2015年04月16日

2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A@
(3)ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論AA
(4)ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論AB
(5)ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論AC
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:ヘーゲルは哲学史の「内的矛盾」をどう解いたのか?
(8)論点2:ヘーゲルのいう抽象的あるいは具体的とはどういうことか?
(9)論点3:ヘーゲルが古代哲学の過大評価を戒めていたことをどう受けとるべきか?
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 本年,わが京都弁証法認識論研究会は,一昨年のヘーゲル『歴史哲学』と昨年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びを踏まえて,ヘーゲル『哲学史』を読み進めていくことを課題としています。1月例会ではその準備段階として,南郷継正「武道哲学講義X」(『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第八巻』)を扱いました。その上で,2月例会から,いよいよヘーゲル『哲学史』に入っていく予定でしたが,複数の会員のやむをえない事情により,2月例会は中止とし,その分を3月例会として実施しました。

 3月例会では,ヘーゲル『哲学史』の「就任演説〔ハイデルベルク大学において〕」「哲学史に関する講義」,それに「哲学史の序論」の「A 哲学史の概念」を扱いました。ここでは,「武道哲学講義X」でも説かれていたように,ヘーゲルの哲学についての非常に重要な論が展開されています。

 今回の例会報告では,最初に例会で報告されたレジュメを紹介します。ついで,扱ったテキストの要約を4回に分けて掲載したあと,参加者から提起された論点について,どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に,この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず,報告担当者から提示されたレジュメと,そのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

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ヘーゲル『哲学史』(〜序論A)

1.哲学史の序論では対象である哲学を明確に定めておくことを必要とする

 哲学史の場合ほど,それに序論を先行させて,歴史の対象を明確に定めておくことを必要とするものはない。なぜなら,未知の対象の論述を始めることはできないからである。哲学の概念は,ただ暫定的に始元をなすにすぎず,この学問の全論述だけが立証であり,また学問の概念は本質的には全論述の結果である。
 哲学史の考察の関心は,過去的なものと現在の段階との本質的な関連である。我々の哲学は本質的に前の哲学との関連においてのみ生じうる。従って,歴史の行程は,我々の哲学の生成を叙述するものにほかならない。この歴史は,思想の自分自身の発見の歴史である。この思想の諸々の発見の系列が2500年の労作である。
 しかし歴史の中に現れるものは変化するものであるが,真の必然的な思想には如何なる変化もあり得ない。これがどういうことかが第一に考察する問題である。第二に,宗教,政治史,国家組織,芸術,科学が哲学とどう異なるか,またいかに関係するかという問題が起こる。第三に,個々のものに入る前に一般的な見通しをつけておかねばならない。

<報告者コメント>
 歴史を説くにあたって,その対象を定めなければならないという指摘は,現在の南郷学派のレベルから見ても,非常に重要な指摘だと言えるだろう。これは端的には,一般論を定めることだと言えるだろう。学問を構築するためには,とにかく一般論を定めてしまって,それによって事実を見ていく必要がある。これによって構造論が浮かび上がり,当初定めていた一般論は本質論へと昇華することになる。ヘーゲルは哲学の概念は始元をなすものであり,また全論述の結果であると説いている。ヘーゲル哲学的には絶対精神が自己へ還る運動ということだろうが,これは学問構築の過程を説いたものとしても捉えることができるのではないだろうか。

2.哲学の多様性が必然的なものとして把握されていない

 哲学史は時間の中で提示されたたくさんの哲学的意見を枚挙すべきだという通俗的な見解がある。さらには,哲学の歴史を阿呆の画廊とさえ呼ぶ人もいる。意見は一つの主観的な考えである。しかし,哲学は真理の必然性の学問であり,いかなる意見でもなく,意見の綴り合わせでもない。このような観念に特有の意味は,我々の知識がただ意見という形でしかあり得ないとせられること,理性は真なるものは認識し得ないということである。
 哲学の諸々の体系の相違性ということから,哲学がその認識を与えようとする偉大な問題については,偉大な精神も失敗したという帰結が引き出される。これは哲学の研究を断念することの弁明とされる。
 いろいろな哲学の存在は事実であるが,真理は唯一であるから,唯一の哲学だけが真の哲学でありうると考え,自分をその唯一の哲学だと断言して,その証明をする者もいる。しかし,哲学がいかに異なっているにしても,哲学であることは共通しているから,その普遍性をつかもうとしなければならない。
 この多様性は哲学に本質的なのである。思惟する精神の運動には本質的に関連があり,しかもそれは理性的に行われる。世界精神に対するこの信仰をもって,我々は哲学史に向かわねばならない。

<報告者コメント>
 これはまさにいかなる問いかけによって事実を見るかが重要だということを説いたものだということができるだろう。この問いかけがないままに哲学史を見ていけば,単なる意見の画廊としてしか見られないのであり,また現代的な観点からのみ過去の学説を見てみれば,誤りだらけであり「阿呆の画廊」としてしか見られないということになる。このように問いかけ次第で反映してくるものが違うのであり,ヘーゲルの場合は,絶対精神の自己運動として全世界を捉えたのだということができるだろう。この絶対精神に敗北や後退はないのであり,そのような観点から哲学史を眺めてみたときに,ヘーゲルには哲学史が「英雄達の画廊」として反映してきたということであろう。これも先の議論と同様,一般論を把握する必要性を説いたものだと読むことができるだろう。

3.すべての問題は発展という規定の中に総括することができる

 哲学の目的は,唯一の真理が,そこからすべてのものの流れ出る源泉であることを認識することである。それ故に,唯一の真理がそれ自身において規定された思想であることを認識することが大切である。このために,発展と具体者という二つの規定について考えておかねばならない。
 発展を理解するためには,素質・能力・即自有・デュナミスと,向自有・現実性・エネルゲイアとが区別されねばならない。即自的なものは,実存へと自分を実現する。萌芽は即自のままにありながら,即自のままにあってはならないという矛盾によって,自分を発展させるという衝動を持つ。これは果実という目標を持つ。これは最初の状態への帰還である。精神の場合は,精神の出発と精神の開示とが,同時に精神の自己帰還であるところにその特性を持つ。この精神の自分自身への帰還が,精神の最高の絶対的目標である。
 一方,具体者とは,区別された両契機の統一である。理念は区別された両規定の統一だから具体的である。具体者の概念が発展の概念と結合されると具体者の運動が生ずる。
 それ自身において規定されている真なるものは発展しようとする衝動をもつ。理念は,それ自身具体的で発展するものとして,有機的体系である。哲学はそれ自身この発展の認識である。この発展が進むだけ,哲学は益々完全になる。完成した哲学は,全体の中にも,そのすべての部分の中にも唯一の理念がある。

<報告者コメント>
 ここは絶対精神の自己運動というヘーゲル哲学の核心を説いた部分であると言えるだろう。つまり,精神が精神へと帰還することこそが精神の目標だということである。なお,このヘーゲルの核心部分にデュナミスやエネルゲイアといったアリストテレス哲学の用語が入っている点が非常に興味深い。bの後半で,「形成されたものは必ず自身がまた材料となる」というゲーテの言葉が引用されているが,これもアリストテレスの論を意識しているように思われる。ヘーゲルはこの以前の部分で「我々の哲学は本質的に前の哲学との関連においてのみ生じうる」と述べていたが,まさにヘーゲル哲学は本質的に前の哲学(アリストテレス哲学)との関連においてのみ生じたのであり,この言葉はヘーゲル自身の実践に基づく確信なのだと考えられる。

4.哲学史の全体は必然的な進行であり,これは理念の契機の順序と同一である

 哲学は発展の体系であるが,この点は哲学史も同じである。思想の進展における異なる段階の生起の唯一の在り方,即ち諸々の形態の由来,諸規定の思惟的,認識的必然性を叙述することこそ,哲学そのものの課題である。ところで,歴史における諸々の哲学体系の契機の順序は,諸々の概念規定の論理的展開における理念の契機の順序と同一であるから,哲学史の研究こそ即ち哲学そのものの研究である。
 哲学が発展として時間の中に現れて,歴史をもつのはどうしてであるか。理念はそれ自身の中にありながら定有の中に現れる。思惟のエレメントの中にありながら外面性の中に現れる。その意味で純粋な哲学は,思惟をエレメントとしながら,時間の中で進展する実存として立ち現れる。哲学の多様性は本当は発展の運動の中にあるものとして,即ち過程的契機として把捉されねばならない。
 ここから来る第一の帰結は,哲学史の全体はそれ自身必然的な首尾一貫した進行だということである。第二の規定は,各哲学は必然的にあったし,いまもやはり必然的にあるということである。第三に,我々の問題は原理の考察に限られることになる。原理がなお抽象的である場合には,それは我々の世界観に属する諸々の形態をつかむには充分でない。第四に,哲学史においては過去のものを問題とすべきではないという見方が出てくる。
 諸々の哲学の系列は哲学そのものの体系である。この場合注意せねばならないのは,始めをなすものは即自的であり,まだ具体的なものには進展していないものだということである。このことを哲学の相異なる諸形態に適用すると,第一に,最初の諸々の哲学は最も抽象的なものだと言われ得る。第二の帰結は,当時の文化にまだ存在していなかった諸々の規定を,我々がそれら古代哲学の中に見ないからといって,それらの哲学を非難してはならないということである。第三に,各哲学は行程の全体の中では特殊の発展段階であり,その特定の位置をもつということである。

<報告者コメント> 
 ここの冒頭でヘーゲルが論じていることは,「歴史的=論理的」ということだと言えるだろう。例えば,生命の歴史を見てみれば,最初に代謝という本質が生まれ,それを支える仕組み(構造)が生まれ(例えば,代謝器官と運動器官,それらを統括する器官としての脳の誕生など),現在の諸々の生命体(現象)に至っている。この歴史的な過程を眺めてみれば,本質→構造→現象という流れが見られるのであり,これがまさに学問体系の構造にほかならない。同じように,哲学史においても最初に本質的なものが生まれ,続いて構造が生まれ,それらを経て現在の哲学に至っているということが言えるだろう(もっともヘーゲル自身にこの発展の流れはイメージされていなかったであろうが)。この過程を把握すれば,それが直接に哲学の体系になる。その意味で,「哲学史の研究こそ即ち哲学そのものの研究である」というヘーゲルの指摘は,非常に重要なものとして受け止める必要があるだろう。

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 このように報告されたレジュメに対して,いくつかのコメントがなされました。まず,1の「学問を構築するためには,とにかく一般論を定めてしまって,それによって事実を見ていく必要がある。これによって構造論が浮かび上がり,当初定めていた一般論は本質論へと昇華することになる。」とあるが,これは唯物論の立場でいっているのか,それとも,ヘーゲルの観念論の立場でいっているのか,よく分からないというコメントがありました。報告者は,唯物論の立場で書いているという回答でしたが,それなら,そうだとわかるように明確にすべきだという指摘が出ました。4の報告者コメントも同様に,唯物論と観念論の立場を分けきれていない印象があるというコメントもなされました。観念論の立場だと,はじめからゴールがあり,いってみれば,一般論はもともとあることになる,したがって,哲学の発展は円環運動となり,自己に帰る円となる,これに対して唯物論は,一般論は主体的に創るものであり,いわば直線的な発展になるのではないか,というコメントでした。要するに,唯物論と観念論の違いをしっかりと踏まえて,それぞれの立場を分けて,明確に記述すべきだということであり,「ヘーゲルは観念論的にこのように説いているが,唯物論的にはこのように捉え返すことができる」というように説くべきであるということでした。これについては,報告者も納得しました。

 また,歴史を説くにあたって,その対象を定めるということは,別に普通の研究者レベルでもなされていることであり,特段,評価するような内容ではないのではないか,という意見も出されました。
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 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2