2015年08月17日

フロイト『精神分析入門』を読む(上)(1/5)

目次

(1)『精神分析入門』は対話形式の講義再現である
(2)錯誤行為は二つの意図の衝突によって生じる
(3)夢の潜在思想は検閲によって顕在内容となる
(4)夢は幼児期の記憶を使った無意識の願望の充足である
(5)抑圧された意向は錯誤行為や夢となって現われる

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(1)『精神分析入門』は対話形式の講義再現である

 みなさんは「心理学」と聞くと,どのような心理学者,どのような理論を想起するでしょうか。心理学を専門に勉強していない多くの方や,これから心理学を学びたいと考えている学生のみなさんの多くは,フロイトとか精神分析とかを想起されるのではないでしょうか。実際,心理学の歴史に関する本にも以下のように説かれています。

「《精神分析(Psychoanalysis)》という用語と,ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)という名前は,教養のある人の大部分になじみがある。心理学の歴史に名をとどめているこれ以上の著名な人物――たとえばフェヒナーとかヴントとかティチェナー――は,心理学の専門家以外の人たちにはあまり知られていない。フロイトは表面的には広く知られているけれども,彼の体系については,一般大衆には皮相に不正確に知られているにすぎない。かなり多くの初歩の学生が,フロイト《だけ》が心理学であり,心理学は精神障害を治療することにだけかかわっていると信じていることを知って,心理学教師はがっかりすることがよくある。」(D.シュルツ『現代心理学の歴史』,培風館,p.310)


 ここでは,フロイトという名前は教養ある多くの人にとってなじみがあり,フロイトの理論だけが心理学だと誤解されているきらいがあるが,フロイトの理論のみが心理学ではないのである,ということが説かれています。この本は1981年にアメリカで書かれたものですが,ここで説かれていることは現代日本でもそのまま当てはまるといっていいでしょう。このように,一般的には心理学=フロイトと誤解されていることからも,フロイトの精神分析が心理学の代名詞のように考えられていることが伺えますし,それだけフロイトの精神分析は有名だといえるでしょう。

 しかし,この引用文にもあるように,フロイトは「皮相に不正確に知られているにすぎない」という現状があります。われわれ心理士の中にも,フロイトを読みもせずに思い込みで批判している者も見られます。そこで本稿では,フロイトをしっかりと理解するということを第一の目的にしたいと思います。具体的には,フロイトの代表的な著作の一つといってよい『精神分析入門』を取り上げ,これをしっかりと読み解いていきたいと考えています。

 まずはじめに,フロイトの精神分析とはどのようなものであるかのイメージを描いていただくために,二つの教科書の説明を引用します。

「今日の心理療法はフロイト(Freud, S. 1856〜1939)の精神分析(psychoanalysis)に始まり,その後の多くの心理療法の学派は,彼の精神分析理論と技法を改善し発展させてきたといえる。彼は器質的原因がなくて麻痺や健忘などの身体的・心理的異常を示す患者を神経症者とよび,人間の精神機能と行動に関する理論と治療技法を作った。彼の理論は恣意的・主観的に思索した結果ではなく,個々の事例への治療経験を検討することで構築したものである。

(1)基本仮説

 フロイトによると,精神現象も物理現象と同じように偶然に生じるのではなく,原因となる精神現象(動機)によって決定されている。精神現象も因果関係を有しており,これまで偶然に起こり意味がないと思われていた夢,空想,言い間違い,物忘れなどにも,それを生じる原因(動機・意味)がある。これを心的決定論といい,精神現象は単に1対1の因果関係によるのではなく,過去や現在の多くの要因が同時に働いているので,多重決定論(overdetermination)とよばれている。精神現象や行動に原因(動機)があるとすれば,表立った行動と本人が意識できる動機の非連続性を説明するのに,無意識の過程が必要になってくる。精神現象は無意識の動機に基づくことが多いので,人が自分の行動の原因として述べる動機は合理化されていて,本当の原因でないことが多い。フロイトの基本理論は「人間の行動と精神現象にはすべて原因(動機)があり,そのほとんどは本人の気付いていない無意識の原因である」ということができる。」(高橋雅春・高橋依子『臨床心理学序説』,ナカニシヤ出版,p.89)


「フロイトははじめ,患者を催眠状態におき,催眠下での対話を通して抑圧された経験を探り,これをしゃべらせることによって症状の軽減を図るカタルシス(浄化)療法を主として用いたが,催眠法の効果は一時的で症状が再発しやすいこと,患者が医師に対して愛着の転移を起こしやすいことなど,不都合な点が明らかになったので,後にはこれに代わって思いつくままに患者に語らせる自由連想法を治療の手段として用いるようになった。

 フロイトは意識下に抑圧された性的動機(リビドー)の影響を重視し,それが機会あるごとに意識の面に上がろうとして夢の中にその象徴的表現を求めることを指摘して『夢の解釈』(1900)を公にした。このような構想は,なお意識主義に留まっていた当時の表面的な心理学界においては,きわめてユニークなものであった。心的活動の原因を観念表象のたんなる連合にではなく,より深い情動的契機に求め,意識の内部よりは無意識の基底に求めようとしたその構想は,その後の「動的心理学」(dynamic psychology)への傾向に先鞭をつけたものといえる。」(鹿取廣人・杉本敏夫編『心理学 [第2版]』,東京大学出版会,p.277)


 この二つの教科書では,ともに,フロイトは無意識の過程を重視したことが説かれています。フロイトの基本理論は「人間の行動と精神現象にはすべて原因(動機)があり,そのほとんどは本人の気付いていない無意識の原因である」ということであり,神経症者の治療には,「思いつくままに患者に語らせる自由連想法」を使って,無意識の原因を意識化させる手法が用いられたのでした。このようにフロイトは,人間の認識の無意識の領域にスポットを当てて,さまざまな精神現象や行動の研究を行ったのでした。本稿では,このようなフロイトの精神分析の理論を,『精神分析入門』を読み解いていく中で,詳しく見ていきたいと思います。

 では,『精神分析入門』とはどのような著作なのでしょうか。ここでは,その成立背景や概要,特徴などを紹介したいと思います。なお,本稿では新潮文庫版の高橋義孝・下坂幸三訳を主として参照しており,訳語もこの版のものに統一しています。

 『精神分析入門』は,第二次世界大戦中の1915年秋から1916年春にかけて,および1916年秋から1917年春にかけて,ウィーン大学で行われた講義をそのまま再現したものです。聴衆は医師もいれば非専門家もおり,男性も女性もいたそうです。フロイトの後継者になる末娘のアンナ・フロイトも聴講していました。一年目は錯誤行為と夢について扱われ,二年目に神経症について講義されました。出版時,フロイトはすでに61歳でした。「入門」というタイトルから,自らが構築した精神分析を分かりやすく啓蒙する意図があったことが伺えます。実際,フロイトの著作の中では最も読みやすく分かりやすいものであると評価されています。

 講義は土曜日の夜7時から9時という時間になされました。『精神分析入門』の前半部分は,ノートなしにしゃべったことを,直後に,記憶を頼りに書き留めたものだということです。フロイト自身,「私は当時まだいわば蓄音機的な記憶力を持っていた」と述懐しています。後半部分は,事前につくられた草稿を講義でそのまま読み上げたということですから,その時の草稿を元に書かれたものでしょう。

 目次は以下のようになっています。



第一部 錯誤行為
 第一講 序論
 第二講 錯誤行為
 第三講 錯誤行為(つづき)
 第四講 錯誤行為(結び)

第二部 夢
 第五講 種々の難点と最初のアプローチ
 第六講 夢判断のいろいろな前提と技法
 第七講 夢の顕在内容と潜在思想
 第八講 小児の夢
 第九講 夢の検閲
 第十講 夢の象徴的表現
 第十一講 夢の作業
 第十二講 夢の分析例
 第十三講 夢の太古的性格と幼児性
 第十四講 願望充足
 第十五講 不確実な点と批判

第三部 神経症総論
 第十六講 精神分析と精神医学
 第十七講 症状の意味
 第十八講 外傷への固着 無意識
 第十九講 抵抗と抑圧
 第二十講 人間の性生活
 第二十一講 リビドーの発達と性的体制
 第二十二講 発達および退行の諸観点 病因論
 第二十三講 症状形成の経路
 第二十四講 普通の神経質
 第二十五講 不安
 第二十六講 リビドー論とナルシズム
 第二十七講 感情転移
 第二十八講 精神分析療法



 この『精神分析入門』は,特徴的な論の展開になっています。それは,自説に対する異議や反問をあらかじめ想定しておいて,その異議や反問を提示した後,それに答えていく,という展開方法です。言ってみれば,自分で設問を立てて,それに自分で答えていくという形式です。その意味で,古代ギリシャにおける弁証法を髣髴とさせるような論理展開になっており,興味深いものがあります。このような形式になったのは,実際の講義を元にしているだけに,聴講者から現に出された疑問・反問を著作の中に取り入れて,読者がより納得できるような論の展開にしたからかもしれません。あるいは,当時にあっても精神分析に対する世間や学界の反発が根強く,よくある誤解を取り上げて,その誤解を解いておく必要があったために,このような自問自答形式になったのかもしれません。いずれにせよ,淡々とした講義とは真逆で,読んでいて惹きつけられるような流れになっていることは間違いありません。

 この『精神分析入門』には,続編があります。これは1932年,フロイトが76歳の時に執筆したものです。正編のように講義調にはなっていますが,実際に講義したものではなく,新たに書き下ろしたものです。ここでは,正編以降のフロイトの精神分析理論の発展について,新たにまとめられています。目次は以下です。


精神分析入門(続)



第二十九講 夢理論再考
第三十講 夢と心霊術
第三十一講 心的人格の分解
第三十二講 不安と欲動の動き
第三十三講 女性的ということ
第三十四講 解明・応用・方向づけ
第三十五講 世界観というものについて



 さて本稿では,『精神分析入門』の前半部分,すなわち,錯誤行為と夢を扱った部分を順に読み解いていきたいと思います。
そして,近いうちに執筆する予定の「フロイト『精神分析入門』を読む(下)」では,後半部分,すなわち神経症を扱った部分を扱っていきたいと考えています。

 次回は早速,錯誤行為についてのフロイトの論を追っていきます。続く連載第3回と第4回で,フロイトの夢理論を見ていきたいと思っています。
 
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
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 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
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 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
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 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する