2015年08月06日

夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ(3/3)

(3)『こころ』――「先生」が殉じた「明治の精神」とは何か

 漱石読書会の第13回目に取り上げた作品は、『こころ』(1914年〔大正3年〕4月20日から8月11日まで「朝日新聞」に「心 先生の遺書」として連載)です。これは、漱石作品のなかでも特に有名なものですので、内容についての詳しい説明は必要ないでしょうが、ごく簡単に纏めるならば、「私」が鎌倉で出会った「先生」と親しくなり、交際を深めていくなかで、「先生」の過去を聞かせて欲しいと強く迫った結果、先生は「遺書」という形で(自ら命を絶つことと引き換えに)、かつて恋愛観関係のもつれから親友を裏切って自殺に追い込んでしまったという壮絶な暗い過去を明かす、といった物語です。

 作品全体に対しては、これまでの作品については正直なかなか難解だなという印象があったが、この『こころ』は非常に面白くて一気に読むことができた、作品の結末に至るまでの伏線がいくつも張られており、「一体先生の過去に何があったのだろうか?」という読者の探究心を高めずにはおかない見事な書きぶりになっていると思った、という感想が出されました。また、「先生」の過去に何があったのか最後まで明確には語られないまま進行し、その最後の最後で一気に謎が解けるということで、あたかも一種の推理小説のような展開になっているといえるのではないか、という指摘もなされました。さらに、作品全体から与えられる印象に関連しては、そもそも「私」が先生と関わりのある過去を回想しながら筆を執るという設定が冒頭で明示されており、先生の遺書についても過去の回想であることは明らかであることが指摘されました。『彼岸過迄』や『行人』も語り手が過去を回想するという形式でしたが、『こころ』では、語られる過去の出来事とそれらを語る現在との時間的な隔たりがこれら先行2作品とは比較にならないくらいに明瞭に打ち出されており、どことなく静謐な雰囲気が漂っているように感じられる、とのことでした。

 この作品をめぐっては、やはり何といっても、「先生」はなぜ自殺をしたのか、ということが大きな論点となりました。この問題をめぐっては、複数のメンバーから、「先生と遺書」第12章において、「金に対して人類を疑ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかった」とあるところが大きなヒントとなるのではないか、という指摘がありました。「先生」は、両親の遺産を叔父に騙し取られてしまったという経験から、金に関して他の人間は信じられないという認識を抱くようになったものの、この段階ではまだ、愛については人類を疑っていなかった(愛のために人間が卑劣な行動に出るとは思っていなかった)、ということです。ここのところを踏まえて議論した結果、「お嬢さん」への愛をめぐって、自分自身がKを裏切るような卑劣な行為に及んでしまった結果、あらゆる面において他の人間のみならず自分自身までもが信用できなくなってしまったのであり、また、そのような自分の苦しみを理解してくれる人が1人もいなかった(妻となった「お嬢さん」に全てを打ち明けて苦しみを共に背負ってもらうようにする勇気もなかった)ことによって、極限まで追いつめられてしまったのではないか、ということになりました。端的には、愛において親友を裏切るという「罪悪」――「先生と私」第12章において先生は「恋は罪悪ですよ」と語る――を犯してしまった結果、自らの命を絶たざるを得なくなる方向へ、大きく歩みを進めてしまったのだ、ということです。

 この問題に絡んで、そもそもKはなぜ自殺してしまったのか、という疑問も提起されました。「先生と遺書」第53章の最後には、「私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑がい出しました」とあります。ここをもう少しKの言動に即して考えてみると、「先生と遺書」第42章(「先生」が、Kの「お嬢さん」への恋心と道のために精進するというKの人生観との矛盾を打算的に追及する場面)で、Kが「覚悟、――覚悟ならない事もない」と述べていることが注目されるのであり、Kはこの時点で既に(漠然とであれ)自殺を選択肢のひとつとして考え始めていたのではないだろうか、という指摘がなされました。つまり、自殺の直接のきっかけは、失恋(あるいは先生の裏切りから受けたショック)ということかもしれないが、根本的には、道のために生きるといいながら恋に惑う自身の弱さに煩悶した結果ということになるかもしれない、ということでした。端的には、Kの自殺に至る過程は二段階のものとして捉えるべきだ、ということです。こうした捉え方に対しては、それそれで納得できるものの、Kが自殺場所に(海や山や川ではなく)普段生活している「先生」の隣の部屋を選んだことの意味を考えるならば、「先生」の裏切りから強いショックを受けたことが直接の引き金になったことを軽視すべきではない、という意見も出されました。

 こうした議論を踏まえつつ、「たった一人で淋しくて仕方がな(い)」とはどういうことか、という問題が提起され、議論が深められていきました。問題を提起したメンバーからは、端的には、世間体のようなものを気にして、自然な感情を押し隠して形ばかり取り繕ってばかりいるために、本当に心から打ち解けた関係を他者との間で築くことができなかったということではないか、として、「先生」がKに対して、自身の「お嬢さん」への思いを打ち明けようとしつつなかなか打ち明けられなかったのが、その象徴的なあり方である、と指摘されました。このことに関わって、「先生」が遺書の読み手である「私」に対して、今の若い人から見れば馬鹿馬鹿しいだろうが……といった風な断りを度々入れていることも注目すべきだ、という指摘がなされました。すなわち、これは、旧世代たる「先生」の新世代たる「私」への期待、もう少し詳しくいえば、我々の世代を反面教師にして、自然な感情の発露を大切に良好な(本当に心の底からうち解けた)人間関係を築いていってもらいたい、といった期待が込められてのものであろう、ということでした。

 その上で、「先生」の遺書におけるキーワードとなっている「明治の精神」の実態とはまさにそういうもの、すなわち、世間体やそれらしい形式ばかりを尊重して自然な感情を押し殺してしまうようなものなのではないか、と提起されました。「先生」はそういう「明治の精神」に殉じたのであり、こうした「明治の精神」の実態を自身の痛切な実体験を赤裸々に語ることを通じて白日の下に晒すことで、自身を次世代にとっての反面教師としようとしたのであろう、ということでした。「先生」にとっては、自身の犯罪を赤裸々に語るということは、自身の生命と引き換えでなければ成し得ないほどに辛く重い事業だったわけですが、それによって次世代に資することができるならば……という決意の上での自殺だったのであろうと思われます。若い世代への熱い期待をもって若い世代の魂に語りかけようとする、ということでは、『野分』の白井道也が想起されますが、道也が理想を理想として語る高邁な人物として造形されていたのに対して、『こころ』の先生は、反面教師として造形されています。これは、漱石の7年間に及ぶ作家生活を通じての思索(現実世界を変革することの困難さへの直面)の結果ということなのかもしれない、という感想も語られました。

 「明治の精神」をめぐっては、当時の日本社会全体を一般的に眺めてみて何か他の具体例を挙げることができるだろうか、という提起もありました。これに対しては、欧米列強の猛烈な圧迫の下で近代国家の形を何とかして整えようと邁進した過程そのものが、こうした「明治の精神」なのではないか、という意見が出されました。例えば、明治憲法にしても、外見的には立憲君主制という近代的な形は整えたものの、その内実は半封建的で絶対主義的なものでしかなかったではないか、ということでした。漱石は『それから』の代助に明治日本を「牛と競争する蛙」にたとえさせていますし、『吾輩は猫である』の苦沙弥先生に大和魂を諷刺する詩を書かせています。欧米列強に張り合おうと背伸びするもののそれに見合った内実を伴っていないという明治日本の現実を、漱石が非常に厳しく批判的に見ていたことは明らかではないか、ということでした。こうした見解には、他のメンバーも大筋で納得しましたが、明治以降の日本が列強と対峙しながら背伸びしようとしてきたことそのものは批判されるべきことではなく、敗戦の反動の結果、「等身大の思想」なるものが持ち上げられるような風潮がつくられてしまったことは、戦後民主主義思想の弱点として否定できないのではないか、という補足的な意見も出されました。
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 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
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 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
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 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
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 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
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 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
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 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
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 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
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 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
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 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言