2015年10月13日

2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回までに、例会で報告されたレジュメを紹介したあと、ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトンの要約を4回に分けて掲載し、次いで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介してきました。

 最終回となる今回は、例会を受けての参加者の感想を掲載しておきたいと思います。

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 今回の例会は、チューターとして論点の整理、論点への見解の整理を十分行うことができたのではないかと思う。ただ、特に論点3に関わっては、単に論点への見解としてまとめた内容を、ただ羅列的に確認していくという作業に終始してしまった感があり、そこを具体的に指摘され、ヨリ内容を深めていくことができたのは非常に良かった点でもあり、反省点でもあると思う。

 内容にかかわっては、何といっても、対象→認識(→表現)という唯物論的な把握の過程でもって、ソクラテスからソクラテス派を経てプラトンへと至る古代ギリシャ哲学の歴史を捉えることができたことがよかったと思う。具体的な中身については、論点についての討論過程の部分を参照していただくとして、端的にいえば、イデアという認識でもって現実世界たる対象を説明しようとするまでに、人類の社会的認識が徐々にではあるが発展してきた流れが、今回の例会で扱った部分であるということである。ここに至るまでの過程についても、個人としての意識の芽生えというキーワードのもとに、自分が自分であることを自覚していく(自と他とを明確に区別できるようになっていく)過程として、共同体と未分化であった個人の意識が、そこから徐々に分化していく過程として、対象と認識とが区別されていく大きな流れがイメージ出来てきたことは大きな収穫であったと思う。

 ここからさらに、プラトン当時の人々の認識においては、対象と認識というような明確な像はもちろんないのであって、ここはいわばこの世とあの世というようなイメージがぴったりくるのではないか、ということを話し合えたのもよかったと思う。これは大きくは世界観の問題であって、唯物論的な把握の仕方を当時の人々の認識として当てはめてしまうのは大きな間違いであるし、逆にヘーゲルのいわんとしていることを唯物論的に歪曲して把握しようとしてしまうことも大きな誤りである。常に世界観としての唯物論と観念論とをしっかりと区別して、どちらの立場で考えるのか、我々の視点で考えるのかヘーゲルの立場で考えるのか、しっかりと明確に意識してかかる必要があることを、今回の例会でも大きく学ばされたのであった。

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 今回の例会では報告担当に当っていたので、要約、論点の提起、整理された論点への見解の執筆に加えて、報告レジュメの作成にも取り組むことになった。要約作業については、8月の例会で扱った部分(ソフィスト派〜ソクラテス)に比べると、かなり順調に進めることができた。ヘーゲルの論旨は明快で把握しやすかったように思う。レジュメの作成にあたっては、今回も前回担当時(5月)に引き続き、ヘーゲルの文章の要約というのではなく、ブログ掲載用「ヘーゲル『哲学史』を読む」を書くような感覚で、主体的に、ヘーゲルの文章を支配しようというつもりで、書いてみた。報告者コメントでは、タレス以来の大きな流れを振り返りつつソクラテス派の位置づけを考えるという作業を、(ごく簡単なものであるが)やることができたのはよかったと思っている。

 また、そうした過程で、新刊『“夢”講義(6)』などで紹介されている吉本隆明の言、すなわち「ヘーゲルは、学問の世界と実体の世界とを二つ描いて、両方の図式の対がいわば重なり合うレベルで一致した時に、本当の学問の成立であるとしたのだ」(『“夢”講義(6)』、p.98)が大きなヒントになるのでは、という着想を得ることができた。すなわち、存在(個)と思惟(普遍)とが明瞭に区別され(前者が吉本のいわゆる「実体の世界」であり後者が吉本のいわゆる「学問の世界」である)、主観的意識は後者に属するものであること(善こそが人間の目的である!)が明瞭になったのがソクラテス段階であり、その善なるものから存在の世界(諸々の感性的な事物)に筋を通していく過程(吉本流にいえば、学問の世界と実体の世界をピッタリ重ね合わせるための過程)が始まるのがソクラテス派の段階なのだ、ということである。逆にいえば、ソクラテスよりも前の段階では、存在(個)と思惟(普遍)との区別が明瞭にはつけられず、混然一体となっていたということである(だからこそ、ヌースが必ずしも主観的なものとしてではなく、対象的なあり方として捉えられてしまうことにもなった)。

 以上は、漠然とした着想にすぎなかったのであるが、例会当日の議論において繰り返し説明を試みていくなかで、強い確信となっていった。その場では、ヘーゲルのいわゆる存在(個)と思惟(普遍)とは我々の言葉で端的にいえば対象(の世界)と認識(の世界)ということである、という趣旨の説明を繰り返し試みていたのであるが、そのことを通じて、当時のギリシャ哲学者たち、あるいはヘーゲル自身の捉え方と、唯物論者たらんとする我々の対象/認識の二分法との差異を明瞭にしておいた方がよいのではないかという思いが強くなっていき、ヘーゲルのいわゆる存在(個)/思惟(普遍)の対立というのは、あえていうならば、この世/あの世の二分法のようなものではないか、という着想を得るに至った。これは非常に大きな収穫であったと思う。

 一方で、エレア派が感性的な世界(見せかけの世界)と真実の世界との二分法を打ち建てていたとされるのは、どのように評価され得るのか、という疑問が新たに浮上してくる。このように読み進めていくなかで明瞭になった点を踏まえつつ、適宜、最初(『哲学史』序論)からの読み直しということをやっていく必要があることを痛感させられることになった。またそういう序論からの繰り返しの読み直しということこそ、『“夢”講義(6)』で説かれた正規分布的学びを実践することなのではないか、とも考えさせられた。

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 今回の例会では、ヘーゲルを読み解くにはやはり、南郷継正先生の学的成果(著作)から捉え返していくことが必須なのだということを痛感できた点がよかったと思う。ある会員が『学城』で説かれた吉本隆明の文言を、この古代ギリシャの哲学史理解に適用しようとした問題意識は、見事であった。ヘーゲル『哲学史』を読んでいても、つねに、南郷継正先生の説かれている内容を念頭の置き、それでもって問いかけることが必要だし、逆にいえば、いかなる時も南郷継正先生の著作を読み返して、当面しているヘーゲル『哲学史』の理解につなげてやるのだ!
との問題意識をもっておくことが、非常に重要なのだと感じた。

 我々は「対象→認識→表現」という過程的構造を、あたかも当たり前のごとく捉えているが、これは人類の認識が発展した結果として掴みとってきた過程的構造なのであって、人類の初期の段階から、把握されていたものであると考えてはいけない。哲学史を理解するためには、自分の自分化ではなく、自分の他人化、すなわち、当時の人類のレベルにしっかりとおりていくことが必要だということも痛感した。

 南郷先生の学的成果につなげていくという意味では、「生命の歴史」をしっかり学び、そこからヘーゲル『哲学史』を捉え返していく作業も必要だと感じている。「生命の歴史」は、いわば発展の一般性なのであるから、「哲学の歴史」も、そのあり方の少し変わったものであるにすぎない。だから、アバウトに見れば両者は一致しているのであり、「生命の歴史」の発展の論理構造を適用してこそ、「哲学の歴史」の発展の論理構造も浮かび上がってくるはずである。今後は、より意識的に「生命の歴史」を念頭に置いて、ヘーゲル『哲学史』を読み解いていきたい。

 細かい部分では、メガラ派が取り上げている問題、すなわち、「一粒は堆積物といえるか?」「一本毛を抜けば禿頭となるか?」などという問題が、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』で触れられている点も、興味深かった。三浦さんもしっかりとヘーゲル『哲学史』を勉強されたのだろう。われわれも、三浦さん以上にしっかりと学んでいくのだという強烈な目的意識をもって、今後もヘーゲル『哲学史』に挑んでいきたい。

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 今回の例会では、いつものとおり論点の提示と論点への見解の作成を行った上で臨んだのであるが、私個人としては、ソクラテス派とプラトンは何が違うのかという点に関わって、問題意識が異なるという点を指摘できた点はよかったと思う。つまりソクラテス派はあくまで個人としてどう生きるかという問題意識であったのに対して、プラトンは国家をどうしていくかという問題意識であったことを指摘できたのはよかったと思う。国家をどうしていくべきかという問題意識をもっていなければ、先人の文化遺産をまともに継承していくことはできないのではないか、などとも考えた。

 議論の中味に関わっては、メンバーの一人が吉本さんのヘーゲル論をもとに自説を展開しており、非常に理解が深まったと感じている。つまり、学問の世界と実体の世界がぴったり一致することが学問の成立であり、ソクラテスにおいて、この両者の世界が明確に分離し始め、ソクラテス派以後において、この両者を一致させようという動きが始まったのだということであった。あくまでもヘーゲルは自らを学問の最先端だと位置づけた上で、そこに至る過程として哲学史を論じているのであるから、このようにヘーゲルの主張をゴールとしてしっかりと意識して、各時代の哲学者の主張を位置づけていかなければならないのだと感じた。次回からこの点をより意識して読み解いていくようにしたいと思う。

 なお、今回の範囲では「髪の毛を一本抜けば禿になるかどうか」など、『弁証法はどういう科学か』で取り上げられている量質転化の例が出てきたのが興味深かった。三浦さんはヘーゲルの『哲学史』をしっかりと学んで、それを踏まえて基本書を執筆したのだということを感じた。三浦さんが辿った道のりを我々もしっかり辿り返さなければならないのだと思った。
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 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
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 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
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 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言