2015年03月28日

弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想(5/5)

(5)対象と武器を弁証法的に学ぶ

 本稿は,臨床心理士である筆者が,『医学教育 概論(3)』を読んで学んだ内容を,主として,専門分野をどのように学んでいけば,実力ある臨床心理士となれるかという観点から考察することを目的として執筆してきたものである。そもそも『医学教育 概論』シリーズをとりあげたのは,科学的学問体系のお手本であるからであり,また,筆者の専門とする心理臨床と隣接する医療実践に関わるテーマが取り上げられているからであった。

 本稿の最終回にあたって,これまで説いてきた内容を振り返っておこう。

 初めに,臨床心理士にとっても一般教養は必須であり,臨床心理士としての実力向上のためには,かなり力を入れて学ぶことが大切であることを説いた。『医学教育 概論(3)』では,医師は「人間の」病気の診断と治療が専門であるから,病気を理解する前提として「人間」を学ばなければならないと説いてあった。そして,人間とは,自然的外界・社会的外界と相互浸透することによってしか,生きて生活できない存在であるがゆえに,その自然や社会をしっかりと学ぶことが人間理解に必須なのであり,それこそが一般教養の学びであるということであった。このことは,人間の心の問題の見立てと,その解決に向けた介入を専門とする臨床心理士にとっても,まったく同様に当てはまるということを指摘した。特に,人間の認識はその人が相互浸透する人間社会によって創られるのであり,当然,心の問題も,社会との相互浸透のあり方によって創られていくのであるから,社会,および社会との相互浸透について,臨床心理士は医師以上にきちんと,深く理解している必要があると指摘した。このような一般教養の学びのための具体的な教材としては,『医学教育 概論(3)』で説かれている新聞や中学校の公民,理科,保健体育の教科書に加えて,南郷継正先生が『看護学科・心理学科学生への“夢”講義(1)』で触れられている歴史を題材とした時代小説や人間の心を主題にしている小説,さらに社会派とされている推理小説なども重要であることを説いた。

 続いて,クライエントを理解していく方法として,全体から部分へ入っていかなければならないことを説いた。『医学教育 概論(3)』では,「学びの王道」として,必ずまずは全体像を描いてから,それをしっかりと把持しながらそれらの部分に入る必要があるということが説かれていた。こうすることによってこそ,対象をきちんと論理的に把握できるのであり,正確に理解することができるのであった。とすれば,われわれ臨床心理士がクライエントという対象を理解してアセスメントをしていく際も,同様の過程を辿る必要があるのではないかと指摘した。すなわち,まずはクライエントの全体像を描く必要があるのであり,そのクライエントの全体像とは,今までどのような自然的外界・社会的外界と相互浸透してきたかを描くということであった。その人が育ってきた時代性・地域性を踏まえて,まずは家庭環境をしっかり描き,次いで保育園・幼稚園から小学校,さらには中学校・高校,そして大学や職場,それに新しい家庭環境といった,クライエントが相互浸透してきたところの小社会をしっかりと把握していくことが大切だと説いたのであった。このように,クライエントが相互浸透してきた社会的外界を押さえて,クライエントの全体像を描いてから,部分たる現在の困りごと(心の問題)に入っていくことによって,より適切な介入が行えるのだということを,視線恐怖を伴う社交不安障害の事例を通して解説した。その後,全体を踏まえて部分に入っていくとか,過程を踏まえて結果を理解していくとかいう弁証法的な対象の把握の仕方,学び方によってこそ,その対象をきちんと,論理的に把握できるのだということを指摘した。

 最後に,心理臨床の歴史を辿り返すことの重要性を説いた。『医学教育 概論(3)』では,医学教育の歴史から説く専門課程の学びの王道が説かれていた。これは簡単にいうと,医学教育の歴史が「臨床→基礎→臨床」の順になっているのだから,この系統発生の順番を,個体発生である個々人の医学生の学びにも適用すべきである,ということであった。現行のカリキュラムでは最初の「臨床」がないために,「基礎」を学ぶ目的や意義が不明となっているために,学びの質が浅いものになっているが,医学教育の歴史を踏まえたないようにすれば,きちんと「基礎」が学べて,臨床にも生かしていけるようになる,ということであった。これはすなわち,系統発生にはそれなりの必然性があるのであるから,個体発生においてもその必然性を辿り直さないと,実力は向上していかないのだ,ということであった。したがって,われわれ臨床心理士も,フロイト以来の(あるいはそれ以前の歴史も踏まえて)心理臨床の歴史をしっかりと辿り直し,フロイトの原理原則はどのような必然性として生まれてきたものなのか,それが社会の変化に応じてどのように修正されていったのか,どのような条件のときにフロイトの原則はいまだに通用するのか,といったようなことをしっかり把握してかかる必要があると説いた。また,科学的な学問体系の構築を志す筆者にとっては,学問構築のためにも,専門領域の歴史をしっかり辿り返してその論理化を図ることは必須であるということについても触れておいた。

 以上の内容を,別の観点から再度まとめ直してみたい。

 二つ目と三つ目の内容は,要するに,歴史の重要性ということに帰着する。われわれ臨床心理士は,臨床心理学という武器を用いて,クライエントを理解して,その問題の解決に向けた介入を行っていくわけである。したがって,まずはしっかりとクライエントを理解する必要がある。ところが,現在困りごと(心の問題)を抱えているクライエントは,何の前触れもなく突然困りごとに遭遇したわけではない。困るには困るに至る過程があったはずである。その過程を巨視的に,すなわち,クライエントが生まれてからこれまで,どのような社会的外界と相互浸透してきたのかということを聞き取って,クライエントの全体像を描くことが必要なのであった。これは,端的にいえば,クライエントの「今」を知るために,「今」に至る過程,すなわち,クライエントの歴史を知る必要がある,ということである。

 そして我々は専門家として,専門領域の知見を活かして支援していくのであるが,その専門領域の知見をきちんと理解して,身につけていくためには,その専門領域の歴史を知らなければならない。すなわち,心理臨床やそれを対象とした臨床心理学の歴史を知らなければならないのである。なぜなら,これまた現在われわれが心理的援助のための武器として使っている理論なり技法なりといったものは,歴史のある時点で突然降って湧いたものではなく,生成発展の必然的なプロセスの中で生じてきたものであるからである。幾世代もの人類が,系統発生として徐々に創り出してきたものである。だから,それを自らのものとするためには,われわれも個体発生として,その系統発生の過程をくり返さなければならないのである。

 このように,われわれ臨床心理士が働きかける対象であるクライエントの歴史と,働きかけるときに用いる武器である臨床心理学の歴史という,二つの歴史をしっかり学ぶということが,臨床心理士の実力向上のためには必要なのである。では,このことと,最初に説いた一般教養の重要性ということは,どのようにつながってくるのであろうか。

 それは,これら二つの歴史というのは,ある特殊な歴史であるからして,その特殊性をきちんと理解するためには,より広い視野の中にその歴史を位置づける必要があるということである。そのより広い視野を学ぶのが一般教養の学びなのである。

 たとえば,クライエントの全体像を描こうと思って,幼いころからその中で育ってきて相互浸透してきた小社会をきちんと重層的に把握したとしよう。しかし,そもそも人間は一般的に,どのような小社会の中で育って,どのように相互浸透していくものなのかという基準がなければ,そのクライエントを評価・判断することができないのである。だからこそ,時代小説や社会派推理小説などで,「時代の心,社会の心,人の心」をしっかりと学んでおく必要があるのである。このような教材で,一般的な個としての人間の認識の発展過程を描けるようになってこそ,目の前のクライエントの全体像が描けるようになるのである。そういった一般性を踏まえることなく,いきなり目の前のクライエントのみを見ても,その全体像を描けるはずはない。

 同じように,臨床心理学というのは,学問全体から見れば一特殊領域にすぎないものであるから,そもそも学問はどのように発達して来たのか,どのように発展していくものなのか,というような一般的な像を把握していないと,臨床心理学の発展過程も真に理解することはできないのである。そしてその学問発達一般論を学ぶのも,一般教養の中身であるはずである。

 このようにして考えてくれば,結局,あるものを学ぶのにはその歴史を学ぶ必要があるのであり,その歴史もより広い観点を踏まえたうえでの学びが必要になるのだ,そういう学びをしてこそ,真に実力がついていくのだ,ということになるだろう。歴史を学ぶことも,より広い視野からものごとを捉え返すことも,いってみれば弁証法的な学び方ということに他ならない。したがって,結局は弁証法的に学んでいけば実力がつくのだということになる。これだけいってしまえば,超抽象的な内容で,それ自体はもっともなことなのではあるが,その中身は,今まで説いてきたようなものだということである。

 さて本稿の最後に,以上をふまえて筆者自身の課題を明確にしておきたい。何よりも欠けているのは,心理臨床や臨床心理学の歴史についての学びである。これらをしっかり筋を通して描けるようになることが,当面の大きな課題といえる。また,人間を自然的・社会的外界との相互浸透によって生きて生活している存在としてとらえることは,支援対象のクライエントを見た時でも,小説の登場人物を見た時でも,まだまだ十分にできているとは言い難いものである。外界との相互浸透という視点をもって人間を見ていけるように,今後も訓練を重ねていくことを決意して,本稿と終えたいと思う。

(了)

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 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言