2015年02月14日

夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫(1/4)

目次
(1)『二百十日』――革命を思う熱い心
(2)『野分』――「文学者」としての生き様
(3)『虞美人草』――職業作家としての第一作
(4)『坑夫』――人間の心は移ろいやすいもの

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)『二百十日』――革命を思う熱い心

 京都弁証法認識論研究会では、昨年の6月より、月に1冊のペースで、夏目漱石の中・長編小説を読んで感想を交流しあう場を設けています(これは、漱石が描く小説中の諸人物の心に着目すると同時に、それらを書いている漱石自身の心〔認識の発展〕にも着目していく、という二重の観点から、認識論の学びを深めていくためのものでした)。

 本稿では、その第4回目から第7回目までの議論の様子を紹介していくことにしましょう。作品としては、『二百十日』『野分』『虞美人草』『坑夫』が対象となります。

 第4回目に取り上げた作品は『二百十日』(1906〔明治39〕年10月、『中央公論』に掲載)です。これは、漱石の中・長編小説のなかでも最も知名度の低い作品といってよいかもしれません。ちくま文庫の『夏目漱石全集 3』の解説(吉田精一)では「失敗作」と断じられているほどです(漱石自身の「杜撰の作にて御恥ずかしき限り」との言葉を根拠にしていますが)。圭さんと碌さんの会話を主体にした短い作品であり、雰囲気としては、まるで落語のような、滑稽味あふれるものになっています。内容としては、圭さん、碌さんという2人の人物が連れ立って阿蘇山に登ろうとするものの、道が定かでなかったために、加えて台風の接近に伴う荒天のために、遭難しかかって一旦断念せざるをえなくなる、それでも諦めずに再度阿蘇山を目指していく、といったものです。

 何よりも注目されるのは、碌さんを半ば無理やり阿蘇山へと引っ張っていく圭さんが、「社会の悪徳を公然道楽にして」「金力や威力で、たよりのない同胞を苦しめる奴ら」を「叩きつける」「文明の革命」を強く主張していることです。このことに関わって、読書会の場においては、漱石作品のなかでも漱石自身の社会観が最も明瞭に現れた非常に興味深い作品といえるのではないか(もっとも、あまりに露骨過ぎて「身も蓋もない」感じなので、「失敗作」というのも分からないではない)、という指摘がなされました。端的には、漱石には革命を想う熱い心があった、ということです。

 もう少しいえば、阿蘇山は革命の象徴であり、革命の理想(阿蘇の山頂)は明瞭に見えていても、革命成功への道筋(山頂へいたる道筋)は明らかではないために(漱石自身は社会科学的な革命理論を明瞭には把持しきれていないために)多くの紆余曲折に苦しまざるを得ない、それでも諦めずに革命を想い続けるのだ、ということになります。まさに、三浦つとむさんの『マルクス主義の基礎』の冒頭の以下の文章を想起させるものがある、という感想も出されました。

「政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。」(三浦つとむ『マルクス主義の基礎』、『三浦つとむ選集第2巻 レーニン批判の時代』勁草書房、p.206)


 認識論的に興味深いところとしては、「文明の革命」を主張する圭さんが、阿蘇山や台風といった荒れ狂う自然の姿を、(おそらくはそこに革命への民衆のエネルギーを重ねて見ることで)痛快なものとして反映させているのに対して、そういった革命への想いが希薄な碌さんは、ただただ鬱陶しいものとして反映させるだけである、という対照が指摘されました。端的には、人間の認識は問いかけ的反映だ、ということです。読書会での議論を通じては、漱石が圭さんと碌さんという対照的な2人を配したことの意味も深められました。荒っぽく前へ前へと突き進んでいく圭さんに対して、消極的でひ弱な印象の碌さんは、極端にいえば圭さんにことごとく反対するように振る舞うのですが、決定的な場面ではしっかりと圭さんを助ける(具体的には、溝に落ちてしまった圭さんを引き上げる)のです。これは圭さん的な要素だけでは革命は成就しないということを暗に示しているのではないか、ということになりました。端的には、2人の関係は、自動車のアクセルとブレーキの関係として、対立物の統一(非敵対的矛盾)として把握できるのではないか、ということです。

 なお、この圭さんと碌さんの関係については、臨床心理士である会員から、心理臨床の観点から捉えてみるとなかなか興味深い、との感想も出されました。圭さんと碌さんは、かなり激しい口論になる場面が多いように思われるが(これに関しては、必ずしもそういう印象は受けない、という異論も出されましたが)、心理士として接している現代の若者たちは、あれくらいの口論をしてしまうと、もはや関係性が保てなくなる場合が多いように感じられる、とのことでした。現代の若者はどうも傷つきやすく、打たれ弱い印象があるが、それが時代性によるものなのか、心理士としての仕事で関わる小社会の特殊性なのか、よく分からない部分もあるが、いずれにせよ、漱石作品については明治という「時代の心」を学ぶという視点でも読んでいきたい、との感想が語られました。

 その他、認識論的に興味深いところとしては、旅館の下女に卵の半熟とは何かが伝わらなかった場面も挙げられました。圭さんと碌さんは半熟の卵を注文するのですが、下女は「半熟」を知りません。そこで「半分煮ることだ」と説明したところ、女は持ってきた4つの卵のうち半分の2個を完熟に茹でて持ってきました。つまり、主人公達は1個の卵の質を問題にして「半分煮ること」と説明しているのに、女は量の問題として捉えてしまった、というわけです。端的には、各々が異なる小社会を背負っていると言語を介したコミュニケーションが上手くいかないことを、上手く掴んでいるのではないか、ということができます。

 全体としては、漱石の社会思想を根底的に規定するものとして、明治・大正時代の日本の社会情勢(近代国家の形成過程)について、学問的に把握していくことの重要さが確認されました。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
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 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
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 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
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 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
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 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
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 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
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 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
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 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
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 ・SSTを技化の論理で説く
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 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
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 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
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 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
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 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
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 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
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 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
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 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか