2015年03月14日

三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約(1/10)

(1)要約@――『認識と言語の理論』の根本的な問題意識とは

 本ブログでは、本日より10回に分けて、三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の第1章から第3章までの要約を掲載します。

 三浦つとむさんの代表作というべき『認識と言語の理論』は、全3部からなる大著であり、科学的な言語の理論の確立のためには科学的な認識の理論が前提になければならない、との問題意識から説かれたものです。第1部が認識の理論、第2部が言語の理論に当てられており、第3部は補遺的な論文集となっています。

 認識の理論に当てられた第1部は、以下のような目次立てになっています。

まえがき

第1部 認識の発展

 第1章 認識論と矛盾論
  1 識論と言語学との関係
  2 認識における矛盾
  3 人間の観念的な自己分裂
  4 「主体的立場」と「観察的立場」
  5 認識の限界と真理から誤謬への転化
  6 表象の位置づけと役割
  7 予想の段階的発展――庄司の三段階連関理論

 第2章 科学・芸術・宗教
  1 法則性の存在と真理の体系化
  2 仮説と科学
  3 概念と判断の立体的な構造
  4 欲望・情感・目的・意志
  5 想像の世界――観念的な転倒
  6 科学と芸術
  7 宗教的自己疎外

 第3章 規範の諸形態
  1 意志の観念的な対象化
  2 対象化された意志と独自の意志との矛盾
  3 自然成長的な規範
  4 言語規範の特徴
  5 言語規範の拘束性と継承
  6 国際語とその規範

 第4章 パヴロフ理論とフロイト理論の検討
  1 パヴロフの人間機械論と決定論
  2 フロイト理論の礎石
  3 不可知論と唯物論との間の彷徨
  4 フロイトの基礎仮説――「エス」「自我」「上位自我」
  5 無意識論と精神的エネルギー論
  6 夢と想像
  7 性的象徴
  8 「幼児期性生活」の正体
  9 「エディプス・コンプレックス」の正体
  10 エロスの本能と破壊本能
  11 右と左からのフロイト批判

 大きくいえば、第1章から第3章までは三浦認識論の入門編とでもいうべき展開となっており、その応用編として第4章でパヴロフおよびフロイトの理論が批判的に検討されている(とはいえ分量的にはほとんどがフロイト批判です)、ということができます。第4章については、改めて何らかの形で取り上げるとして、ここでは、三浦認識論の基礎をしっかりとものにするという観点で、第1章から第3章の要約を行っておくことにします。この範囲には、「観念的な自己」の運動が如何にして認識の発展に貢献するのかという視点から、科学や規範に関する事柄が述べられていて、弁証法の教科書である三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』をしっかりと理解するうえでも重要な内容となっています。

 今回は、「まえがき」から第1章の第1節までの要約を掲載します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まえがき

 ちょっと見ると言語は自明な平凡なもののように思えるが、分析を始めると、複雑な構造をかくし持った手のつけられぬ存在だと思い知らされる。この言語の謎を解明し理論を建設するには、具体的な言語現象を集め整理しながらその背後の構造を探っていくだけではなく、逆に大きな観点から言語の本質を考え、仮説を立てて実証的に具体化していく必要がある。言語は映画・音楽等と同じく表現の一種であって、言語の表現としての特殊性を理論的に明らかにしなければならない。表現を人間の認識から切り離すのも、認識と表現とを正しく区別できず混同するのも、ともに誤っている。言語表現以前に頭の中に存在しているのは、言語規範とそれに媒介された概念であって、それら自体は言語でなく認識である。

 言語などの表現は他の人間と精神的な交通を行うためにつくり出される。認識は言語にとって直接の基盤で、言語規範も認識の一形態であるが、これらはまた言語の側から規定されるという、深く多面的な関係にある。科学的な認識の理論を持たずに言語の理論的解明を志すのは不可能であるから、本書は前半を認識の理論に、後半を言語の理論にあてて、認識から言語表現への過程を原理的に解明しようとするものである。

 認識も言語も、しばしば不可解な異常な現象を示すが、その本質は単純だと予想してさしつかえないし、本質が単純ならばそれについての叙述もこれまた単純なもので足りる。本書は、新しいわけのわからぬ述語や複雑難解な文章は使わず、認識の諸矛盾を見のがさぬようつねに強調し、図解を使って理解しやすいように心をくばった。

 学問は個人の成果をとりいれまとめあげ、個人を超えたかたちの体系に成長していく。私の理論も、先輩の成果を受けつぎ、認識の理論は唯物論的な反映論、言語の理論は「言語過程説」(時枝言語学)の系列をなす。ただしこの2つの系列は、これまで正しくむすびついていなかっただけでなく、むしろ相いれないかたちで論じられるところへ向っていた。これらを一貫した立場で体系化するには、矛盾を正しく扱う弁証法を適用し、認識の受動的な側面と能動的な側面との移行やからみ合いを解明することから、言語表現の矛盾の解明へとたどっていかなければならない。つまり認識の成立から表現にいたる過程的構造の解明に努力せよということになろう。

 現在の「言語過程説」は機能主義的なふみはずしや認識の構造に関する説明の混乱など、まだ十分に理論的に仕上げられていない。しかし、理論全体を破りすててしまうのではなく、唯物論的な反映論を正しく展開していく中で、弱点を訂正し前むきに発展させる必要がある。非常に単純でしかも複雑な意味を持つ言語表現にぶつかったとき、同じ単語が使いかたで複雑な意味になるとは奇妙なものだと考えたり、言語表現の物神崇拝など古くさい迷信だと嘲笑したりして思惟をストップさせるのではなく、表現形式と表現内容は相対的に独立していると一般化したり、労働生産物の価値と言語の意味とは論理的に共通していると一般化してとらえたりすることこそが、学問としての道である。現象面で思惟をストップさせて、言語表現の過程的構造へ自力でふみこんでいこうとしない人びとは、言語をできあがったものとして固定化してとらえ、与えられた道具を使うのだというような現象的な解釈に安住できるのである。言語と他の表現との共存を検討していけば、表現一般のありかたに必ずぶつかるし、言語と他の表現との同一性や差別を考えずにはすまないのである。


第1章 認識論と矛盾論

1 認識論と言語学との関係

 科学の確立は、哲学(解釈学)を克服し清算する。いまだに哲学と名のるものがくっついている分野は、精神活動に関する問題を扱っている分野である。認識についての科学的な理論を持てば、真に科学の名に値する言語学になるのである。ゆえに、本書ではまず認識論を述べることにする。

 人間の認識は個々の人間の頭の中に成立するが、個々の人間の認識が交通関係に入り込むことによって、人間の認識は社会的なものになる。他の人間の認識を自己の頭に受け止めることによって認識がさらに広く深くなるのであるから、自己の認識は他人的になることによって自己として成長していくのである。

 言語の理論的な研究の重点は、過程的構造の理論的な研究であるから、言語学の確立にはどうしても認識論の援助を必要とする。なぜ・いかにして・言語の意味が変動変遷するのか、なぜ・いかにして・単語を構成していくのか、という問題にとりくむと、それらが人間の認識のありかたと深くかかわり合っているだけに、認識について検討しなければならなくなる。

 認識論は哲学の一分野として古くから哲学者によって研究されてきたが、19世紀になって実証的な個別科学がつぎつぎと確立し、哲学も哲学者ももはや歴史的な役割を終ることとなった。科学はあくまでも対象ととりくんで対象からつかみとりたぐっていくものであるが、従来の哲学の遺産を無視したりしてよいわけではなく、唯物論の立場を堅持することによって科学的な認識論の確立する必要がある。しかし、マルクス主義と自称する人びとさえ、認識論を哲学にとじこめておこうとしている。なぜかといえば、それは哲学者なるものは一個の職業として相変らず社会的に維持されて来たからである。哲学者は哲学の評論としての認識論を作文しているだけである。けれども科学的な認識論を実践的に必要とし、自分が認識ととりくんでいるところから経験を理論化しようとして、様々な認識論がでてくるのである。

 ソ連では生理学者パヴロフが、認識論を生理学に解消させようとする解釈を提出し、この解釈は認識および言語についての正しい理論と認められている。認識についての具体的な理論は欧米と同じく心理学の名の下に公けにされている。これには、マルクス=エンゲルスをさらに発展させたものとして、レーニンの哲学研究ノートが聖書化されているという特殊な事情がある。その中では、論理学、弁証法、認識論は同一視されているのである。この「原理」を仕事の上で否定すれば、反マルクス主義的=反レーニン主義的としてたたかれ身の破滅であるから、認識論を心理学とよんでおけということになる。レーニンのこの認識論はヘーゲルにひきずられて足をふみすべらしたものである。ヘーゲルは観念論者であるから、論理学と認識論と弁証法を同一視する。しかしマルクス主義は唯物論であるから、決して同一にはならない。レーニンの考え方では認識論は確立しない。

 認識と言語との間には相互関係が存在している。ヨーロッパ言語学において現在支配的な地位を占めているのは、フェルディナン・ド・ソシュールの流れをくむ学派で、これに属する人びとは不可知論ないし観念論の立場から認識をとりあげているし、またその立場を自覚している。これに対して、日本の国語学者の時枝誠記などが、自然成長的であるとはいえ唯物論の立場から批判を加えたのであった。

 現実に存在する対象も空想的な対象も、言語表現に際して同一視されることから、対象が現実に存在するかしないかを論じることは意味がないとして、論理実証主義者は認識のありかたをそのまま対象のありかたに押しつけようとする観念論的なやりかたをする。しかし一つの文の中にさえ現実の世界と想像の世界と異なった世界が二重にとりあげられていることを理解する必要がある。ソシュール言語学批判の検討に際しても、自然性成長的な俗流唯物論をのりこえ、言語学の建設へとすすむ必要がある。そのためには、まず認識論を哲学から脱皮させることが先決問題である。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/415580024
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック

<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する