2015年06月12日

デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して(1/5)

○目次
(1)デューイの教育論の歴史的な意義とは何か
(2)デューイの問題意識とはどのようなものだったのか
(3)デューイは子どもをどのように把握したのか
(4)デューイは学校をどのように改革すべきだと主張したのか
(5)デューイは子どもの能動性に着目した

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)デューイの教育論の歴史的な意義とは何か
 
 みなさんは小学校のときの授業を覚えておられますか。現在、小学校の算数科では次のような教科書が使われています。以下は4年生「分数」の内容です。

算数教科書.png

 問題が提示され、それに対する解き方を自分で考えます。そして、それぞれの解き方を発表し合い、どの方法がよいか話し合っていくのです。

 いかがでしょうか。あまりの違いに驚いた方もおられれば、「こんな感じだったよ」という方もおられるかと思います。このように、現在の小学校の算数科の授業では、問題を与えられてそれに対して自分の考えを書く、あるいは問題そのものを自分で考えるといったことが重視されているのです。

 このような授業(学習)のあり方を「問題解決学習」と呼びます。問題を解決する過程をとおして、知識を身につけたり、考える力を高めたりしていくということです。『現代カリキュラム事典』によれば、「学習者が直面する具体的な学習問題をとらえ、その問題の解決のための思考活動を行って究明・解決を図っていく過程で問題解決の諸能力を育成しようとする学習形態」とされています。


 では、果たしてこのような学習によって、子どもたちに力をつけさせることができているのでしょうか。現場の教師としての感覚から言えば、「否」と答えざるを得ません。特に算数の場合、いわゆる勉強のよくできる子どもの場合は、与えられた問題に対して自分なりに解き方を考えることができます。しかし、いわゆる勉強のできない子どもの場合、問題を与えられても何をどうすればいいかわからないということになります。結果、授業がつまらなくなり、仮に最後に解き方のまとめがあったところでよくわからないし、聞く気もないという状態になります。こうなると授業自体が重たい空気になりますし、そのことは学級のあり方にも大きく影響し、最悪の場合は学級崩壊にもつながりかねません。実際、筆者はそのような事態へと発展している事例も見てきました。

 これは決して私だけの個人的な感覚ではなく、現場教員としては少なからずもっているものです。例えば、教育実践家として著名な向山洋一氏は「『算数の問題解決学習』は、犯罪的な学習方法だ。算数嫌いを作り、学力を低下させるからだ。」(『教室ツーウェイ』明治図書、2013年9月号)と主張しています。そして具体的な問題点として、「わからない子が多い」「教科書が進まない」「(進度が遅いため、それをとり返そうと)宿題が多くなる」などを指摘しています。このように現場レベルで問題解決学習に対する疑問が浮上してきています。

 そもそも問題解決学習はどのような過程で行われるようになったのでしょうか。問題解決学習を最初に提唱したのはアメリカのプラグマティズムの哲学者として、また教育学者として有名なジョン・デューイ(1859-1952)です。最初に紹介した算数の教科書の教師用指導書においても、「問題解決の過程については、デューイやポリア(注1)が述べている」と書かれています。そして、その過程について、昭和55年に文部省から刊行された算数指導資料『指導計画の作成と低学年の指導』に「わかりやすく述べられている」として以下が紹介されています。

@問題としての意識をもつ
 学習課題そのものやその提示のしかたを工夫して、児童に興味や関心を起こさせ、進んで取り組むことができるようにさせることが大切である。
A問題をよく理解する
 問題の意味や関係をとらえさせ、問題構造をしっかり把握させることが大切になる。
B解決のしかたの計画を立てる
 この段階はとても大切であり、既習事項と結びつけ、既習事項をどのように活かして解決していくかを考察させるようにする。
C解決を実行する
 解決の実行にあたっては、操作によったり、図・グラフ・表・式などを用いたり、類推や見通しの考えを用いるなど、適当なストラテジーを活用するようにする。はじめは下手でも自分の力で着実に解決させ、漸次、洗練された手法や考えが駆使できるように指導していく。
D得られた結果を検討する
 得られた結果が題意に適合しているか検討するようにする。それとともに、実行したことにたいして反省するという態度を育てるという面からも大切な段階である。
E結果や解決のしかたを新しい場面に適用する
 習得した結果や解決のしかたを新しい場面に積極的に適用して、知識・技能の深化や定着をはかったり、一般化したり、さらには発展させたりしていくようにする。


 問題に対してまずは自力で解決を図ろうとすること、実行したことにたいして反省することなどは、まさに先ほどの教科書で確認したとおりであることがわかります。

 デューイはアメリカ合衆国の東北に位置するニューイングランドで生まれました。1879年、ヴァーモント大学を卒業後、田舎の小学校で教師をする傍ら、哲学に関わる論文を執筆し、ジョンズホプキンズ大学の大学院に入りました。そこではヘーゲル哲学にひかれ、ヘーゲルが自分の思考方法に「永遠の沈殿物をのこした」とも述べています。1884年に「カントの心理学」という論文で哲学博士の称号をとった後、ミシガン大学(1884-1888、1889-1894)、ミネソタ大学(1888-1889)で哲学の教鞭をとりました。1894年、シカゴ大学哲学心理学教育学科主任となり、自らの構想に基づいた実験学校(デューイ・スクールとも呼ばれています)を始めました。その成果をまとめたのが、『学校と社会』です。1904年には、コロンビア大学で哲学の教授となり、政治問題に強い関心を持つようになりました。その中で、『我々はいかに思考するか』(1910)、『民主主義と教育』(1916)を執筆し、1930年の引退後も『経験と社会』(1938)を書きました。

 このデューイの教育論が日本に本格的に導入されたのは戦後です。1947年、1951年の学習指導要領は問題解決学習の考え方に基づいて編成されていました。その中でも、算数科と(戦後新設された)社会科はその考え方が色濃く反映していました。その後、問題解決学習では、基本的・基礎的な知識の習得が困難であるという批判が強まり、教科内容を系統的に教えることが重視されるようになりました。しかし、近年において再評価する機運が高まり、1998年版の学習指導要領の「総則」には、「問題解決的な学習」という名称でそれを重視する記述が再び盛り込まれるようになりました。現在の学習指導要領にも「各教科等の指導に当たっては,体験的な学習や基礎的・基本的な知識及び技能を活用した問題解決的な学習を重視する」と書かれています。こうした流れの中で冒頭で紹介したような教科書が作られるようになりました。また、社会科の教科書では、「学習問題を作ろう」というページがあり、問題そのものを自分たちで見つけ、その解決を図っていくという流れが示されています。

 本稿では、問題解決学習に対する疑問が浮上する中で、問題解決学習の出発点とされるデューイに焦点をあて、その著作である『学校と社会』を中心として、そもそもデューイの教育論とはどのようなものだったのかを概観し、その歴史的な意義を明らかにします。それをとおして、現在の(特に算数科における)問題解決学習の問題点について考察を進めていきたいと思います。

 まずはデューイが生きた時代のアメリカ社会はどのようなものであったのかを見ていき、それに対してデューイがどのような問題意識を抱いていたのかを明らかにします。続いて、デューイが教育対象である子どもの認識についてどのように考えていたのか、そして、その把握に基づいてどのように学校を変えていくべきだと主張したのかを明らかにしていきます。

(注1)
ポリア(1887- 1985)とはハンガリーの数学者であり、人々が問題を解決する方法を探求し『いかにして問題を解くか』などを執筆しました。
posted by kyoto.dialectic at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・一会員による『学城』第11号の感想
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 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
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 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
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 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
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 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
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 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編