2015年08月16日

2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回まで3回にわたって,7月例会で提示された論点と,それについてどのような討論を行い,どのような(一応の)結論に到達したかを紹介してきました。

 例会報告の最後にあたって,参加者からの感想を掲載したいと思います。

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 今回の範囲は,エンペドクレス,レウキッポス及びデモクリトス,アナクサゴラスであったが,大きく見ればほぼ同時代の人間であり,これらを筋を通してどのように関連付けるのかという点の議論ができたことがよかったと思う。

 どういうことかというと,ヘーゲルはその講義において,エンペドクレス→レウキッポス及びデモクリトス→アナクサゴラスという順で説いており,全集版では編者の意向によりレウキッポス及びデモクリトス→エンペドクレス→アナクサゴラスとなっているが,唯物論の立場からはどのように捉えられるか,という議論ができたことであった。エムペドクレスは,ヘラクレイトスの「有」と「非有」との統一である「生成」という概念を,「四元素」という形での物質的な原理と,「友愛」と「憎悪」という形での観念的な原理とに分けて捉えたのであって,他方で原子論者は,ヘラクレイトスが「生成」という形で統一した「有」と「非有」とをどちらも実在するものとして「充実」と「空虚」とに分割したのであった。つまり,エムペドクレスも原子論者もともに,ヘラクレイトスの原理を発展させたということができるのであって,さらにこの両者の原理(特にエムペドクレスの観念的な原理と原子論者のアトムの原理)を統一的に捉えて発展させたのがアナクサゴラスだということであった。唯物論的に捉えれば,エムペドクレスと原子論者の前後関係はあまり重要なものではなく,ヘラクレイトスが両者を媒介してアナクサゴラスへと流れていくことを見て取ることが重要だと感じた。

 そのほか,アナクサゴラスのヌースがホモイオメレーを秩序付ける構造が,アテネにおけるペリクレスが人民を統括する構造と対応するのではないか,という議論ができたことも興味深かった。ホモイオメレーとギリシャの人民の共通性はどういうものか,アナクサゴラスがペリクレスの統括の現実を目の当たりにしたことがヌースの原理を生んだというが,それは現実の反映が認識を生成するという唯物論的な認識論を機械的に当てはめすぎではないか,とった鋭いツッコミや批判がなされたのであった。

 こうした一連の議論を通じて,我々京都弁証法認識論研究会の全体としての論理能力が徐々にではあるが確実に養われつつあることを実感できたし,こうして培ってきている論理能力でもって,今後の『哲学史』に関しても,確かに難解ではあるものの,読み解いていけるものと少しだけ自信がついたことであった。

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 今回の例会では,エンペドクレスからアナクサゴラスまでの部分を扱ったのだが,チューターによって整理された論点への自身の見解を作成するのにはなかなか苦労した。『哲学史』の文章を読んだ印象としては,6月例会で扱ったエレア派とヘラクレイトスの部分のほうが難解な印象であったのだが,見解の作成については,7月は6月以上に苦労した印象がある。これは何故なのか考えてみると,エレア派(ゼノン)やヘラクレイトスの方が,哲学史上の見解としてのレベルが高く,問題提起の深さと鋭さで群を抜いている(端的には,哲学史上の意義が明瞭である)からこそ,見解の作成が比較的容易だった,ということになるのかもしれない。原子論や四元素説などは,ゼノンらに比べると中途半端な業績だから捉えどころがない,ということなのではないだろうか。

 それはさておき,論点への見解の作成,および当日の議論を通じて,ヘーゲルのいわゆるギリシャ哲学史の第一期の第一項がどのように締め括られるのか,一応のイメージが描けるようになったのはよかったと思う。エレア派の有,ヘラクレイトスの生成(有と非有との統一)といった「純粋観念」を何とか物質的なあり方として理解しようとする流れのなかで,そうした物質的なものを能動的に動かす原理の必要性もまた明瞭になっていき,そこからアナクサゴラスのヌースが登場してくることになったのだ,ということである。

 また,唯物論の立場からは,こうした流れを,アテナイが覇権を確立していくという古代ギリシャ世界の歴史の流れとしっかり重ねて把握する必要があることも,改めて確認することができたと思う。

 当日の議論のなかでは,アナクサゴラスに関わって,ヘーゲルが目的という問題についてどのような論を展開しているのか,大いに深まったことも特筆すべきだろう。私自身が漠然と把握していたことについて,他のメンバーから諸々の疑問が提起され,それに対して何とか答えようと悪戦苦闘しているうちに,私としてもかなり明瞭な理解に到達することができた。やはり,1人で本を読んでいるだけでは大したレベルには到達できないのであり,きちんと他者と討論してこそ,認識を明瞭に整えることができるのだ,ということを痛感させられた。

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 今回はチューターとして,出された論点をまとめたり,例会報告のブログ記事を書いたりする中で,メンバーによって出された見解なり内容なりを,一段高い視点からまとめ直すということが,まさにアリストテレスが行った修行の内実なのだ,ということが実感できた。事前の準備として,論点に対して出された各メンバーなりの「答え」を,自分自身の見解も含めて客観的に評価し,まとめ直す作業を行った。さらに例会報告のブログ記事では,一会員によって提出された要約をさらに要約し直すという作業を行い,例会での討論をまとめて総括する作業を行った。こうした作業の中で,再度今回の範囲を振り返ることになり,また読者に理解できるように解き直す必要に迫られ,自分自身の理解度がより深まっていくことが実感できた。

 個別の内容としては,ヘラクレイトスとアナクサゴラスを媒介する原子論者とエムペドクレスの位置づけが,討論をとおしてより明確になったと感じた。また,アナクサゴラスの意義も,アテナイの隆盛という世界歴史の流れと統一して理解することができた点も,大きな収穫であった。今後も,世界歴史の流れと合わせて,哲学史を理解していくことを意識していきたい。

 プラトン『ファイドン』に関わる2つの原因についての討論は,全く読み取れていなかった側面が,他の会員からの指摘で理解することができた。やはり,ヘーゲルレベルの文化遺産を一人で習得しようというのは無理があるのであって,集団的な討論をとおしてでないと,きちんと理解できないのだ,ということが分かった。今後とも集団力を使って,ヘーゲルという文化遺産を吸収していきたいと思った次第である。

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 今回の例会を通して、エレア派とヘラクレイトス以後、アナクサゴラスまでの大まかな流れが把握できたように思う。現在の理解を改めて確認しておくと以下のようになる。ヘラクレイトスにおいて生成(運動)ということが唱えられるようになったが、では何が動いているのか、何が動かしているのかといった問題意識が生まれ、何が動いているのかという点についてレウキッポスやデモクリトスは原子論を唱え、何が動かしているのかについてエムペドクレスが友愛と憎悪という原理を唱えたということである。そして、nousによるホモイオメレーの統括を主張したアナクサゴラスは、この両者を統一したということである。

 今回、レジュメを作成する中で、この3者の流れを自らの専門にひきつけて考えてみた。ぴったりと対応したとは言えないだろうけれども、何となくのイメージを描くことはできた。やはり自分の専門分野で考えるということが大事なのだということを改めて実感した。

 また、議論の過程で、2つの「原因」「目的」とは何かが論点として挙がったが、そこを詳しく検討していくと、ヘーゲルはかなり詳細な論の展開をしていることが明らかになった。一人で読んでいたときには、あまり意識されなかった部分である。改めて、議論をしながらテキストを読んでいくことの重要性を実感した。今後、事前に一人で読む際にも、このように細かな部分にまで目を向けていこうと思った。

 最後に反省点であるが、今回、アナクサゴラスのnousについて、唯物論的に捉えれば、ペリクレスがアテナイ市民を統括するあり方を反映させて、思いついたものなのではないかという見解を出した。唯物論的には認識は対象の反映であるから、nousはペリクレスという対象を反映させて成立したと言えるのではないか、ということである。これに対して、チューターから「単にその時代の社会的認識がそういうものだったのであり、それが政治の分野で現れたのがペリクレスで、哲学の分野で現れたのがアナクサゴラスというだけではないのか、あるいは、アナクサゴラスの見解を受けて、ペリクレスが政治の分野で実現しようとしたのではないのか」という見解が出された。確かにそういう可能性もある(むしろ、そちらの可能性の方が高い)。唯物論的に考えると言った場合に、機械的に考えてしまってはいけないのだと反省した。

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(了)
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 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言