2015年06月27日

高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く(1/5)

目次

(1)『邪馬台国の秘密』から認識論的に学ぶこととは?
(2)『邪馬台国の秘密』のあらすじ
(3)「観念的二重化への道」の復習
(4)恭介は3世紀の人間になりきった
(5)言語を読み取るには自分の他人化の能力が必須

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(1)『邪馬台国の秘密』から認識論的に学ぶこととは?

 みなさんは「ベッド・ディテクティヴ(bed detective)という言葉をご存じでしょうか。ウィキペディアには次のようにあります。

「ベッド・ディテクティヴ
 ベッド・ディテクティヴ(bed detective)は,ミステリの分野で用いられる呼称で,広義の安楽椅子探偵(armchair detective)の一種,あるいは安楽椅子探偵の亜種といえる。ベッド探偵,寝台探偵とも。

概要
ベッド・ディテクティヴは,探偵が事件の現場に行かず,自分の目で現場を見ずに,他人の話や事件の調書などのデータを基にして推理を展開するという点では,安楽椅子探偵と共通であるが,(多くの場合)探偵が怪我などで病院のベッドの上にいる(detective on the bed)ため動くことができないという点に特徴がある。また,推理を行う動機も入院中の退屈しのぎという面がある。ただし,退屈しのぎといっても推理がいい加減というわけではない。また,過去に起こった出来事について推理するいわゆる「過去もの」に属する作品が多い。
1951年,ジョセフィン・テイが発表したリチャード3世の謎を巡る『時の娘』(The Daughter of Time)がこの分野の最初の作品とされている。ただし,英語にはbed detectiveという語は存在しない(和製英語)であり,安楽椅子探偵に比べればその認知度は低い。」


 要するに,ベッド・ディテクティブとはミステリの一種であり,探偵が何らかの事情でベッドの上におり,そこを動かずに少数の事実から論理的な推理によって謎を解いていく形式の探偵小説である,ということです。

 本稿で検討する高木彬光『邪馬台国の秘密』は,そんなベッド・ディテクティブに属する探偵小説の一つです。ウィキペディアの解説にあったように,最初のベッド・ディテクティブの作品はジョセフィン・テイ『時の娘』でしたが,これが発表された7年後に,高木彬光は『成吉思汗の秘密』というベット・ディテクティブを発表しています。『成吉思汗の秘密』では,平泉で自害したとされる源義経は,実は生き延びており,北海道・樺太からモンゴルに渡って,モンゴル帝国をつくりあげたジンギス・カン(成吉思汗)となった,という説が扱われています。

 『成吉思汗の秘密』の15年後に,高木は『邪馬台国の秘密』を発表します。ここでは,邪馬台国はどこにあったのかという謎が扱われています。『邪馬台国の秘密』からさらに13年後には,高木は『古代天皇の秘密』という3作目のベッド・ディテクティブを発表します。ここでは「神武天皇は実在したのか?」「ヤマト朝廷の統一は何を意味しているのか?」といった謎が推理されていきます。

 以上のように高木は,日本の歴史をテーマにしたベッド・ディテクティブを3作発表しているのですが,本稿で検討する『邪馬台国の秘密』がその完成度において,最も優れているということができるでしょう。角川文庫の大内茂男氏による解説でも以下のように述べられています。

「私は高木彬光の「邪馬台国の秘密」を刊行直後に読んで,これこそ小説の衣を着せた古代史の歴史科学的研究であり,乱歩の言う「極度に〈科学〉に接近した作品」であると考え,乱歩の願望が38年後になって,ようやく果たされたことを,何よりもうれしく思ったのである。これはけっして私だけの独断でもなければ,買い被りでもない。後になって,高木氏がこの作品を「学術論文的な推理小説」を意図して書いたという旨の文章を読み,なるほど私の見方は誤っていなかったんだな,とひそかに自信を深めた次第である。」(pp.366-367)


 すなわち,『邪馬台国の秘密』は,小説形式をとっているものの,中身は学術論文といってもよい内容だということです。それほど推理の論理性が高く,論証過程が厳密であるということなのです。実際に読んでみると,その論証の鮮やかさに唸るものがあります。また,認識論の観点から検討しても,非常に興味深いものがあると思いましたので,本稿を認めることにした次第です。

 邪馬台国論争については有名ですので,みなさんもご存じだとは思いますが,念のために,高校の日本史の教科書を引用しておきます。

「中国大陸では220年に後漢が滅び,かわって魏・呉・蜀が並び立つ三国時代を迎えた。その三国時代の歴史書『三国志』の「魏志」倭人伝によると,倭国では2世紀の終わりごろに大きな争乱がおこり,なかなかおさまらなかった。そこで諸国は共同して邪馬台国の女王卑弥呼を立てたところ,ようやく争乱はおさまり,ここに邪馬台国を中心とする29国ばかりの小国の連合が生まれた。卑弥呼は239年,魏の皇帝に使いを送り,「親魏倭王」の称号と金印,さらに多数の道鏡などをおくられた。卑弥呼は巫女として神の意志を聞くことにたけていたらしく,その呪術的権威を背景に政治をおこなったという。

……

 この邪馬台国の所在地については,これを近畿地方の大和に求める説と,九州北部に求める説とがある。近畿説をとれば,すでに3世紀前半には近畿中央部から九州北部におよぶ広域の政治連合が成立していたことになり,のちに成立するヤマト政権につながることになる。一方,九州説をとれば,邪馬台国連合は九州北部を中心とする比較的小範囲のもので,ヤマト政権はそれとは別に東方で形成され,九州の邪馬台国連合を統合したか,逆に邪馬台国の勢力が東遷してヤマト政権を形成したということになる。」(『アナウンサーが読む聞く教科書 山川詳説日本史』pp.22-22)


 このように,邪馬台国がどこにあったかをめぐっては,大きく近畿説と九州説があるのです。なぜこのような論争が生じたのかというと,それは邪馬台国が描かれている『魏志・倭人伝』の記述があいまいで,直感的な解釈に基づいて場所を推定しようとすると,九州のはるか南の海上になってしまったりするからです。だから,「これは方角が誤記されたに違いない」とか,「いやいや,『陸行一月』とあるのは『陸行一日』の間違いである」などと恣意的な解釈がなされ,邪馬台国の場所いかようにも推定することが可能となるのです。

 では,問題の『魏志・倭人伝』の記述はどのようなものなのでしょうか。『邪馬台国の秘密』では,探偵のパートナー役が読み下し文を書いていますので,その中で,場所の推理に必要な部分のみを抜き出してみます。
 
「倭人は帯方の東南の大海の中に在り。……郡より倭に至るには,海岸に循いて水行し,韓国を歴て,乍ち南し乍ち東し,その北岸狗邪韓国に到る。七千餘里。

 始めて一海を度ること千餘里,対馬国に至る。……

 又南に一海を渡ること千餘里,……。一大国に至る。……

 又一海を渡ること千餘里,末廬国に至る。……

 東南のかた陸行五百里にして,伊都国に至る。……

 東南のかた奴国に至ること百里。……

 東行して不彌国に至ること百里。……

 南のかた投馬国に至る。水行二十日。……

 南,邪馬台国に至る。女王の都する所なり。水行十日,陸行一月。……

 ……

 ……郡より女王国に至ること萬二千餘里。」(pp.29-32,適宜,漢字を新漢字に変えてある)


 ここに書かれている内容を補足しながら説明します。まず,日本人は帯方郡の東南の海の中にあると書かれています。帯方郡というのは,当時,中国が朝鮮半島の中西部に置いた地方拠点で,『邪馬台国の秘密』では,現在のソウルあたりだとするのが定説だと書かれています。そこから日本に至るには,海岸沿いに舟で韓国に行って,そこから南に行ったり東に行ったりして,日本の北の対岸にある狗邪韓国に行くことになる,ということです。狗邪韓国というのは,現在の釜山あたりでほぼ間違いないということです。ここまでの距離が七千里あまりであると記されています。

 釜山あたりから千里あまり海を渡ると対馬に着き,また南に千里あまり海を渡ると壱岐に着く,とあります。さらに千里あまり海を渡ると,末廬国に至り,東南の方角へ陸上を五百里行くと伊都国に至り,東南の方向へ百里行くと奴国がある,東に百里行くと不弥国に着く,と認められているわけです。さらに,南の方に舟で20日行くと投馬国に至り,南に舟で10日,陸上を1カ月行くと邪馬台国に着く,というわけです。

 このように,邪馬台国までの道順は,方角や距離が書かれているものの,記述が簡素であるために,いろいろな解釈が可能となっており,なかなか邪馬台国の場所が特定できていないのが現状なのです。

 それでは,『邪馬台国の秘密』では,どのようにして邪馬台国の場所を特定していくのでしょうか。その論証のプロセスはどのようなものであり,そこを認識論的に捉え返すと,どのようなことが学びとれるでしょうか。本稿ではこのような問いに対してしっかりと答えていきたいと思っています。


※なお,地理が分かりにくい場合は,Google マップなどを利用して,確認しつつ読み進めていただければと思います。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する