2015年06月11日

アダム・スミス「模倣芸術論」を読む(5/5)

(5)スミスは模倣ということでは芸術の価値を説明しつくせないことを示した

 本稿は、アダム・スミスの遺稿集『哲学論文集』に収録された「模倣芸術論」の内容を概説しつつ、スミスが、模倣に着目することで芸術の価値の源泉について如何なることを明らかにしえたのか、検討することを目的としたものでした。

 ここで、これまで説いてきた流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 まず「模倣芸術論」の第1部の内容を確認しました。そこでは、完全な模倣とはどういうことか、という観点から議論が始まり、絵画と彫刻における模倣が検討されてゆきました。その結果、模倣そのものの完全さ(その極限が欺瞞、すなわちコピーにすぎないものを本物と見まがわせようとすること)は何らの芸術的価値も生まないのであり、芸術的な価値は、模倣される対象(モデルとなるもの)と模倣するもの(表現の素材)との大きな物質的な差異を克服する技術の見事さへの驚嘆に基づいているのだ、とされていたのでした。

 次いで、「模倣芸術論」の第2部の前半部分、すなわち、いわゆる「三姉妹芸術」(音楽、舞踊、詩)相互の関係について、歴史的発展過程をも視野に入れて論じられている部分の内容を確認しました。そこでスミスは、これら「三姉妹芸術」のうち、舞踊は音楽から離れては存在しえない(音楽的な速度と拍子を伴わなければ、諸動作の適切な速度と拍子とが知覚できない)が、器楽は詩からも舞踊からも離れて単独で最もよく存在できるものである、と主張していたのでした。

 「模倣芸術論」の第2部後半では、この器楽が考察の対象となっていました。スミスは詩と音楽が結合した声楽(歌曲)が、三重の過程(作詞者による模倣、作曲者による模倣、歌手による模倣)によって、極めて強い模倣力を発揮することを強調する一方で、器楽が現実の対象を模倣する力は、非常に貧弱なものでしかない、と断じていました。器楽は、何らかの事件を具体的に描写することはできないし、その事件の当事者がどのような感情を抱いたかを全ての聴き手が明瞭に理解できるように表現することはできない、というのです。スミスは、器楽がもたらす感動の源泉をめぐって、精神(心)における思考や観念の連なりと音楽における音の連なりとの類似性について着目し、器楽は高い音と低い音や類似音と対照音の適切な配列により、また継起の緩急により、陽気な、平静な、あるいは憂鬱な気分に適応しうるのだ、と論じていました。しかし、スミスは、こうした音の連なりが作曲者の感情(思考や観念の連なり)を模倣したものにほかならないことに気づくことができず、器楽はそれ自体が、陽気、平静、憂鬱な対象なのであって、器楽を聴いて我々が抱く感情というのはあくまでも本源的な感情、すなわち、我々自身の陽気、平静、憂鬱なのである(他者の感情への共感を媒介として成立した感情ではない!)、としてしまったのでした。

 以上を要するに、芸術の価値(良し悪し)、換言すれば、芸術作品がその鑑賞者に与える満足感の源泉について考察してきたスミスは、それが必ずしも現実の対象を巧みに模倣するというところから生じるものではない、ということは明らかにしえたものの、その真の源泉(作者の創造的認識)については、ついに明瞭につかむことはできなかったのだ、ということになるでしょう。

 こうしたスミスの「模倣芸術論」の特徴について、それを規定した時代的条件ということにも注目しながら、改めて論理的に概括してみることにしましょう。

 端的には、スミスは、芸術(模倣技術)における模倣について突っ込んで検討することで、模倣ということだけでは芸術の価値が生じる要因を説明し尽くせないことを示したといえます。

 模倣ということに関わって、スミスは、芸術的な価値は模倣される対象(モデルとなるもの)と模倣するもの(表現の素材)との大きな差異を克服する技術の見事さへの驚嘆に基づいている、という重要な命題を提起していました(もちろん、器楽の価値は、この命題で説明されるものではないわけですが)。

 模倣される対象と模倣したものとの差異を克服する技術に対する感嘆という指摘は、〈対象→認識→表現〉という芸術の過程的構造(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』)のうち、最初の対象と最後の表現とを並べて比べていた伝統的な芸術論を思えば、両者を媒介する過程に着目でき始めたものとして、注目に値するのではないでしょうか。スミスは、(作者から切り離された)模倣そのものの忠実さではなく、模倣する技術の巧拙、もう少し踏み込んでいえば、その技術を駆使する人間の主体性に着目しようとしているわけです。

 しかしながら、作者の認識というものは、スミスの視野に明瞭には入って来ていませんでした。スミスは、芸術作品の鑑賞者が、芸術作品を媒介として、その作者の感情に共感する、という構図を見て取ることができなかったのです(*)。このことは、スミス自身が『道徳感情論』において共感論を全面的に展開していたことを思えば、非常に奇妙なことのようにも思われます。「模倣芸術論」においても、共感というキーワードが登場しないわけではないのですが、それは、鑑賞者が作者に共感するという構図においてではなく、鑑賞者が物語の登場人物に共感する、という構図においてでしかないのです。

 では、スミスが芸術の作者の認識に着目しきれなかったのは、何故なのでしょうか。端的には歴史的制約ではないかと思われます。18世紀後半においては、作者の主体的認識が強烈に表現されたような芸術作品はまだほとんど存在していなかったのです。とりわけ、「模倣芸術論」で中心的な考察の対象となった器楽についていえば、18世紀後半はバロック音楽から古典派音楽への過渡期でしかないのです。作曲者の主体的認識が強烈に表現された器楽曲は、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」からようやく始まるといっても過言ではありません。この曲が公開初演されるのは、1805年、スミスの死後15年経ってからのことだったのです。

 三浦つとむの芸術論を踏まえるならば、芸術は作者の認識の表現であり、作者の認識のレベルの高さが価値の源泉である、ということができます。スミスの「模倣芸術論」は、結果としてみれば、この正解に到達することはできていませんでした。しかし、18世紀後半という時代的制約の下にありながら、徹底的に突き詰めた考察によって伝統的な芸術論の限界を乗り越えていこうという力強さを感じさせる、非常に魅力的な論稿であることは間違いありません。人類社会の歴史的発展過程と関わらせながら諸芸術の成立過程を考察したり、精神の内部における思考や観念の連なりと音楽における音の連なりとの類似に着目したりした点などは、現代における芸術論の発展という観点からも、非常に示唆に富むものだといえるでしょう。

 我々は、この「模倣芸術論」について、結論の不充分さをあげつらうのではなく、その結論に至る過程におけるアダム・スミスのアタマの働かせ方の見事さにしっかりと学ぶべきなのです。この点にこそ、哲学者アダム・スミスに学ぶ大きな意義があるといえるでしょう。 

(*)しかしながらスミスは、『修辞学・文学講義』においては、言語の聞き手・読み手が、言語(音声・文字)を媒介として、話し手・書き手の感情に共感する、という過程的構造が存在することを見事に見抜いていたのでした。スミスは、こうした過程的構造が芸術にも同様に存在していることを明瞭につかむことができなかったわけですが、これは表現論一般(絵画や彫刻や舞踊や音楽といった芸術も、認識の表現という点では言語と同様の存在である)という観点を把持できなかったことを意味しています。

(了)
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 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言