2015年05月15日

文法家列伝:時枝誠記編(1/5)

〈目次〉

(1)時枝言語学の歴史的意義とは何か
(2)時枝は言語を「過程」として把握した
(3)時枝は(形式や機能ではなく)概念化の有無によって言語を二大別した
(4)時枝はソシュールの構成主義的言語本質観を批判した
(5)時枝は言語を表現主体に取り戻した


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(1)時枝言語学の歴史的意義とは何か

 本稿は、言語研究史上に大きな業績を残した人物を取り上げ、その成果や言語研究史上の意義について考察していく「文法家列伝」シリーズの第5弾です。これまで、「古代ギリシャ編」、「古代ローマ・中世編」、「『ポール・ロワイヤル文法』編」、「ジョン・ロック編」を順次掲載してきました。まず復習として、これまでの大きな流れを確認しておきましょう。

 最初に取り上げたのは、古代ギリシャの文法家たちについてです。彼らは、語形変化するかどうかで品詞分類を行ったり、事物についている名前は自然本来のものであるのか、それとも単に慣習でそう呼んでいるに過ぎないのか議論したりしていました。こうしたことからいえることは、彼らが着目していたのはあくまでも語単体のレベルであって、語の相互関係や文については考察の対象と出来ていなかったということです。

 それに対して、古代ローマから中世にかけての文法家たちは、もちろん、語の形態などについても論じてはいましたが、それに加えて、統語論、つまり文の中での複数の語相互の関係を論じる研究に着手し出したのでした。例えば、名詞の主格と動詞の関係や形容詞と名詞の関係などが議論されたのでした。また、そもそも文にはどのような原理が働いているのかといった研究もなされていきました。その中で、語形変化は「話者の心が決定」するとして、言語には人間の認識が関わることが直観的に把握されたことも重要でした。これまでの文法では、対象と語との関係についての考察が行われてきたのですが、中世に至って、対象と語との間に(背後に)認識というものが存在することがおぼろげながら見えてきたのだといえるでしょう。

 対象と言語との間に認識が介在するのだということを明確に説いたのは、17世紀に登場した『ポール・ロワイヤル文法』とジョン・ロックの言語論でした。『ポール・ロワイヤル文法』においては、人間の精神の作用を大きく「認識すること」及び「判断すること」の2つに区別し、この区別に基づいて、言語についても認識のそれぞれのあり方を表すものとして、「思考の対象を表す語」と「思考の形態と様式を表す語」とに二大別したのでした。また、ロックの言語論においては、そもそも観念とは何かということから出発して、言語を「心の中の観念の名前である言葉」と規定しました。さらに、このほかにも、「心が観念や命題に与える相互の結び付きを表す言葉」(もしくは「それらの観念に関するその時の心自体のある特殊な動きを示したりほのめかしたりする言葉」)があるとして、言語を二大別したのでした。どちらも、認識のあり方に基づいて語を二大別した言語論であるといえるでしょう。

 以上、これまで「文法家列伝」シリーズで説いてきた中身を振り返りました。端的には、語そのものの考察から語相互の関係の考察へ、対象と言語を直接結び付けていた考え方から、対象と言語との間に認識が介在することを把握していった言語論へ、という大きな流れがありました。事物を連関として、過程として把握していく認識が生れ、大きく育っていったということでもあります。

 さて、今回取り上げるのは、20世紀の日本で活躍した国語学者、時枝誠記(ときえだもとき)です。この「文法家列伝」シリーズも、いよいよ現代に近い時代に入ってきました。

 時枝を取り上げるのは、筆者が創出・完成を目指す言語学の土台となる三浦つとむ言語学が、この時枝言語学を直接の基盤としているからです。

「私の理論の展開にしても、やはり先輩の獲得した成果を遺産として受けつぎながらすすめられた。これを学問の諸系列に位置づけるならば、認識の理論は唯物論的な反映論の系列に属し、言語の理論は「言語過程説」すなわち時枝言語学の系列に属している。」(三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部、p.4)

 ここでは、三浦言語学が時枝言語学の系列に連なるものだと表明されています。『認識と言語の理論』の他の箇所でも適宜、時枝の著作が『国語学原論』を中心に引用され、その成果や欠点が説かれているだけでなく、三浦さんの他の著作でも時枝言語学について触れられています。例えば、『弁証法はどういう科学か』においては、「言語の構造を弁証法的にとらえて言語学の原理的な把握において画期的な成果をあげ」(p.144)たことや、時枝の言語学における業績をコペルニクスの天文学における業績に比して評価できることが説かれています。

 このように、三浦言語学の直接の基盤であり、三浦さんも高く評価している時枝言語学について、その具体的な中身、歴史的な意義を明らかにするのが、本稿の大きな目標となります。

 連載第1回となる今回は、時枝の人物像に若干触れておきたいと思います。次回以降紹介する具体的な時枝言語学の中身を理解する土台として、時枝がどういう人物であったのかを知っておく必要があると考えるからです。

 時枝は、1900年12月6日、東京神田に生まれます。東京帝国大学文学部国文科を卒業後、中学校の教諭などを経て、1943年、東京帝国大学文学部国語学国文学第一講座の教授に就任します。国語学史の研究から、西洋言語学(ソシュール言語学)を痛烈に批判し、ヨーロッパの理論を借り入れるだけの日本の現状を憂い、自らが対象と格闘することを通じて、論理を導き出すことを説く、熱き研究魂にあふれた人物でした。(以下、引用は時枝誠記『国語学原論(上)』によります。)

「言語の研究法は、言語研究の対象である言語そのものの事実にもとづいて規定される」(p.19)

「明治以後の国語学者は、外部より与えられた理論と方法とを絶対的なもの、普遍的なものと考え、自らの力によって対象と取組む勇気を次第に失ってしまった。」(p.24)

「国語学界に限らず、今日我が国学術界に於いて最も必要なことは、泰西の既製品的理論を多量に吸収してこれを嚥下することではなくして、学問的精神の根本である処の批評的精神に生き、飽くまで批判的態度を以てこれを取捨選択し、自己の理性に訴えて以て我が国学術進展の基礎として受入れねばならぬということである。」(p.76)

 このように時枝は、ヨーロッパから取り入れた「既製品的理論」を無批判に受け入れて恬として恥じない日本人研究者の態度を批判するとともに、その無批判に受け入れられる西洋の「既製品的理論」そのものをも批判していくことになるのです。(時枝によるソシュール批判については、連載第4回で詳しく説きます。)

 それでは次回以降、こうした主体的な研究態度で創り上げられた時枝の言語学について、大きく3つの特徴を中心に説いていき、最終回では時枝言語学の歴史的意義について考察したいと思います。
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 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
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 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
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 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
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 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
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 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
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 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
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 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
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 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
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 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
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 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
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 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
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 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
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 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
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 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言
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