2015年06月06日

臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想(5/5)

(5)表象像を媒介にして論理的なアタマづくりを!

 本稿は,瀬江千史・本田克也・小田康友『医学教育 概論(4)』(現代社)から主体的に学ぶために,心理士として学びとったことを感想として認める論考である。本書で説かれている内容は,医学の一特殊領域である精神医学にもそのまま当てはまると考えられることから,精神科病院に勤務する臨床心理士である筆者が,本書で説かれている内容を精神医学や臨床心理学の具体例で考えて,それをきちんと理解することを目的に,これまで執筆してきた。ここで,これまで説いてきた内容をふり返ってまとめておきたい。

 まず,本書の冒頭近くで取り上げられている教科書の学びの重要性について考察した。医学部の教科書は,人類の数千年にわたる医療の文化遺産を,それなりの共通性に着目してそれなりに整除したものであるから,その学びをくり返すことによって,医学生のアタマの中に知識も,それなりに整然と積み重なることになるのだ,ということであった。そしてこれは,医学以外の領域でも同様であり,教科書に基づいた学習の重要性を,教科書を用いずに教員がつくったプリントをもとに学習した場合と比較しながら,筆者自身の経験をもとに考察した。まず,プリントの場合は基本的に目次がないために,部分部分を積み重ねていく形になるため,個々の知識が断片的なものとしてしか,頭に残らないのに対して,教科書には目次があるために,それなりの全体像を描いたうえで部分の学習を進めることができ,部分を全体に位置づけて学習することが可能となることを説いた。また,プリントの場合は個々の教員の実力に規定されたレベルの低い内容になる可能性があるが,教科書の場合は,それなりの大御所が書いていることが多く,「教科書」として書かれているために,全体像が過不足なく提示されている可能性が高いことも述べた。以上を踏まえて,文化遺産をそれなりに整除したよい教科書の条件を考えてみた。第一に執筆者が少ないこと,第二に比較的薄くてコンパクトなこと,第三に目次がそれなりに体系性を帯びていることを挙げた。これらの条件がそろっていれば,その分野のそれなりに論理的な全体像を描くことができると説いた。

 次に,『医学教育 概論(4)』で説かれている最大のテーマについて,精神医学の具体例で考えてみた。その最重要テーマとは,現代の医学においては,病気に至る過程が等閑視されているため,症状が出そろわないと診断できないし,根本的な治療もできない,という問題であった。すなわち,現代の医師の診断は,なぜ,どのようにして病気になったのかのプロセスや病気の正体(実態)は問わず(問えず),ただ結果として現象している症状に基づいて可能性を絞り込み,診断を確定していくという方法論であるために,治療は試行錯誤となり,単に標準的なマニュアルを適用することで良しとされている,そのために一時的に薬で症状を緩和できても,すぐに再燃してしまう,ということであった。そして,このような指摘は,精神医学にもそのまま当てはまることを説いた。すなわち,精神疾患の診断にはDSMやICDという診断マニュアルが用いられているが,これはいくつかの症状が列挙されてあり,そのうちいくつかを満たせばある疾患と診断するという方法論がとられており,まさに症状のみに着目して病気に至るプロセスは見ないものなのであった。治療もガイドラインが作成されているものの,基本的には症状を抑えることがイコール治療とされており,試行錯誤的に治療法が選択されているのが現状であることを説いた。では,本来の診断と治療はいかにあるべきか。それは,正常な生理構造が歪んでいった過程的構造をしっかりと把握して,逆にどのような外界との相互浸透があれば正常な生理構造に戻れるのかを考えて治療していく,いわば“オーダーメイド”の治療が理想ということであった。これを精神医学や臨床心理学に適用すれば,まずは正常な認識構造を明らかにした科学的認識論の構築が大前提であるし,どのような外界との相互浸透で認識がどのように歪んでいくのかも,明らかにしていく必要があり,これができれば,必然的に治療方針も浮上するのだということを説いた。現状の心理士が行う心理療法では,いくぶん,認識に着目した介入がなされているものの,不十分であるために,しっかりと科学的認識論を構築して,精神疾患の治療に適用していくのが筆者の使命であることを述べておいた。

 そして前回は,『医学教育 概論』シリーズの感想を認めた一連の論考でくり返し扱ってきた,一般教養の重要性ということについて,新たな角度から考察した。まず,本書で説かれている内容を確認した。それは,患者の生活過程を描くために,根掘り葉掘り質問する必要はなく,一般教養の実力があれば,患者の年齢や職業などの情報をもとに,その人の生活過程像が一般性としては描けるのであり,一般教養を学ぶ目的は,「現代社会の実像をふまえて,現代人の一般的な,あるいは特殊的な生活過程像や心のあり方を,しっかり描」くことにこそあるのだ,ということであった。これは,精神科病院で臨床心理士がカウンセリングを行う際にも非常に重要であり,何でもかんでも聞かないと分からないとして,最初の面接で質問を多用して情報を収集しようとしても,相手に不信感を与える結果となり,最悪の場合は次回の来談に至らないケースもあることを紹介した。このようなことにならないために,クライエントの数少ない事実・情報からも,ある程度の生活過程像の一般性が描けるような実力が求められるのであり,それこそが一般教養の実力であることを説いた。では,そのような少数の事実からクライエントの生活過程像を一般性として描く実力を把持するためには,どのような研鑽方法が必要なのか,ということについて考えていった。それは,中学の社会科のレベルで現代社会の実像を一般的に押さえたうえで,「現代人の一般的な,あるいは特殊的な生活過程像や心のあり方」を学んでいく必要があるということであった。そのためには,毎日の新聞や小説から,個人の経験の限界を超えて,いろいろな人間の生活過程を追体験することが大切であり,これを継続すれば,具体の像が量質転化して,現代人の生活過程の一般像が描けるようになる,ということを説いた。また当然に,具体的に関わっている人間からも学ぶ必要があり,カウンセリングを受けにくるクライエントからも,同様に学んでいけるし,学んでいくべきであることを説いた。

 以上,『医学教育 概論(4)』で説かれた内容を,精神医学や臨床心理学の具体で考えてきた。このように考察してきて,臨床心理士として感じるのは,臨床心理士の基本的な教育システムや教育内容がまだまだ不十分であり,真に実力ある臨床心理士になれるかどうかは,それ以前に培ってきた個人的な資質と運次第,というような状況になってしまっているということである。本稿でも説いたように,その根本的な要因は,何といっても臨床心理学の土台に科学的認識論がしっかりと据えられていないことであるといえるだろう。本書では基礎医学の重要性がくり返し説かれていたが,臨床心理学にとっての基礎となるべきは,やはり「そもそも認識とは何か」を明らかにした科学的な認識論以外にないだろうと思われる。また,上達論を踏まえた教育がなされていないことにも,大きな原因があると考えられる。

 このような現状の中で,筆者は今後,具体的に何をしていくべきであろうか。この点を最後に考えておきたい。

 もちろん,前提としては,科学的認識論をしっかりと再措定することである。そのためには,海保静子先生の『育児の認識学』や南郷継正先生の『“夢”講義』シリーズにしっかり学び,そこで説かれている研鑽方法をしっかり辿り返すことが必要となってくる。

 それを前提としたうえで,一般論としては,その科学的認識論を臨床心理学の分野に適用することこそが,私の使命である。では,そのためには,具体的に一体何をしていくべきなのであろうか。この点を考察したいのである。

 まずは,「病気とは,人間の正常な生理構造が,外界との相互浸透の過程において,徐々にあるいは急激に量質転化して歪んだ状態になったものである」からして,この相互浸透という観点を貫きながら,個々のケースの認識を見立てていく必要があると思う。どのような歪んだ外界との相互浸透によって,認識構造自体が歪んでいったのかという問いかけでもって,クライエントをアセスメントしていくことを続けていくのである。そうすれば,徐々に病気の一般論が,精神疾患という特殊性はありながらも,自分の中でしっかりと再措定されていくと考えられる。

 その際,本書で提示された図3〜図7を自分も使ってみようという問題意識が大切であろう。ここに関して本書では,次のように説かれていた。

「現場で使えるアタマづくりのための準備としては,科学的な一般論を学んだら,その具体例をイメージし,逆に具体的事実を学んだり経験したりしたならば,その具体性を一般論に照らして考え,一般論の中に位置づけることのできる訓練が必要です。これが論理的に考えられるアタマをつくるために必要な作業ですが,その具体と一般論の「のぼり・おり」が自在にできるようになった時初めて,実践方法論が「身についた」,すなわち実践方法論を使いこなせるようになったということなのです。その具体と一般論ののぼり・おりを行う上で,まさにそれを橋渡ししてくれるものが,一般論を表象化したレベルの表象像なのです。」(p.222)


 すなわち,一般論と事実ののぼり・おりをくり返すことが,現場で使える,論理的に考えられるアタマづくりに必要であるが,それを橋渡ししてくれるのが表象像なのである,ということである。本書で提示された図の多くは,この表象像としての意味をもっているものであり,われわれ臨床心理士に対しても,最大級のプレゼントといえるものであろう。それをしっかり使いこなしていくことによって,科学的認識論を臨床心理学の領域に適用して,活かしていけるような論理的なアタマがつくられていくのだと思っている。

 さらに,今回説いたような一般教養の研鑽を,今後も継続していくことである。特に小説の学びというのは,現代人の生活過程像の一般性を描けるようになるためには,非常に重要だと感じているので,勧められてまだ読めていないものなどを中心に,幅広く小説を読んでいきたいと思っている。

 このように,自分自身を鍛えながらも,臨床心理学のあるべき教科書や,あるべき教育カリキュラムを考えていくことも,今後の課題であろう。臨床心理学の教科書では,大枠では『医学教育 概論(4)』で説かれたような医学体系の構造と類似したものになるのではないか。すなわち,生命の歴史を踏まえて正常な認識構造を明らかにした認識の「常態論」のようなものが基礎・土台としてあり,その上に,外界との相互浸透関係の中でどのようにして認識が歪んでいくのかのプロセスを解明した認識の「病態論」的なものと,歪んだ認識がどのようにして元の正常な認識構造に回復していくのかのプロセスを解明した認識の「治療論」的なものという,2本柱が据えられることになるのではないだろうか。現在ある精神疾患の分類は,およそ,認識が外界との相互浸透によって歪んでいく際の,大きなパターンといえるようなものであり,そこに何らかの共通した相互浸透のあり方が想定できるのではないかと,現時点では考えている。

 別稿で説いたように,公認心理師という心理職の国家資格がつくられようとしている現在,大学や大学院での心理職養成のカリキュラムについても,突っ込んで検討しておく必要があるように思われる。現代人の生活過程像の一般性を把握させるために,一般教養としてどのようなものをいかに学ばせるか,臨床心理学の教科書としてどのようなものを設定するか,というような問題については,本稿で考察した内容が大きくかかわってくるとも思われる。

 いずれにせよ,心理士としての問題意識をもって,今後とも『医学教育 概論』シリーズに学んでいきたいと考えている。


(了)
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 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言