2015年08月18日

フロイト『精神分析入門』を読む(上)(2/5)

(2)錯誤行為は二つの意図の衝突によって生じる

 本稿は,「心理学=フロイトの精神分析」と誤解されるほど著名であるにもかかわらず,きちんと理解されているとは言い難いフロイトの理論を,フロイトの代表作である『精神分析入門』を読み解くことによって理解していくための論考です。「フロイト『精神分析入門』を読む(上)」と題した本稿では,その前半部分を扱います。

 では早速,『精神分析入門』の読解に入っていきたいと思います。今回は,フロイトが本書ではじめに取り上げている「錯誤行為」(「失錯行為」とか「しくじり」とか訳される場合もあります)に関する部分を扱います。

 フロイトの言う錯誤行為とは,たとえば,言い違いとか書き違い,読み違い,聞き違いや度忘れ,置き忘れ,紛失などの,誰もが犯しがちなちょっとした間違いのことです。フロイトはなぜ,このような対象から説き始めているのでしょうか。フロイトはすでに1901年の段階で『日常生活に於ける精神病理』(岩波文庫)という著作を発表して,錯誤行為についての研究成果を世に問うています。おそらく,こういった研究を通して,錯誤行為が発生するメカニズムと神経症の発症のメカニズムの共通性に気がついたのでしょう。そして,誰もがなじみがあるとはいえない神経症の話をする前提として,誰もが知っており,とっつきやすい錯誤行為の話から始めて,スムーズに精神分析を理解してもらうことを狙っていたのだと考えらえます。

 フロイトは,精神分析の観察の材料は,他の学問ではとるにたらないものとして捨てて顧みられないようなことから成り立っていると説いています。そして,小さな問題も大きな問題も,すべてはつながっているのだから,なんの予断もなんの期待ももたずに,白紙の態度で研究を根本から始めて,幸運に恵まれさえすれば,まったく地味な研究からでも,大問題を研究する糸口がひらけてくるのである,と主張しているのです。では,錯誤行為の研究から,どのようなことが分かってきたのでしょうか。

 精神分析を知らない人に対して,錯誤行為がどうして起こるのか尋ねてみると,ちょっとした偶然だと答えるだろうとフロイトは説きます。確かに,言い違いとか聞き違いなどは,特別の理由などはなく,単なる偶然によって起こるのだ,というのが世間一般の理解ではないでしょうか。ところが,フロイトは,偶然に帰すると,自然界の決定論(原因があって結果が起こるという考え方)を破ることになり,学問的な世界観(世界には何らかの法則性・必然性が貫かれているとする世界観)が放棄されてしまうと厳しく批判します。その上で,錯誤行為にも意味があるのだと説いていきます。

 フロイトは,錯誤行為の中でも言い違いをとりあげて検討していきます。言い違えたことに意味があるというのはどういうことかというと,言い違いの結果起こったことは,それ自身の目的を追求している一個の独立した心理的行為であり,またある内容と意味とを表現するものとして理解されてしかるべきものだということである,としています。これだけでは分かりにくいですので,フロイト自身が挙げている例で考えてみましょう。

 フロイトは,衆議院議長がその第一声で開会を宣言する代わりに閉会を宣言してしまった例を挙げています。会議を開くときに,「諸君,私は議員諸氏のご出席を確認いたしましたので,ここに閉会を宣言いたします」といってしまったというのです。これに関してフロイトは,議長は議会の形勢が思わしくないので,できることならすぐに閉会してしまいたいと思っていたと指摘します。すなわち,すぐに閉会してしまいたいというのが,この場合の錯誤行為の意味であり,この独自の意味が洩れてしまったのが錯誤行為なのだ,ということです。

 フロイトは,言い違いの例を概観してみると,言い違いの意図,すなわち意味をはっきりと読みとれる場合が非常に多いことが分かると述べ,また,言い違いがそれ自身では意味をもっていないように思われる場合でも,よく調べてみると,異なった二つの意図が衝突し,干渉しあうということで説明できると説いています。甲の意図が乙の意図に完全にとって代わって(代理して)しまい,逆の言葉が出てくるの場合もあれば,甲の意図は乙の意図を歪めるかまたは変容させるだけにとどまっているので,二つの言葉が混合して多かれ少なかれ意味があるような形の言葉ができあがる場合もあるということです。

 言い違いで明らかになった説明を,他の錯誤行為にも一般化して,フロイトは,錯誤行為は決して偶然のものではなく,大真面目な心的行為であって,固有の意味をもち,二つの異なった意図の共働,もっと適切にいえば相互の衝突の結果として生じたものなのである,と強調しています。

 もちろん,疲労や興奮あるいは放心,注意力の障害などという要因は錯誤行為に関係がありますが,これらは錯誤行為が起こるための不可欠な条件ではなく,言い違いに特有の心的機制が活動しやすいように,手助けをしているにすぎない,と説かれています。

 では,妨げる意向と妨げられる意向との間には,どのような関係があるのでしょうか。両者には内容上の関係があり,前者は後者への反対,あるいは後者に対する修正や補充を意味していると説かれています。言い違えて反対のことをいう場合は,ほとんどすべての例で,妨害する意向が妨害される意向とは反対のことを言い現わしており,従ってこの錯誤行為は合致しがたい二つの意向間の葛藤の表現であるとされています。

 たとえば先の閉会を宣言してしまった議長の例では,「開会を宣言しよう」という意向が,「閉会を宣言したい」という意向によって妨げられたわけです。二つの意向は内容上反対です。また,別の例では,「私どものボスの健康を祈って乾杯をしましょう」というべきところを,「私どものボスの健康を祈っておくびをしましょう」といってしまった失敗が紹介されています(ドイツ語で「乾杯をする」はanstossenであり,「おくびをする」はaufstossenであって,発音が似通っています)。この場合,妨げられる意向は「乾杯しましょう」であり,妨げる意向は「おくびをしましょう」になります。「おくび」というのは「げっぷ」のことですから,両者は内容上,反対といっていいことが分かるでしょう。

 次に,どのような意向が他の意向の妨害者となるのかという問題が取り上げられます。いくつかのタイプに分けて考察した後,結論的には,妨害する意向は,口に出ないように押しつけられた意向であるとフロイトは説きます。すなわち,押しつけられた意向は,語り手の意志に反して言葉となって口を衝いて出るのであり,語り手の承認したほうの意向の表現を変え,あるいはその表現といりまじって,あるはこれと入れ代って言葉に出てくるのである,ということです。そして,何かを言おうとする意図が現存するのに,それを抑えつけるということが,言い違いを起こす不可欠の条件であるという結論を下しています。別言すれば,妨害する意向は,妨害者として登場する前に,まず自分自身がある妨害を受けていたに相違ない,ということです。

 くり返し例示している閉会を宣言してしまった議長の例では,「閉会を宣言したい」という意向は,持っているものの,口には出さないように押さえつけていたはずです。ところがこれが,語り手の意志に反して言葉となって口を衝いて出てしまったのです。

 およそ以上のような議論で,錯誤行為についての精神分析的説明は終わりになります。フロイトは錯誤行為の中でも特に言い違いをとりあげて,その原因,その必然性を考察したといえるでしょう。われわれの認識論の立場では,何らかの行為というのは,ある認識の表現ですから,当然,錯誤行為の背景にもある認識が存在している,ということになります。たとえ本人がその認識を自覚していなくても,必ず存在しているものです。そこをフロイトは見事に指摘したということができます。

 フロイトは錯誤行為についての最後の部分で,いくつかの錯誤行為について補足的に検討していますので,ここで簡単に触れておきたいと思います。。まず,読み違いに関しては,人の関心を惹き,注意を惹くものが,自分に関係のうすいものや関心の少ないものの代りとなるのであり,思想の「残像」が新しい知覚を曇らせるのである,という興味深い説明がなされています。ここは認識論的にいうと「問いかけ的反映」の論理が説かれているといえるでしょう。すなわち,人間は必ず何らかの「問いかけ像」をもって対象を反映するのであり,その問いかけ像の影響で純粋な反映とはならずに,その問いかけ像に規定された像が描かれる,ということです。このことをフロイトなりに説いている,ということができると思います。

 また,度忘れに関しては,神経症の症状発生の原因として大きな意義をもつ原理に触れられています。それは,不快な感情と結びついているがために,それを思い出すと不快感がふたたびよみがえってくるようなものは,記憶がこれを思い出すことを好まない,という原理です。フロイトは,想起あるいはその他の心的行為にともなう不快を回避しようとするこの意図,すなわち不快からの心理的逃走こそ,名前の度忘れのみならず,怠慢,見当ちがいなどのような,多くの錯誤行為の究極的な有力な動機であると認めざるをえない,と説いています。ここに関しては,「フロイト『精神分析入門』を読む(下)」で神経症を見ていくときに立ち戻ってくることにしましょう。
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 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言