2015年06月10日

アダム・スミス「模倣芸術論」を読む(4/5)

(4)スミスは器楽の効果は模倣とは無縁であると主張する

 前回は、「模倣芸術論」の第2部の前半部分、すなわち、いわゆる「三姉妹芸術」(音楽、舞踊、詩)相互の関係について、歴史的発展過程をも視野に入れて論じられている部分について検討しました。そこでスミスは、これら「三姉妹芸術」のうち、舞踊は音楽から離れては存在しえない(音楽的な速度と拍子を伴わなければ、諸動作の適切な速度と拍子とが知覚できない)が、器楽は詩からも舞踊からも離れて単独で最もよく存在できるものである、と主張していたのでした。

 「模倣芸術論」の第2部後半では、この器楽が考察の対象となります(「模倣芸術論」のなかでも、この器楽を論じた部分が最も長いものとなっています)。

 前回の最後で見たとおり、スミスは詩と音楽が結合した声楽(歌曲)が、三重の過程(作詞者による模倣、作曲者による模倣、歌手による模倣)によって、極めて強い模倣力を発揮することを強調していました。これに対してスミスは、器楽が現実の対象を模倣する力は、非常に貧弱なものでしかない、と断じるのです。器楽は、何らかの事件を具体的に描写することはできないし、その事件の当事者がどのような感情を抱いたかを全ての聴き手が明瞭に理解できるように表現することはできない、というのです。

 もちろん、スミスは、器楽が様々な物音を模倣することができること自体は認めています。その例として、コレッリの「クリスマス協奏曲」(合奏協奏曲第8番ト短調)において、揺りかごの揺れが模倣されていることや、ヘンデルがミルトンの詩(「快活の人、沈思の人」)に作曲したオラトリオ「快活の人、沈思の人、温和の人」のなかのシンフォニア(合奏曲)において、鐘のなる音やひばりやナインチンゲールの鳴き声が模倣されていることが挙げられています。

 しかし、これらの音楽については「ここは揺りかごの揺れを表わしているのですよ」と前もって知らされていなければ、あるいはミルトンの詩によって音楽の意味が説明されていなければ、そもそも何を模倣しようとしていたのか、聴き手がただちに理解することはありえないだろうし、そういう説明を受けて聴けば見事な模倣に聴こえる部分も、説明なしに聴いたならば一風変わった楽句に聴こえるだけであろう、とスミスは指摘するのです。

 それでは、器楽の模倣力がこのように非常に貧弱なものでしかないとすれば、器楽を聴いたときの我々の満足感(感動)はどこから生じるのでしょうか。ここでスミスは、我々の精神(心)における思考や観念の連なりと音楽との類似性に着目しています。

 スミスはまず、精神(心)における思考や観念の連なりについて、次のように整理しています。

 スミスによれば「心を不断に通過する思考や観念の連なり(train of thoughts and ideas which is continually passing through the mind)」は、必ずしも常に、同じ歩調で、あるいは同じ順序と結びつきで、動いてゆくとは限りません。我々が陽気で快活なときには、その流れは生き生きとして活発です。こうした陽気な精神状態においては、我々は、同じような思考や観念に長く関わるよりも、対照による相違を求めていきます。一方、我々が憂鬱で気落ちしているときは全く異なります。そうした場合、我々は、できれば追い払ってしまいたいと思う思考や観念に、絶えず付きまとわれてしまうのです。互いによく似た諸々の思考がゆっくりと続いていくことが、憂鬱な心境の特徴なのです。精神の自然な状態、すなわち高揚も落胆もしておらず、平静で沈着な状態は、これら両極端の中間的な位置を占めています。

 精神(心)における思考や観念の連なりについて以上のように整理したスミスは、音楽における音の連なりについて次のように考察します。

 高い音は陽気で快活であり、低い音は荘重で憂鬱です。高い音は低い音よりも急速に飛翔するように感じられるし、最高音部は最低音部よりも快活であるから、高音部の音符はより急速に継起するのが普通です。こうして、器楽は、高い音と低い音や類似音と対照音の適切な配列により、また継起の緩急により、陽気な、平静な、あるいは憂鬱な気分に適応しうるのです。だからこそ、誰であっても、快活で陽気な音楽と、憂鬱でもの悲しい音楽と、これらの中間に位置する平静で沈着な音楽とを、容易に区別することができるのです。ここからさらに、聴き手が何らかの強烈な感情を抱いていない限り、音楽はそれ自身の性格に合致した特定の気分に、聴き手を誘い込む力をも持っていることを指摘することもできます。

 スミスは、思考や観念の連なりと音楽における音の連なりとの類似性について、以上のように論じるのです。

 このようなスミスの説明について、三浦つとむの芸術論を学んだことのある読者であれば、「なるほど。音楽においては、作曲者の感情が、それに照応した音の連なりとして表現されているのであって、その音の連なりを媒介として、聴き手は作曲者の感情に同化するのだな。あえて模倣という概念を使っていえば、作曲者の感情(思考や観念の連なり)が音の連なりによって模倣されている、ということなのだな」と考えるかもしれません。器楽が聴き手の感動を呼び起こす過程的構造の説明としては、まさにその通りだといえるでしょう。しかし、残念ながら、スミスはこうした結論には到達していないのです。スミスは、次のように述べます。

「器楽は、声楽や絵画や舞踊のように、陽気、平静、憂鬱な人間を模倣することはない。器楽が我々をこうしたそれぞれの心境に引き入れるのは、他人の陽気、平静、憂鬱、苦悩への共感によるのではない。器楽はそれ自身が、陽気、平静、憂鬱な対象になるものである。……我々が器楽から感じるものは何でも、本源的な気持であって、共感的な気持ではない。それは我々自身の陽気、平静、憂鬱であり、他人の心境を反映した心境ではないのである。」


 ここで注目すべきは、作曲者の感情という問題が、スミスの視野には全く入ってきていないことです。芸術における感情の模倣といった際、スミスの視野に入ってくるのは、いわば物語の登場人物の感情でしかないのです。したがって、器楽が具体的な人物を描写するだけの模倣力を欠いている以上、感情の模倣などということはありえない、ということにならざるをえません。ここから、器楽はそれ自体が、陽気、平静、憂鬱な対象なのであって、器楽を聴いて我々が抱く感情というのはあくまでも本源的な感情、すなわち、他者の感情への共感を媒介として成立したものではなく、我々自身の陽気、平静、憂鬱なのである、ということになっていくのです。

 このことを、スミスは、庭園の散歩の例で説明しようと試みています。スミスは、巧みに設計された庭園の曲がりくねった小径を歩くときに出会う風景の継起は、時に陽気で時に陰気で、また時に静かで落ち着いたものであるが、これらの場面が、精神の陽気な、静かな、あるいは憂鬱な気分を模倣したというのは不適切であろう、というのです。ここでスミスが主張しようとしていることは、人の手がほとんど加わっていない山道を歩くという事例に置き換えてみれば、より明瞭になるでしょう。木々が鬱蒼と茂り、薄暗くジメジメしたところは陰気な感じがするし、木がまばらで明るい日が差し込み、爽やかな風が感じられるところは陽気な感じがします。これは確かに、山道が陰気な、あるいは陽気な感情を模倣しているから、我々もそれに共感して陰気な、あるいは陽気な気分になるのだ、ということはできません。

 このようにしてスミスは、器楽の模倣力の弱さ(特定の境遇に置かれた人物の有様を具体的に描写することができない!)を根拠にして、器楽における共感の効果を否定し、器楽が生み出す効果は旋律や和声の直接的な効果以外の何ものでもない、と断じるのです(*)。

 以上、3回にわたって、「模倣芸術論」の内容を概観してきました。端的には、芸術の価値(良し悪し)、換言すれば、芸術作品がその鑑賞者に与える満足感の源泉について検討してきたスミスは、それが必ずしも現実の対象を巧みに模倣するというところから生じるものではないことを明らかにしえたのだ、ということができるでしょう。しかし、同時に、その真の源泉(作者の創造的認識)については、ついに明瞭につかむことはできなかったのだということも指摘せざるをえないのです。

(*)スミスは、巧妙に作曲された器楽の協奏曲について、楽器の多様性、および、音楽の諸部分の多様性を、同時に聴かれる全ての多様な音の正確な調和により、また、時間を異にして聴かれる音の継起を調節する拍子の適切な多様性によって、完全で規則的な体系に編成し融合させるのだ、と説明します。その上で、これが、感覚的な喜びをもたらすだけでなく、非常に高度な知的な喜び――スミスは、学問の偉大な体系について思いめぐらすことから生じる知的な喜びに似ている、とします――をもたらすものであることを指摘しています。
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 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言