2015年07月26日

何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り(2/5)

(2)小論執筆における学び

 前回は、現代日本を取り巻く様々な言語に関する問題、すなわち、言論の自由の問題、言論統制が極端にまで進んでしまった世界のあり方の問題、言語に現れる認識の問題などについて触れた後、言語に関わる問題をどのように考えるべきか、そもそも言語とは何か、何故言語学を創出する必要があるのか、真の言語学を構築しなければ世界は一体どうなってしまうのか、こうした問題に答えるのが本稿の目的であるとして、3年ほど前の筆者の見解を引用し、それを深めていくために、2015年上半期の学びの振り返りを行いつつ、これらの問題に答えていく決意を述べたところまでであった。

 さて今回は、2015年上半期の学びの第1として、小論執筆における学びを振り返りながらこうした問題を考察していくこととする。

 まず、今年の上半期に執筆した小論を確認しておくことにしよう。大きなものとしては、「2014年冬期関西例会の振り返り」、「2014年の振り返りと2015年の展望」、「『認識と言語の理論』第1部の要約」、「一会員による『学城』第1号の感想」、「文法家列伝:時枝誠記編」、「2015年春期関西例会の振り返り」、「2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派」、「一会員による『学城』第12号の感想」の計8本である。このほかにも、毎月の学びの振り返りを執筆してきた(ブログ掲載計画の関係で、本ブログに公開していないものも含む)。

 こうした小論を執筆する過程で学んだことはというと、1つ目は、学んだ中身を概括することの重要性、及び課題を明確にして今後の学びの方針を立てることの重要性である。

 上半期に執筆した上記の8本の小論のうち3本が学びの「振り返り」であり、また毎月の学びの振り返りも行ってきたのであるが、これらの「振り返り」を執筆する過程において、ある特定の期間、またはある特定の場所における学びをもう一度観念的に辿り返し、その上でその学んだ中身を一段高い視点から括り直し、要するに今回の学びではどのようなことを学んだのかをまとめる過程を通じて、学んだ内容を鮮明にイメージできるようになるだけではなくて、学びの中身を抽象度の違う様々なレベルで多角的に捉えることによって、立体的な像を描けるようになってきたのではないかと思う。例えば、2014年冬期関西例会においては、「言語化は労働の一形態である」と題するレジュメを作成し発表したのであるが、例会当日においては自分のこの結論(「言語化=労働」という結論)に固執し過ぎていたために、具体的な生き生きとした像を描くということが十分に学べなかった。しかし、例会後に振り返りを執筆していく中で、指導者の1つ1つの言葉、1つ1つの指摘の意味を考えさせられることとなり、具体的には労働のもととなる認識のことを、南郷継正先生は「目的」といっているのに、本田克也先生は「自らの脳に描く像=認識」といっており、加藤幸信先生は「目的意識」といっているが、これらはそれぞれどのように違うのか、また同じなのか、また「労働」に関しても「行為」といわれていたり「活動」といわれていたりするが、これらの異同はどうなのか、こうした考察を経ながら概念を創っていく必要があることが分かってきたのであった。

 また、「振り返り」を執筆することによって、これまでの学びの課題を明確に描き出して、今後の学びの方針として位置付けることの大切さも学んできた。2014年の学びを通して、上に述べた2014年冬期関西例会でも明らかになったように、言語学に関わる諸々の概念が明確にイメージできていないことが判明してきた。そこで2015年は、「言語の具体的事実に格闘するレベルで取り組むことで、言語に関わる諸々の概念をヨリ鮮明に描いていくための学びに取り組む年に」という目標を設定し、この目標に従って毎月の学びの計画を立て、振り返りを執筆してきたのである。人間の行動はその目的意識に規定されて、有意義なものともなればあまり意味のないものともなるものであるから、こうした目標設定は非常に大きな意味があるのである。

 小論を執筆する過程で学んだ2つ目の点は、自分の認識を言語に表現することの難しさと、それは訓練次第でいかようにも鍛え上げられるものであるということである。

 2015年に限っても、最初の論稿であった「2014年冬期関西例会の振り返り」については、なかなか自分の思いが言葉にならずに、試行錯誤の末に、非常に長い時間をかけてやっと書き上げることができたという経緯がある。これは、言語というものは既にあるものであって、それを並び替えることで自分の認識を表現するのだ、という考え方は誤りであって、言語というものは、あくまでも表現主体の独自の認識を表現するものであり、諸々の思いや感情も含めて、何とか言語規範を媒介に1つの言葉に収斂させようとして表現されるものである、ということを示している。言語は並び替えるものではなくて、創出するものであるからこそ、論文執筆には多くの労苦が伴うのである。

 しかしそうはいっても、この自分の認識を言葉で表現できるという実力は、訓練次第で向上するものであることも分かってきたのである。上半期最後の執筆である「一会員による『学城』第12号の感想」(全13回)に関していえば、当然、『学城』自体の読み込みには大きく時間を割いたとはいえ、執筆だけでいえばわずか5日足らずで仕上げることができたのである。これは、上に掲げた小論執筆の学びとともに、手書きで日常生活や学びの過程での事実や思いを綴り続けて4年以上経過していることや、他会員の小論などに対して随時コメントし続けていることとも関係しているのである。つまり、文章修業を続けることで、認識を1つの言葉に収斂させることができる能力が徐々についてくるということである。

 小論執筆の過程で学んだ3点目は、言語が認識を整えたり、新たに形成したり、発展させたりする実力を持つことである。上記の第2の点が、認識から表現へという過程の問題であったのに対して、この3点目は、表現から認識へという過程の問題であるといえる。

 これはどういうことかというと、筆者が執筆した小論を(ブログ掲載用論稿であれば公開前に事前に)会員に披露するわけであるが、この筆者が創り上げた言語を介して、他会員の認識が、これまで曖昧で整理されていなかったものが整えられたり、新たな視点に気づいて新しく形成されたり、またはこれまでの認識が発展させられたりするということである。これはもちろん、他会員の論稿を読んで、筆者自らの認識が整えられ、形成され、発展させられるということも意味している。しかもこうした認識の変化は、例えば凶悪事件に接して恐怖したり憤ったり、応援するプロ野球チームが大勝して嬉しかったりといった感情レベルの変化だけではなくて、ヨリ表象的、ヨリ抽象的なレベル、論理レベルでの認識の変化も含むものなのである。『学城』第12号の神庭純子先生の論文では、保健師の言葉が母子の成長にいかなる影響を与えるのかが分かりやすく説かれているし、北嶋淳・志垣司両先生の論文にも、障害児教育における「認識と実体の統一をアタマに置いた指導」(p.105)の一側面として、言葉による認識への働きかけの実例が説かれている。

 このように、言語には認識を変化させる力があるのであるが、このことは言語学の必要性ということにも関わってくる。どういうことかといえば、人間は現実の問題を解決していく中で認識を発展させ、またその発展させた認識でもって現実の問題を解決していったのであるが、この過程において、言語が重要な役割を果たしているのである。つまり、学問発祥の地である古代ギリシャのプラトンの研鑽過程を見るまでもなく、人間は他の人間との精神的交通によって自らの認識を発展させてきたのであって、その発展を媒介する言語の正しい理解なしには、人間は目的意識的に自らを発展させることができないのである。さらに言語は、認識の発展を媒介して、国家社会の発展、文化の発展にも資するのである。言語がなければ認識の発展はすぐに限界に突き当たるのであって、この限界を突破する言語とはどういうものか、これを明らかにしなければ、当然に、国家社会や文化の発展もありえないのである。
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 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
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 ・哲学の歴史の流れを概観する
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 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
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 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
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 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言