2015年07月15日

2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス 要約@
(3)ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス 要約A
(4)ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス 要約B
(5)ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス 要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:ヘーゲルはエレア派の意義と限界をどう捉えたか
(8)論点2:ゼノンの運動否定の証明をどのように捉えるべきか
(9)論点3:ヘーゲルはヘラクレイトスの弁証法をどう評価しているか
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 我々京都弁証法認識論研究会は、今年および来年の2年間の予定で、ヘーゲル『哲学史』(岩波全集版)に取り組んでいます。一昨年のヘーゲル『歴史哲学』、昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて、この『哲学史』を通読することで、ヘーゲルが描く哲学史の流れを理解することはもちろんのこと、それを唯物論的に捉え返すことで唯物論哲学の創出に向けた第一歩を確実に歩んでいくことを課題としているわけです。

6月例会では、ヘーゲル『哲学史』のエレア派およびヘラクレイトスが論じられている部分を扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

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京都弁証法認識論研究会  2015年6月例会
ヘーゲル『哲学史』 エレア派〜ヘラクレイトス

【1】エレア派――クセノファネスとパルメニデス
 エレア派において,変化がその抽象の極において無と見られることによって,対象的な運動が主観的なものに移され,同時に本質は不動なものとなる。ここに弁証法,即ち概念における思惟の純粋な運動の始まりがある。
 クセノファネスははじめて絶対的本質を一者と規定し,またそれを神とも名付けた。彼は生起と消滅,変化と運動などの観念は感性的直観に属するものとして,それらの真理性を否認する。純粋思想の直接的な産物である一者は直接性の形をとった有〔存在〕である。ここでは有以外のものはすべて実在性をもたず,ただ仮象にすぎない。エレア派は何ものも生起せず,また消滅しないということを立ち入って論証した。その根底にあるのは同一性の原理である。エレア派は断乎として,ただ一者のみがあり,否定的なものは決してないと主張したのである。
 パルメニデスにおいては,有と非有との対立が,まだ意識的ではないにしても,よりハッキリと現れている。彼は「知識の二つの道が如何なるものであるかを理解せよ。一方のものは,ただ有だけがあって,非有はないという道である。これは確信の道であって,真理はこの道の上にある。」と述べている。無を真理と考えるのは誤謬の道であるというのである。彼の感覚と思惟についての説明は,ちょっと見ると唯物論のように見えるかもしれないが,感覚と思惟とが対立するものとみられており,唯物論の反対である。

〔報告者コメント〕
 パルメニデスに関しては,悠季真理先生によって,「万物を一として規定することができたパルメニデスの実力は,(学問の)体系化への道の第一歩であり,体系化の道のもっとも原初的な段階」(「やがて哲学の実体をなすものとして生成していくような,体系化へとつながっていく認識の萌芽」と評価されている。すなわち,やがてヘーゲルの絶対精神につながる,学問の本質論的なものが,パルメニデスから生まれた,ということであろう。このエレア派の「一」なるものは,運動・変化・発展する現実のありさまから,人間の頭脳活動によって抽象化した論理であるだけに,不動なものなのだと考えられる。


【2】エレア派――ゼノン
 ゼノンの特性は弁証法にある。弁証法は実にゼノンに始まる。ゼノンは,「君らが変化を立てるなら立てよ。変化そのものにおいては,その無があるのみ。或いは変化は無である」という。ゼノンは運動そのもの,或いは純粋な運動に反対した。特に注目に値するのは,ゼノンにおいて,ひとつの規定は否定されるが,この否定そのものはまたひとつの規定である,という高次の意識が見出されることである。次に,絶対的否定においては,一方の規定のみでなく,この2つの相対立する規定が否定されねばならないという意識を,ゼノンは予感する。ゼノンは客観的弁証法の開祖という重要な側面をもつ。誤謬は他者によって証明されてはならず,それ自身において証明されねばならない。我々はこの理性的な洞見がゼノンの中に生じて来るのを見るのである。ゼノンは,パルメニデスの命題を嘲笑しようとする人々に対して,多の存在を立言すれば遥かに不合理なものが生ずることを示そうとした。ここでは単純な思想が,もはや単独に自己を主張するのではなく,強力になって敵地において戦いを敢行しているのが見られる。弁証法はゼノンの意識においては,こういう消極的な側面をもつ。けれども弁証法はまた積極的な側面からも考察されねばならない。内在的弁証法(客観的弁証法)は,単に我々の知性の運動ではなく,事柄そのものの本質(内容の純粋概念)からの証明である。この内在的考察においては,対象が相対立する規定を含み,それ故に自分を止揚するものであることが,対象そのものによって示される。我々はこの弁証法を,まさにゼノンの中に見出すのである。ゼノンは雑多を否定した。ゼノンの運動否定論は,運動が感性的確実性をもつということを拒んだのではなく,真実の有は決して運動に属さないということを言おうとしたのである。
 ゼノンは運動反駁のいくつかの方法を持ち出す。証明は空間と時間とが無限に分割されているということに基づいて行われる。第一の形式は,運動するものはある目標に達するために,その半分を通過しなければならず,さらにその半分,その半分を通過しなければならないので,運動は何ら真理をもたない,というものである。これは感性で捉えるべき問題ではなく,概念で把握すべき問題である。このゼノンの証明に悪無限が,矛盾の形において発展する形態がはじめて登場し,そして哲学史はこの矛盾の意識に達する。運動を理解するとは,その本質を否定性と連続性との統一として言い表すことである。運動するものが半分の処に達せねばならぬというのは連続性の主張であり,単なる可能性としての分割の可能性の主張である。単に考えられた分割を,即ち無際限に連続する半折を抽象的に固持するのはあやまりである。なぜなら,半分の仮定の中には,すでに連続性の切断があるからである。第二の証明は,これもまた連続性を前提して,分割を定立するもので,「健脚アキレス」の証明と呼ばれる。同一の方向に運動する2つの物体があり,あとから続くほうが速力が速いとする。ゼノンは,最も速い者でも遅い者に決して追いつき得ない,という。前のものがいた点に後のものが達するまでの時間には,前のものは新しい空間を辿っており,後のものは,この時間の何分の一かの時間で再びそれを通過しなければならず,この関係は無際限に進んでいくからである。アリストテレスは,「この証明は同じ無限に分けられているものを考えている。しかし,それは真なるものではない。なぜなら,速い者はその限界を越えて進むことが許されるなら,きっと遅い者に追いつくだろうから」と言っている。これは正しいし,またすべてを言いつくしている。第三の形式は「飛んでいる矢は静止している。その理由は,運動しているものは常に自同的な今と自同的な此所の中に,即ち区別し得ないものの中にあるが故である。」というものである。矢は自分の空間を超出せず,他の空間を占めない。我々はこれを運動とは呼ばず,静止と呼ぶ。最初の両つの証明においては,進行する連続性が主となっていたが,ここでは絶対的な限界性,連続性の破壊,他のものへ推移しないと言うことが主張される。なるほど限界は一般に立てられるが,それはただ契機としてにすぎない。以上がゼノンの弁証法である。彼は空間と時間についての我々の観念がもつ諸規定について意識をもち,それらの矛盾を指摘した。カントの二律背反はゼノンがここですでにやったもの以上の何ものでもない。

〔報告者コメント〕
 ゼノンの方法は,運動を肯定する相手の論理を押し進めていけば,必然的に矛盾に陥ることを示そうとするものであるといえる。これはある意味,ソクラテスの問答に通じる方法といえないだろうか。ソクラテスも,相手に質問を重ねることによって,相手自身が自分の矛盾に気づくように仕向けたといえる。そうして正しい認識に導いたのである。ゼノンも同様に,自分の運動否定論を直接説くのではなく,相手の運動肯定論を矛盾に導くことによって,媒介的に自己の説の正しさを主張したといえる。
 ゼノンは,運動に関する事実と論理の問題を提起したともいえる。すなわち,論理を突き詰めていけば,事実に反することになるのであり,いったん,この矛盾を提示するところまで進んだのがゼノンであるといえる。本来はそのあと,論理と事実を統一する学的作業が必要なのであろうが,そのためにも,まずは矛盾を提示することこそが,非常に重要な段階であったといえるのではないか。


【3】ヘラクレイトス
 ゼノンの弁証法はまだ主観的弁証法と呼ばれ得るが,ヘラクレイトスのそれは弁証法そのものを原理として把捉しており,客観的弁証法といえる。ヘラクレイトスの果たした必然的進展は,最初の直接的思想としての有から,第二の思想である生成の規定に進んだことにある。ここに我々は弁証法の祖国を見出す。ヘラクレイトスの命題で,私の論理学に取り入れられなかったものはないのである。ヘラクレイトスは,「有と非有とは同一のものである,すべてのものは有ると共に無い」と言った。真なるものは相対立するものの統一であり,しかも有と非有との純粋な対立の統一にほかならない。ヘラクレイトスは,この原理の意味を一層徹底させて「万有は流転する」と表現し,さらに「恒常なものはただ一者のみで,この一者から他のすべては形成される」と主張した。アリストテレスが従来の哲学において指摘した運動の欠如がここに回復される。運動がいまや原理とさえもせられるのである。彼の自然哲学について,アリストテレスのように,ヘラクレイトスは存在的本質を火とした,という者もあれば,空気を本質としたとか,蒸気を原理とした,という者もある。彼は抽象的過程を時間と解した。時間の本質は,ひとつの統一の中に有ると共に無いことである。つまり時間は有から非有への転換であり,こういう抽象的な概念である。ヘラクレイトスは,万有は流転するから感性的知識の中には何らの真理もないということ,感性的確実性の有は有ると共に無いと言うことを主張すると共に,また彼は知識における客観的な方法を必然的であると主張する。我々が知る理性的なもの,真なるものも勿論,対象的なものからの,即ち感性的なもの,個別的なもの,規定されたもの,存在するものからの脱却ではある。しかし理性がそれ自身の中において知るものこそ,必然性であり,或いは存在の普遍的なものである。それは世界の本質であると共に,思惟の本質である。

〔報告者コメント〕
 ヘーゲルはヘラクレイトスを高く評価している。確かに,対立物の統一の認識に至っている点や「万有は流転する」と論理化できた点は,弁証法の発展史においても非常に重要だと考えられる。
 ただ,ゼノンより発展しているのかどうかという点は,疑問がある。南郷学派の著作でも,ゼノン(の詭弁)は何度も取り上げられて,高く評価されているが,ヘラクレイトスをそれほど評価しているようには見えない。これをどのようにとらえるべきなのか,議論できればと思っている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以上の報告に対しては、ポイントを押さえて流れは分かるように纏められているが、ヘーゲルの言葉(翻訳された文章)そのままを使うのではなく、報告者なりの言葉に置き換えて分かりやすく説きなおす努力があればよかった、との感想が出されました。これについては、報告者からは、本来ならそうすべきであったと思うが、今回の範囲は難解極まりないものであり、時間の制約もあってこのような形になってしまった、という発言がありました。また、報告全体の形式として、報告者コメントの分量をもう少し増やすべきではなかったか、内容の要約的な部分と報告者コメントは半々になるくらいを目指すべきだ、との指摘もありました。
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 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う