2015年07月23日

2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス(9/10)

(9)論点3:ヘーゲルはヘラクレイトスの弁証法をどう評価しているか

 前回は、ゼノンの運動否定の証明をどのように捉えるべきか、という論点について、どのような議論をしたのか紹介しました。端的には、ヘーゲルは、ゼノンの運動否定の証明について、運動が実在するということに対する反駁としてではなく、運動を如何なるものとして規定すべきか、運動が取り扱われるべき必然的な方法を示すものとして見るべきだと考えていた、あるいは、「真なるものはただ一者のみであり、他のものはすべて真でないものである」ということを証明しようとしたものだと考えていた、ということでした。

 さて今回は、第三の論点、すなわち、ヘーゲルはヘラクレイトスをどう評価しているか、という問題をめぐってなされた議論の内容をまとめて紹介することにします。ここで論点を改めて紹介しておくことにしましょう。

【論点再掲】
  ヘーゲルは弁証法には3種類あるとして、外的弁証法(主観的弁証法)、対象の内在的弁証法、客観的弁証法を挙げているが、それぞれどのようなものなのか。ヘーゲルは「ゼノンが真の客観的弁証法の開祖である」(p.341)とする一方、「まだ主観的弁証法と呼ばれ得る」(p.361)とも説き、さらに、ヘラクレイトスの弁証法はゼノンから一段と進歩した客観的弁証法であるとしている。これをどのように理解すべきか。また、ヘーゲルがこのように描く弁証法の発展過程について、唯物論の立場から捉え返すとすればどうなるのか。



 まず、外的弁証法(主観的弁証法)、対象の内在的弁証法、客観的弁証法のそれぞれがどのようなものなのか、という問題については、外的弁証法(主観的弁証法)から客観的弁証へと至る大きな発展の流れがあり、その過渡期として、対象の内在的弁証法(=ゼノンの弁証法)が位置づけられるのだ、という線で、全員が一致した見解を示していました。さらに、この大きな流れが一体どういう流れなのかということに踏み込んでいえば、我々の知性の運動(主観的な=恣意的な運動)を考察されている事柄に外側から押しつけるようなものでしかなかったものが、次第に、考察されている事柄そのものの客観的な性質に規定された運動へと発展していく過程にほかならないのであって、端的にいえば、思いつきレベルで対象について論じているのが主観的弁証法であり、対象そのものに即して論じているのが客観的弁証法だということになるのではないか、という意見も出されました。

 続いて、ヘーゲルが「ゼノンが真の客観的弁証法の開祖である」とする一方で「まだ主観的弁証法と呼ばれ得る」とも説いているのはなぜか、という問題について考察を進めました。この問題をめぐっては、大きくいえば客観的弁証法の開祖といえるのだが、まだ主観的弁証法の要素も残っていたということであろう、と確認した上で、ゼノンが客観的弁証法の開祖だといえる所以、また、ゼノンに残っていた主観的弁証法の要素とは何かという問題を、それぞれ考えていくことにしました。ゼノンが客観的弁証法の開祖だと言える所以については、チューターが事前に示していた以下のような見解を俎上に載せて、その妥当性を検証することにしました。

「ゼノンは、パルメニデスの「全体は一者である」という命題を擁護するために、多の存在を認めることが如何に不合理であるかを示そうとした。ヘーゲルはここに客観的弁証法の立ち入った規定がある、と評している。これは、「全体は一者である」という命題を擁護するために、あえてそれに対立する(否定する)命題を打ち立て、それが成り立ち得ないことを示す(否定する)ことによって、もとの命題の正しさを強く主張している、ということである。このことによって、「一」という考察の対象が「多」という自らに相対立する規定を含み、それ故に自分を止揚する(その相対立する規定を否定することにより、より強固に自らを打ち立てる)ものであることが示されている、ということになるのではないだろうか。「一」という考察される事柄の性質に即した運動が把握されている、ということで、これは客観的弁証法ということができるのではないだろうか。」


 この見解をめぐっては、「「全体は一者である」という命題を擁護するために、あえてそれに対立する(否定する)命題を打ち立て、それが成り立ち得ないことを示す(否定する)ことによって、もとの命題の正しさを強く主張している」ことが客観的弁証法の開祖と呼ばれる所以である、という点では異論は出なかったものの、「「一」という考察の対象が「多」という自らに相対立する規定を含み、それ故に自分を止揚する(その相対立する規定を否定することにより、より強固に自らを打ち立てる)ものであることが示されている」という解釈の妥当性には、報告者から異論が出されました。エレア派における「一」はあくまで「一」なのであって、それ自身のなかに「多」という対立する規定を含んでいると考えるのはおかしいのではないか、という異論です。報告者は、考察の対象は「一」ではなく真理であり、真理は「一」なのか「多」なのか、という問題が設定されていると考えたほうが妥当ではないか、と提起しました。すなわち、ある命題(ここでは「全体は一者である」という命題)の正当性(真理であること)は、それと相対立する命題(ここでは「全体は多である」という命題)の否定を内に含んでこそ、より強固に打ち立てられる、ということがいわれているのであろう、ということです。ゼノンは、「真理はAである。だから、AでないBは誤謬である」というような、「真理はAである」という自身の主張の枠から寸毫も出ないような論証の仕方では不充分であり、「真理はBである」と主張する人の土俵に上がってやって(「仮に「真理はBである」としてみようか……」)その不合理さを暴くという過程が必要であることに気づいたのであって、これこそが客観的弁証法と呼ばれる所以ではないか、ということでした。こうした報告者の提起には、全員が納得しました。

 以上のような議論を踏まえつつ、ゼノンに残っていた主観的弁証法の要素とは何かという問題に進みました。いま確認した通り、ゼノンの弁証法は、ある命題の正当性(真理であること)を直接に主張するのではなく、それと相対立する命題を立てた上でそれを否定する、という手続きをとっている点で客観的である(自身の主張を外から眺める視点を獲得している)といえるわけですが、しかし、それはあくまでもアタマのなかでの論の展開にすぎず、客観的な世界のあり方の究明ということには必ずしもなっていません。これがすなわち、ゼノンに残っていた主観的弁証法の要素ということではないか、ということになりました。もう少し詳しくいえば、ゼノンは、自分自身の主張しか見えないということから脱却しえた点では客観的になっているが、客観的な現実世界にまで目を向けきれていない(物体の運動が客観的に二重構造を持っていることを予感しながらも、主観的に一側面のみを取り上げることにより、「不動の一者」を打ち立ててしまった)という点ではまだ主観的である、ということです。これに対して、ヘラクレイトスの弁証法は、「有と非有とは同一のものである、すべてのものは有ると共に無い」というものであって、考察されている事柄(物体の運動)が客観的に持っている二重構造(有+非有)をそのまま認めるものとなっています。ヘーゲルは、この点に、ゼノンからヘラクレイトスへの発展を認めているだろう、ということになりました。

 次に、ヘーゲルがこのように描く弁証法の発展過程について、唯物論の立場から捉え返すとすればどうなるのか、という問題に議論を進めました。この問題をめぐっては、チューターが、まずヘーゲルの観念論のレベルで総括した上で、唯物論の立場から捉え返す必要があるだろうとして、以下のような見解を示しました。

 まず、ヘーゲルの観念論の立場からすると、以上のような弁証法の発展過程は、自然から精神が分離して精神が自然を眺めるという構図が成立したことを前提として、精神(主観)が自然(客観)について探究していく過程の問題として、捉えられているといえます。自然から分離したばかりの精神は、自分勝手な解釈を自然に押し付けるばかりでしたが、そこから段々と、自然そのもののあり方が見えてくるようになってきた、ということです。これに対して、唯物論の立場からすれば、エレア派からヘラクレイトスへの過程は、自然と格闘しながら共同生活を維持発展させていく流れのなかで、自然への探究のレベルが上がっていく過程として、捉えられなければなりません。

 このことに関わって、報告者から、「ヘラクレイトスは国の問題に関わらなかっただけに、パルメニデスやゼノンほどの実力はなかったのではないか。すなわち、現実の問題と格闘して論理能力を高めていくというようなプロセスをヘラクレイトスは辿らなかったために、そういった過程を辿ったであろうパルメニデスやゼノンの実力には及ばないのではないか」との提起がなされました。

 この提起をめぐっては、まずヘーゲルのヘラクレイトス評価は過大か否かが問題になりました。ヘーゲルは、エレア派のゼノンが鋭く提起した問題をヘラクレイトスが見事に解決したかのように描いているが、これはヘーゲル流の哲学史観からそう描かれているだけであって、パルメニデスの詩のなかでヘラクレイトスが批判的に言及されていることからしても、現実の歴史としてそのような流れがあったとは想定しにくい、ということになりました。ヘーゲルは「ヘラクレイトスの命題で、私の論理学に取り入れられなかったものはない」といっているが、ヘーゲルのヘラクレイトス論は、あくまでもヘーゲル自身の論理学から問いかけてそういう像として(実態よりも遥かに立派な像として)浮上させた、というものだと捉えるべきではないか、ということです。もちろん、そういう角度から問いかければ大きなヒントとなるような要素がヘラクレイトスにあったことは間違いないのであって、ヘラクレイトスを不等に低く評価してしまわないように注意が必要だ、との発言もありました。

 ヘラクレイトスが国家統治者として現実の問題に格闘する過程を持たなかったので、そういう過程で実力を培ったパルメニデスらよりもレベルが落ちるのではないか、という提起については、国家統治者としての経験と哲学者としての実力をあまりに短絡的に結び付けすぎではないか(その論法でいけば、例えばアナクサゴラスよりもペリクレスの方が、アリストテレスよりアレクサンドロスの方が学問的実力が上だということになりかねない)という疑問も出されましたが、少なくともパルメニデスとヘラクレイトスの比較に関して言えば、そういう要素があることも必ずしも否定できないのではないか、ということになりました。 
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 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言