論の内容を理解するだけではなく、それをヘーゲルはどうとらえて、どう評価したのかを理解することが肝要であろう。ここでも、「弁証法」の箇所とつなげて理解することが大切だと思われる。
 ヘーゲルは、プラトンの国家を、いくつかの対立する徳の統一として把握しているのではないか。人間においてもいくつかの器官が調和的に統一して一人の人間となっているように、国家においてもいくつかの徳を備えた器官が調和的に統一することによって、有機体として存在できるのだ、ということを説いているのではないだろうか。
 また、国家を全体として捉え、その中に社会的労働が存在すると捉えている点も、評価に値するといえよう。社会契約説のように個々の人間がまずいて、それが集まって社会(国家)をつくるというのではなく、国家がなければ(社会的)労働も存在し得ないと考えているのである。プラトンの国家論が主体的自由の原理を排除している点をヘーゲルは否定的に見ているようであるが、ヘーゲル自身が説くように、哲学は時代の哲学なのであるから、しかたのないことであったのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以上の報告に対しては、ヘーゲルの言葉(翻訳された文章)そのままを使うのではなく、報告者なりの言葉に置き換えて分かりやすく説きなおす努力がみられ、それなりにポイントを押さえて流れは分かるように纏められているのではないか、という感想が出されました。報告者からは、難解な範囲であったこともあり、特に自然哲学の部分は表面をなぞったようなものにしかならなかった、という反省の弁も出されましたが、ともかく報告の形式として、自分なりの言葉に置き換えて説く努力を重ねていくことが大切だろう、という指摘もありました。
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 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する