2015年03月15日

三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約(2/10)

(2)要約A――認識における根本的な矛盾と観念的な自己分裂

 前回は、「まえがき」および「第1章 認識論と矛盾論」の「1 認識論と言語学との関係」を要約したものを紹介しました。そこでは、言語と認識とが深く多面的な関係を持っている以上、科学的な言語の理論を確立するためには、どうしても科学的な認識の理論(哲学の一分野としてではなく、個別科学としての認識論)を建設する必要があることが、力説されていました。

 さて、今回は、「第1章 認識論と矛盾論」のうち、「2 認識における矛盾」および「3 人間の観念的な自己分裂」を要約したものを紹介することにしましょう。ここでは、個別科学としての認識論の建設のためには真っ当な矛盾論が必須であること、認識の諸々の矛盾を解決していく上で「観念的な自己」が決定的に重要な役割を果たすことが、説明されています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2 認識における矛盾

 認識論をそして言語学を個別科学として確立するためには、対象の考察に際してつねに矛盾の存在に心をくばり、矛盾の発展を忠実にたぐっていくという態度が必要である。矛盾には、常識的に考えられているような、変則的な・異常な・存在することが望ましくなく消滅させることが必要な矛盾と、反対にのぞましいものとして維持したり創造したりすることが必要な矛盾とがある。マルクス主義の創始者たちは古代からの哲学者たちの矛盾論の遺産を唯物論の立場で受け継ぎ、科学的な矛盾論を確立した。生物は外から物質をとりいれ別の物質を排泄して、絶えず自己を定立しかつ解決しつつ一つの矛盾を創造しているが、この種の非敵対的矛盾は肉体の成長のみならず、精神の成長すなわち認識の発展にも見られる。非敵対的矛盾についてのあやまった解釈では、認識論を個別科学として確立することはできない。

 現実の世界は時間的にも空間的にも無限であるにもかかわらず、認識は時間的にも空間的にもその多様性においても有限でしかありえないという非敵対的矛盾は、人間にとって本質的なものである。人間の認識が変化し発展していくのは、我々個人の認識に限界があるとしても、認識それ自体の交通・運動形態を創出することでそれを補っているのである。人間の世代の認識を無限に継続することで、現実の無限のありかたと正しく調和するようにして、非敵対的矛盾を実現しかつ解決しているのである。この本質的な矛盾はさらに人間の認識の構造として具体化されていく。

 第一に、認識には対象から与えられたという意味での受動的な側面と、能動的に創造していくという側面がある。認識が受動的であり限界づけられていると同時に、能動的に現実に向かって問いかけその限界を超えていくというのも一つの矛盾であって、ここに予想とよばれる認識の形態が成立し発展していく。認識の側から現実の世界のありかたへ一致を目ざして運動すること(本質)と、現実にはまだ存在していないもののイメエジを頭の中につくり出すという不一致(現象)との矛盾を正しくつかんで、夢想をダイナミックにその過程的構造においてとりあげなければならない。現実に近づいていくという先走りと、現実から遠ざかっていくという幻想と、夢想の対立する二つの性格を矛盾において検討しなければならない。

 第二に、認識の本質的な矛盾から、誤謬とよばれるものが必然的に生れてくる。真理に対立するものとしての誤謬、およびその相互転化という認識の矛盾のありかたを知らなければならない。これは個人の認識だけではなく、組織の認識(マルクス主義を指導理論とする革命政党の方針や決定など)においてもいえることである。人間の出身階級とその主張の真理か誤謬かとは、直接の関係はないのであって、マルクス主義もほかならぬブルジョア・インテリゲンチャによってつくり出されたのである。どんなに歪められたどんなに空想的な主張や理論でもそこには現実が何らかのかたちでとりあげられており、真理をふくんでいるのであるから、あやまった理論でもその一面的な正しさにおいて有効性を持つことを理解しなければならないし、逆に有効性から直ちに理論の正しさを結論づけるプラグマティズムへの道にも注意が必要である。

 第三に、人間は社会を構成しているという本質的なありかたから認識が規定されてつくり出す特殊な矛盾、すなわち意志の持つ矛盾としての規範の成立の問題がある。認識の内部には意志に対立する意志として、規律・掟・道徳・規約・法律など、さまざまな種類の規範が存在している。

 以上三つの矛盾は、人間の認識においてきわめて重要であるにもかかわらず、従来は正当に体系的に扱っていないので、これらについては詳細にとりあげることにする。


3 人間の観念的な自己分裂

 われわれの感覚は、精神的な交通で他の人間の感覚を受けとって、現実の世界についての認識を拡大している。われわれの感覚の源泉は、客観的に存在する外界であり、感覚にとらえられた部分は無限の世界の一部でしかない。人間の感覚はとりもなおさず感覚器官のその現実的な位置に束縛されているところの世界のとらえかたとして成立する。映画の画面でスタンダードといわれるサイズが三対四の比率になっているのは、究極的には視野の形態によって規定されているのであるが、光学的には対象からの光を受けとるのであるから、この比率には何の合理性もないように見え、エイゼンシュテインは視野からの規定を無視してこの比率を罵倒した。

 われわれの視野が現実的な位置に束縛されて限界づけられていたのでは、日常生活さえいとめないから、われわれはこの限界を超えたりまたもどったりする活動を観念的にくりかえして生活している。地図を書いているときには、現実的には自己はわが家の中にいながら、観念的な自己が分裂して、わが家の外にいてわが家を外部からながめ、わが家を空中から見おろすところに位置づけられている。地図を書き終えれば、観念的な自己も現実的な自己に復帰する。こうした観念的な自己は、更に高くのぼって太陽系の中での地球のありかたをながめたり、時間的な旅行をしたりもできるのである。

 写真・絵画・地図などとちがって、言語表現にあっては、作者の位置に関係なく同じ語彙を用いて表現するため、認識の過程におけるちがいが表現にあらわれて来ない。実用的な表現と鑑賞用の表現では形式は同じでも過程的構造がちがっていることが多く、内容に大きなちがいがあり、読者の読みとりかたもちがってくる。

 唯物論の立場からすれば、まず現実的な自己が存在してそこから観念的な自己が分裂していくのであるが、観念論哲学者は分裂の結果をとらえて現実的な自己と観念的な自己とをいっしょくたに扱ったり、更にまず観念的な自己が存在してそこから現実的な自己がつくり出されるかのように解釈したりした。「自我」と「他我」が不可分な同格において説明されるフィヒテ的観念論や、絶対的なイデーから現実の世界がうみ出されたというヘーゲル観念論が成立する。ドイツ古典哲学の発展は、観念的な自己分裂のありかたについての解釈の発展という面からも検討されなければならない。ジェームズの心理学も、自己分裂がはじめから別の存在として解釈されている。

 現実的な自己と観念的な自己との分裂は、矛盾として把握すべきである。観念的な自己分裂は実践上の必要からつくり出され、正しい調和において維持していく必要があり、非敵対的矛盾として理解すべきである。

 人間は観念的な自己分裂のために必要な道具として鏡をつくり出した。鏡を見るとき、映像を現実の自己として扱い、自己の映像と現実的な自己とを観念的に置き換え、現実の自己を観念的な自己としたり他人に観念的に転換したりする。この種の実践は、反映論を力説する人びとには見逃されている。物質的な鏡と精神的な鏡との対立の統一および相互浸透という事実も矛盾の一つのありかたであり、こうしたマルクス=エンゲルスの矛盾論に立ちかえって弁証法的反映論を建設する必要がある。

 観念的な自己分裂に使われる物質的な鏡は、ガラスの鏡以外にも、「他の人間という鏡」があり、この鏡にあっては、現実的な自己を一定の時間をへだてたところからとらえることができる。日本のことわざにも、この「他の人間という鏡」をとりあげたものがあり、観念的な自己を他人に転換させ、ふたたび現実のありのままながめる立場にもどり、自己分裂の時の認識を現実的な自己の認識に止揚し、役立てることを説いている。

 物質的な鏡は至るところに存在し、科学と技術の発展は多種多様の鏡をつくり出している。物質のありかたを認識するための物質的な鏡のほかに、精神のありかたを認識するための物質的な鏡、言語をはじめとするさまざまな表現も多種多様に創造されている。これらは観念的な自己分裂において扱われる。
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 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言