(1)どうすれば実力ある臨床心理士になれるか
(2)臨床心理士にも一般教養は必須
(3)クライエント理解も全体から部分へ
(4)心理臨床の歴史を辿る必要性
(5)対象と武器を弁証法的に学ぶ
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(1)どうすれば実力ある臨床心理士になれるか
本稿は,一会員による瀬江千史・本田克也・小田康友『医学教育 概論(3)』(現代社)の感想文である。本書は,タイトルにあるように「医学教育」がテーマである。医学教育には社会的な関心も高く,以下のような新聞記事もあった。
「医学教育「脱ガラパゴス」,臨床実習,受け身から参加型へ――京大,学生は見学→直接問診,信州大,班ごとに現場→個別に。
独自のスタイルで発展してきた日本の医学教育が,国際化の波を受けて大きく変わろうとしている。従来の臨床実習は見学主体の「受け身型」だったが,欧米で一般的な,学生が実際に患者と接する「参加型」へ転換。実習期間も延長しようと,各大学はカリキュラムの見直しを急ぐ。背景には,海外で進む医学教育の国際標準化の動きに加え,「海外で学ぼうとする学生や医師が少ない」との危機感がある。
「医学生が主体的に考え,学ぶよう改める」。今年度からカリキュラムを大きく改編した京都大学医学部の新たな教育方針について,京大医学教育推進センターの小西靖彦教授はこう説明する。
従来の一般的な臨床実習は,診察や治療を行う医師の傍らで学生が見学する形式。だが今後は学生が直接問診したり,症例検討会に参加して治療方針を自分なりに考えたりする内容に変える。
実習期間もこれまでの59週間から73週間へと大幅に増やし,海外での臨床実習の参加も後押しする。小西教授は「数十年間ほぼ同じだったカリキュラムが,これから数年間で大きく変わる」と強調する。
信州大学医学部は今年度から臨床実習の開始時期を半年前倒しし,4年生の9月から始める。従来,実習時は学生6人で一班を編成していたが,一人ひとり個別に現場で学ぶよう改める。
県内の約30病院に協力を求め,150コースから学生が実習内容を選べる体制を整えた。ただ「受け入れ側に指導経験が無く,どこまで学生に任せていいか戸惑いも多い」(信州大医学教育センターの多田剛センター長)といい,現場の医師に直接説明して理解を求めている。」(日本経済新聞 2014年9月1日 朝刊)
ここでは,国際化の影響で日本の医学教育が変わろうとしており,その中身は臨床実習を「受け身型」から「参加型」に転換し,実習期間も延ばそうとするものである,と紹介されている。
しかし,このような医学教育改革は,ほぼ確実に失敗するであろう。そのことは,本『医学教育 概論(3)』を含む『医学教育 概論』シリーズの読者であれば常識である。たとえば,京大医学部では実習時間を大幅に伸ばし,実習の形式も見学型から直接問診型へ変えるとしている。しかし,実習時間を伸ばせば,それだけ,基礎医学や臨床医学についての座学の時間が短くなるということである。医学の知見は膨大な量になっており,それを習得するのに必然的に長時間の座学が要求されたからこそ,現在のようなカリキュラムになっているのではないのだろうか。単純に実習時間を伸ばせば解決するというような問題ではない。また,実習でいきなり問診するというが,はたしてそれが可能であろうか。まずは見学するということは妥当だと思われる。見学が受け身で直接問診が参加型だという捉え方自体が形而上学的なものである。問題意識をもって見学に臨めば,それは受け身ではなく参加型といえるはずであるから,論点はいかに問題意識をもって実習に臨ませるか,ということではないだろうか。また,信州大学医学部の方でも,実習の開始を前倒しすれば,それだけ基礎医学・臨床医学の学びがおろそかになるのは当然であろう。6人で一班だったのを個別に学ぶようにすることも,単純にいいことだとは言い難い。グループで議論しながら理解を深めていくということができなくなるからである。そして受け入れる側に指導経験がないということまで述べられており,このような方針転換が実を結ぶかどうかは,かなりあやしいといわざるをえない。
何よりも一番本質的な点をいうと,科学的医学体系がない状態で,いくら医学教育改革を行っても徒労に終わるということである。なぜなら,科学的医学体系を把持して,それを適用することによってこそ,初めて見事な医療実践となるのであり,科学的医学体系を踏まえてこそ,そのような見事な実践を行える医師を育てる医学教育が可能となるからである。また,もう少し細かい点にも触れるとするならば,教育界全般に上達論がないために,適切に技を修得させることが難しいということもあるし,そもそも,現行の医学部の入学試験制度では,必然的に受験秀才しか医師になれないようになっており,医師に必須の感覚器官の実力がかなり乏しいというハンディキャップを背負っての医師への道となるという点もある。いずれにせよ,『医学教育 概論』シリーズの成果を踏まえなければ,医学教育改革は,いつまでも失敗をくり返すであろう。
さて,本稿では,臨床心理士である筆者が,『医学教育 概論(3)』を読んで学んだ内容を認めていく。これまでも,「心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想」「全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想」「必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想」という3つの感想文を執筆してきた。本稿はこれらの続編である。
なぜ臨床心理士である筆者が『医学教育 概論』シリーズの感想文を認めているのか。それには大きく二つの理由がある。第一に,認識学の構築を志す筆者としては,科学的学問体系のお手本としては,南郷学派の医学体系が最も分かりやすく,成果としてもたくさんの論文や著作が発表されているからである。その南郷学派の医学関連の著作の中で,最新のもの,いわば現時点での到達点であると考えられる『医学教育 概論』シリーズを本格的・主体的に学ぶために,このシリーズの感想文を認めて,ブログに投稿することにしたのである。
『医学教育 概論』シリーズを取り上げた第二の理由は,本シリーズで扱われている専門領域が,筆者が専門としている心理臨床に非常に近いからである。医師は,人間の病気の診断と治療を専門とする職種であるが,われわれ臨床心理士は,いわば人間の心の問題のアセスメント(心理的見立て)とカウンセリング(心理療法)を専門とする職種である。現場としても,実際,筆者は精神科の病院に勤務しているし,精神科医と連携をとりながらクライエントの援助を行っている。したがって,医師と臨床心理士,医学と臨床心理学,医療と心理臨床は,非常に近い関係にあるといえるのであるから,前者について説かれている『医学教育 概論』シリーズは,後者にとってもほぼ直接に非常に多くのことが学べると期待できるのである。これが臨床心理士である筆者が『医学教育 概論』シリーズを取り上げる第二の理由なのである。
以上のような理由から,『医学教育 概論』シリーズを取り上げていくわけであるが,本稿では主として,専門分野をどのように学んでいけば,実力ある臨床心理士となれるのかという観点から,学びとったことを綴っていきたいと思う。
具体的な感想は次回以降に認めるとして,今回はいつものように,『医学教育 概論(3)』の目次を提示することによって終えたい。あいかわらず,目次を見ただけでもわくわくするような内容であるし,非常に論理的な展開になっていることが分かるというものである。
医学教育 概論 (3)
第12課 医学部6年間の学びの全体像を描く必要がある
(1) 6年間の学びの全体像を説くのが本来の「医学概論」である
(2) 「医学概論」の学びが6年間の学びの質を左右する
(3) 大学のカリキュラムは医師への道を示す地図である
(4) カリキュラムの歴史的変遷を概観する
(5) 教養科目が大きく削減された現代医学教育
(6) 一般教養の実力のなさが専門科目の学びを歪ませる
(7) 「人間の病気」を専門的に学ぶ前に「人間」を学ばなければならない
(8) 人間とは何かを学ぶに必須の一般教養科目
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 12 ―
第13課 人間とは何かを学ぶ一般教養の重要性
(1) 一般教養の軽視が招いた医師の質の低下
(2) 医師に必要な,人間が生きて生活している全体像の欠落
(3) 基礎医学や医療倫理の学びだけでは人間の全体像は描けない
(4) 人間は自然的外界・社会的外界との相互浸透によって生きている
(5) 自然的外界との相互浸透の歪みが人間の生理構造を歪ませる
(6) 人間を自然的外界の中に位置づける視点をもったナイチンゲール
(7) ナイチンゲールの視点は一般教養の学びによって培われた
(8) 教養科目の現状から本来の意義を見誤ってはならない
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 13 ―
第14課 人間は社会的存在であることを理解することが重要である
(1) 一般教養の実力なしに専門科目の筋道を通した理解は不可能である
(2) 人間は社会的存在である
(3) 社会的につくられた認識によって生理構造が歪んでいく
(4) 人間社会を学ぶための社会・人文科学系科目
(5) 人間社会をイキイキと描くための学びの重要性
(6) 人間社会の理解のために必要な歴史の学び
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 14 ―
第15課 医師に必要な一般教養の実力を自ら養うにはどうしたらよいのか
(1) 一般教養の実力養成は中学の教科書の論理的な学びから
(2) 全体像を描きそれを把持して部分の学びに入るのが学びの王道である
(3) 学問的一般教養の学びが科学的理論を求めさせる
(4) 医学教育の欠陥の源流をウィルヒョウ『細胞病理学』にみる
(5) 専門課程の全体像を概観する ―「基礎医学」「臨床医学」「臨床実習」
(6) 専門課程の全体像を理解する鍵となる医学教育の歴史
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 15 ―
第16課 医学教育の歴史から説く専門課程の学びの王道
(1) 医学生がカリキュラムから描く医学教育の全体像
(2) 問題基盤型学習では医師としての実力をつけることができない
(3) 専門課程の全体像をつくるのに必要な医学教育の歴史と科学的医学体系
(4) 臨床医学の前に基礎医学を学ぶ本当の意義を理解しよう
(5) 医療実践の必要性から人間の正常な構造と機能は究明されてきた
(6) ベルナールは,生理学は疾病解明のためにこそ必要であると位置づけた
(7) 医学生が辿るべき学びの王道は「臨床→基礎→臨床」である
(8) カリキュラムの中身のつながりの構造を明らかにする「医学体系」
(9) 学問的作業によって構築された「医学体系」こそが専門課程の全体像となる
(10) 専門課程の全体像とは「医学体系」の一般像である
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 16 ―
第17課 科学的医学体系から説く専門課程の全体像
(1) 「実力ある医師とは何か」のゴールを明確にして,6年間の学びの全体像を考える
(2) 「臨床→基礎→臨床」の過程的構造を考えなければならない
(3) 現代の医学教育論には体系的な科学的理論がない
(4) 「医学体系」の一般像である専門課程の全体像を概観する
(5) 病気には病気になる過程があるということの理解の重要性
(6) 「病態生理」は病気へ至る全過程の一部にすぎない
(7) 学問的に概念規定した「病気とは何か」「治療とは何か」
(8) 正常な生理構造を理論化した「常態論」 ―「生理論」との区別と連関
(9) 基礎医学を総動員するだけでは常態論にはならない
(10) 十九世紀に医学体系の構造の骨子を提示していたベルナール
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 17 ―
第18課 一般教養を土台とした専門課程の体系的学び
(1) 「医学体系」の構造論の理論的つながりを示す
(2) 「医学体系」を表象レベルで描く ―専門科目の学びを全体像に収斂するために
(3) 病気には外界との相互浸透によって生理構造が歪んでいく過程がある
(4) 自然的外界との相互浸透の歪み ―自然的外界そのものが歪んでいる現代
(5) 社会的外界との相互浸透の歪み ―現代社会がもたらす生理構造の歪み
(6) 病気への過程・回復への過程の究明は学的弁証法によって可能となった
(7) 医師の診断・治療実践の大本となる常態論
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 18 ―
第19課 医師の実力養成に必須である基礎医学の学び
(1) ワークショップにみたハワイ大学方式のPBL概要
(2) 症状へのアプローチに長けた日本の学生と,基礎医学の実力のある台湾の学生
(3) 基礎医学の実力なしには臨床問題解決の実力はつかない
(4) 医師は常態論における人間の内部構造を熟知していなければならない
(5) 人間の正常な内部構造を学ぶ解剖学と組織学
(6) 受精卵が人間の体の構造を形づくる過程を学ぶ発生学
(7) 基礎医学で学ぶのは人間という実体の構造と機能である
医学生の学び ― Propylaen zur Wissenschaft 19 ―