2015年06月03日

臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想(2/5)

(2)よい教科書の条件を考える

 本稿は,精神科病院に勤務する臨床心理士である筆者が,『医学教育 概論(4)』から主体的に学びとったことを認める論考である。前回は,本書で説かれている内容は,医学の一特殊領域である精神医学にもそのまま当てはまる論理であるとして,本書で説かれている内容を,精神医学や臨床心理学に当てはめて,主体的に読み取ろうとすることが本稿の目的であることを説いた。また本書の位置づけについても確認した。医学教育のゴールである「医師とは何か」を説いた第一部に続いて,ゴールに至るプロセスの中で,とくに一般教養と基礎医学の学び方を説いているのが第二部であり,本書をもって第二部が終了し,次巻以降は「臨床医学の学び編」となる第三部に突入するのだということを確認した。

 さて今回は,本書の冒頭近くで説かれている教科書の学びの重要性について考察したい。いかなる領域の教育=学習であれ,教科書は必然性として存在している。その意義は何であるのか,ということも含めて考えていきたいと思う。

 本書の「第21課 医学生のアンバランスな実力を生む現代の医学教育」において,現代の医学教育においては教科書が軽視されており,各教科の先生が作成したプリントで勉強している状況が批判されている。また,分かった気にさせる分かりやすい教材の問題点も指摘されている。このあたりの内容を詳しく検討して,臨床心理学におきかえて考察していきたい。

 まず,なぜ教科書での学びが必要なのか。この点については,『学城 第二号』の瀬江千史「『医学原論』講義」で詳しく説かれているとして,その内容を端的にまとめられている。それが以下の引用部分である。

「そもそも医学部の教科書とは,人類の数千年にわたる医療の文化遺産として積み重ねられてきた知識を,それなりの共通性に着目して,それなりに整然と記載しているものですから,その学びをくり返すことによって,医学生のアタマの中の知識も,そのレベルではそれなりに整然と,積み重なることになるのです。そしてそれが,医師として実践現場で,目の前の患者の病気の,正しい診断・治療をすることができる実力をつけるための,まずは第一歩となるのだということです。」(p.39)


 ここで説かれていることを,医学教育に限定せずに,一般性ある形で述べれば,教科書とは文化遺産をそれなりに整除したものであるから,それをくりかえし学ぶことによって,学ぶ者のアタマの中の知識も,それなりに整然と整理され,実力をつける第一歩となる,ということである。

 これはまさにその通りだと思う。だから逆に,教科書を用いずに,大学の各講義を担当する先生が作ったプリントをもとにして学習した場合,専門分野の文化遺産が何ら整除されずに,個々バラバラなものとしてアタマの中に蓄積されることになり,その分野の実力を向上させることにつながらない,ということになるであろう。

 筆者が臨床心理学を学んだ大学院の講義も,ほとんどが教科書を指定されることもなく,各教員が作成したプリントで学習させられたものである。いま振り返ってみると,まず,プリントには教科書と違って目次がない。そのために,全体像を把握することなく,部分を積み重ねていく形の学習となる。そのため,断片的な知識としてしかアタマに残らず,活用できる知識とならないのである。また,担当教員が作成するために,その教員の実力や興味関心に規定されたものとならざるをえない。

 これに対して教科書というのは,まず目次が存在するので,全体像を把握しやすいといえる。筆者は大学院入試に備えて,数冊の教科書を用意して,それをくり返し学んできたので,臨床心理学の全体像がそれなりには把握できている。そのように全体像を把握したうえで,大学院の授業に臨んだので,プリントによる講義でも,それなりに全体像に位置づけながら学ぶことが可能であったと思う。

 ちなみに,筆者がくり返して学んできた臨床心理学の教科書の目次を提示すると,以下になる。

馬場禮子『改訂版 臨床心理学概説』(放送大学教育振興会,2003年)目次

1.臨床心理学とはなにか
2.臨床心理学の理論的背景(1)心理臨床の基礎となる心理学
3.臨床心理学の理論的背景(2)精神医学
4.臨床心理学の理論的背景(3)精神分析と分析心理学
5.臨床心理アセスメント(1)総論
6.臨床心理アセスメント(2)知能検査と質問紙法,作業検査法
7.臨床心理アセスメント(3)投映法
8.心理療法(1)総論
9.心理療法(2)精神分析的心理療法
10.心理療法(3)ユング派の心理療法
11.心理療法(4)クライエント中心療法
12.心理療法(5)認知療法
13.コミュニティ援助(1)危機介入とコンサルテーション
14.コミュニティ援助(2)心理臨床と子育て支援
15.臨床心理学研究の進め方


 このように目次を眺めるだけでも,ある程度の全体的枠組みがそれなりに整除されて把握できるのではないか。すなわち,臨床心理学は大きく分けて,アセスメントと心理療法,それにコミュニティ援助と研究からなっており,アセスメントと心理療法には,およそどのようなものがあるかも掴めるし,臨床心理学の理論的背景としては,心理学と精神医学,それに精神分析・分析心理学がある,というくらいは掴めるはずである。

 また,教科書として出版する場合には,それなりの実力のある専門家が執筆している場合が多い。今示した教科書も,馬場禮子という,心理臨床の世界では知らない人がいないくらい有名な先達が編者となっているし,精神医学の章は,前回引用したように,大野裕という,これまた精神医学の世界ではかなりの権威ある大御所が執筆している。さらに,「教科書」であるからして,その分野の全体像を過不足なく提示する必要性にも迫られるはずである。これが新書とか,特定の狭い領域のテーマを扱った専門書等であれば,執筆者の個人的興味関心にしたがって書くこともできる。ところが,教科書なのであるから,執筆者の興味に応じて偏った情報のみを載せるということは,できないものなのである。

 このような教科書で学習していくと,それぞれ個別の知見をそれなりに括って,ある程度論理的な像として描けるようになっていく。たとえば,「心理療法」の総論を読んだ後に,精神分析的心理療法,ユング派の心理療法,クライエント中心療法,認知療法というように,順番に読み進めて行けば,いろいろな特殊性を持つ個別の心理療法の中に,「心理療法」として共通している側面が浮上してきて,それを「心理療法」の普遍性として把握すると同時に,各心理療法の特殊性も,それなりに位置づけられるようになってくるのである。

 もちろん,現行の教科書には,本稿の次回以降で説くような根本的な欠陥もある。臨床心理学の教科書でいうならば,そもそも認識とは何か,心理とは何かを明らかにしたうえで,その歪みとして異常心理をとらえているものは皆無といえる。そのような欠陥があるにしても,それでも,教科書を用いて学ばなければ,それなりの体系性を持った像を描くことすら不可能なのである。

 では以上を踏まえて最後に,文化遺産をそれなりに整除したよい教科書の条件を考えてみよう。まず,執筆者が少ない方がいい。理想をいえば一人の執筆者が全体を書いているのがよい。執筆者が少ないほど,全体に筋が通しやすくなるからである。逆に,執筆者が10名以上などになると,ほとんど個々の解説文の寄せ集めとなってしまい,全体の統一性や体系性など皆無になってしまう。さらにこういう多数が執筆している教科書は,権威ある先生が監修しているだけで,個々の項目は,若手の研究者が書いており,単に若手の実績づくりに利用されている,という側面もなくはない。若いのが悪いというわけではないが,医学や臨床心理学などの実践を伴う学問の場合は,やはりそれなりの実践経験を積んだベテランが書いたもののほうが内容は深いし,より役に立つといえる。

 よい教科書の条件の2つ目としては,比較的薄くてコンパクトなもののほうがよい。少なくとも,そういうコンパクトな教科書は,一冊はもっているようがよいし,まずはその薄いものから学びはじめるのがよいと思う。なぜなら,薄いものは一気に読み通すことが可能であるし,そうしてこそ,その分野の全体像がアバウトながらにも描けるからである。本『医学教育 概論』シリーズでもくり返し説かれているように,部分部分を積み重ねて全体像に至るのではなく,まずは全体像を描いてから,その部分へと学習を進めていくのが学びの王道であるだけに,まずはその分野の全体像を描くことこそが大切なのである。それなのに,分厚い教科書を選択してしまうと,なかなかその全体像が描けなくなってしまう。

 ここに関わって,興味深いエピソードがある。筆者の先輩が,臨床心理士資格試験に臨むにあたって,『心理臨床大辞典』という,臨床心理士には必携とされているけれども,恐ろしく分厚い書物を教科書として設定して,頭から順に読み始めたというのである。結果は,最初の3分の1ほどで時間切れとなってしまい,残念ながらというか,必然的にというか,試験に落ちてしまったことである。これに対して筆者は,先に目次を紹介した『改訂版 臨床心理学概説』を教科書として設定していた。これは200ページにも満たない,非常にコンパクトな書物である。これによって全体像を描いたあと,必要に応じて参考文献として紹介されているものやキーワード集のような教材で,知識を補完していったのである。その結果,筆者は見事というか,これまた当然というか,一発合格を果たしたのである。もちろん,これは試験勉強の話であるが,臨床心理士としての真の実力をつける学びに置いても,全体像を描いてから部分に入るのが肝心要であるのは同じである。

 文化遺産をそれなりに整序したよい教科書の最後の条件としては,目次がそれなりに体系性を帯びていることである。すなわち,目次を見ただけでその領域の全体像が,ある程度の構造性をもって把握できることが重要である。そのためには,いくつかの章が集まって「編」として括られていたり,ある程度の塊ごとに「総論」が置かれていることが1つの目安となる。このような教科書の場合,その領域の全体像を描くにしても,ある程度整然とした知識として,頭の中に定着させることが可能となる。先にも触れたように,『改訂版 臨床心理学概説』の目次であれば,「臨床心理学には主に4つの領域があり,その前提・土台として3つの研究領域があるのだな」というように,全体像が平板に描かれるのではなく,ある程度の構造性・立体性をもって描くことが可能となる。こういう教科書のほうが論理性があって優れているといえるだろう。
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 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言