2015年02月04日

2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)「武道哲学講義X」要約@
(3)「武道哲学講義X」要約A
(4)「武道哲学講義X」要約B
(5)「武道哲学講義X」要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:ヘーゲル『哲学史』の意義とは何か
(8)論点2:ヘーゲル『哲学史』の限界とは何か
(9)論点3:ヘーゲル『哲学史』をどのように読んでいけばよいか
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 わが京都弁証法認識論研究会は、本年および来年の2年間について、毎月の例会を通じてヘーゲル『哲学史』全体を読破し、その内容を主体的に掴み取ることを目標に掲げています。

 1月例会では、「ヘーゲルは『哲学史』において、果たして何を説きたかったのか」という副題を持つ、南郷継正「武道哲学講義X」(『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第八巻』)を扱いました。この「武道哲学講義X」については、2011年5月・6月例会でも扱っていますが、この1月例会では特に、ヘーゲル『哲学史』の意義と限界とは何か、ヘーゲル『哲学史』をどのような姿勢で学んでいけばよいのか、という問題意識を明確に把持しての、再挑戦となりました。

 今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱ったテキストの要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。
 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

京都弁証法認識論研究会  2015年1月例会
南郷継正「武道哲学講義〔X〕」
東京大学学生に説く,『哲学・論理学への道 序説(『全集』第3巻入門編)』
――ヘーゲルは『哲学史』において,果たして何を説きたかったのか

【概要】
 本講義は,『全集』第3巻「哲学・論理学への道」の予告編としての内実を持っているものであり,総ての哲学の入門書が欲しいと願う人々を予想して説いてある。第一部は,大学で学問的能力を培うための学修方法論を説いた「東京大学学生に語る『学問への道』(1),(2),(3),(4)」の続編であり,世界最高峰の学問文化を築くために学ぶべき大事な学問として,人類文化最高の歴史形態である「哲学の歴史のための序論」を,哲学専攻の研究生に講義するレベルで,しっかりと講義したものである。きちんと,哲学への道への入門,すなわち,まともな導入への道をしっかり講義してあるので,哲学というものの学問的グラフィックレベルの知識(常識)を学生諸君に与えられる事が出来たらと,願っての講義でもある。第二部は,第一部の内容を大学一年生を対象として,高校生に語るレベルの易しさでの講義となっている。

【1】ヘーゲル(『哲学史』)の優れている点とは?
 当時の哲学者たちは哲学の歴史を阿呆な画廊そのものであるとしか見てとる事が出来ず,その中に存在しているいくつもの宝石類を発見不可能であった。したがって,その宝石すらもガラクタだと断定して,捨て去るの愚を犯しているだけであった。しかしヘーゲルは,同じ諸々の学説の中に,高貴な精神(学問への探求心のレベルの高さ)と思惟的理性(その時代時代の学問的総括力の高さ)を見事に発見できるだけの実力があった。ヘーゲル以外の哲学者は,論理能力そのものがない,すなわち論理能力を育てようと培った過去をほとんど持ってはいない。だが,ヘーゲルは論理能力は把持できていたのである。
 ヘーゲルは,大学教官の先達として歴史上おそらくナンバー・ワンである。ハイデルベルク大学で行なった「就任演説」やベルリン大学での「開講演説」などは,その論理性・その壮大性・その人間性・その学者魂は目を見張るばかりの見事なるものがある。就任演説でヘーゲルが特別に述べたかったのは,論理的に端的には,「諸君はいかなる艱難に出会うとも,いかなる絶望の淵に沈みかかる事があろうとも,真正面から自らの内に存在していよう偉大なる自らの精神を確信し,信頼する事である。そこを忘却したり,そこを等閑視したりするような事があれば,諸君は自らを偉大にする事はできないし,いかに諸君が現在は客観的に偉大であろうとも,そのまま偉大であり続ける事はできないのだ」,という一点にある。
 ヘーゲルは当時の諸々の哲学者に対して,「学問とは,哲学とはを,諸氏は全く分かっていない。現在の哲学と称している諸氏のものは本物の学問への入口でしかないものだ」として,「真の学問とは体系化される事によってこそ,学問となるものだ」と説いた。

◆報告者コメント
 ヘーゲルは,他の哲学者たちと違って,論理能力を把持していたがために,哲学の歴史の中に高貴な精神(学問への探求心のレベルの高さ)と思惟的理性(その時代時代の学問的総括力の高さ)を見事に発見できたのだということであろう。したがって,われわれがヘーゲル『哲学史』を読んでいく時にも,高貴な精神(学問への探求心のレベルの高さ)と思惟的理性(その時代時代の学問的総括力の高さ)とを哲学の歴史の中から再発見するべく,きちんと学んでいく必要があろう。
 また,ヘーゲルは学問における体系化ということの必須性にも気づいていたようである。これも論理能力のなせるわざだったのかもしれない。ヘーゲルはどうして学問には体系化が必要だと結論するようになったのだろうか。このあたりもしっかりと問いかけながら,『哲学史』を読んでいく必要があると思った。


【2】ヘーゲル(『哲学史』)に不足している点とは?
 ヘーゲルは,「古代ギリシャからの哲学の過程史の理解」がまだあと一歩という場所で立ち止まるしかなく,『哲学史』においても説ききれてはいない。ヘーゲルは,哲学の歴史を「高貴な精神の系列であり,思惟的理性の英雄たちの画廊である」と自分の見解を説きつつも,哲学史を阿呆の画廊と呼ぶ人々を納得させるだけの論の展開をなす事はできなかったのである。
 それはどうしてであろうか。それは,阿呆な哲学者たちと同様の一般性レベルでの欠陥を把持していたからである。その欠陥を端的に一言で述べるならば,「論理の段階を読み取る能力が不足していたからである」,となる。
 ヘーゲルは学問は体系でなければならないと説くのであるが,一つだけ解けていない事がある。それは,体系とは何か,体系的とはどういう事か,そしてそのために何が必然性なのか,という事である。ゆえに,彼は哲学そのものを学問として説く事が遂になかった(不可能だった)のである。その肝心の事(もの)とは一体何なのであろうか。一言で説くならば,「論理とは何か」であり,かつ「なぜ論理が必要なのか」である。
 ヘーゲルは資料のないところに学問はないとする悲しいまでの信念を持っていたため,人類がサルから分かれていわゆるヒトになり,人間になっていった道筋がしっかりと説けなかった。したがってヘーゲルの『哲学史』というのは,哲学の歴史というものよりむしろ,それぞれの哲学者とされている人々が,一生懸命に自分の学びを学問化しようとした中身が哲学の中身として説かれているのだと分かってかかる事が必要(肝心)なのである。

◆報告者コメント
 ここに説かれたヘーゲルの欠点も,ヘーゲルが観念論者であったということも含めて,しっかりと念頭に置きながら『哲学史』を読んでいく必要があろう。
 ここは,ヘーゲルが「論理とは何か」「なぜ論理が必要なのか」が分からなかったために,「体系とは何か」「体系的とはどういうことか」「そのために何が必然性なのか」も分からなかった,こう打ったヘーゲルの弱点は,「論理の段階を読み取る能力」が不足していたからである,ということであろうか。このような疑問を持ちつつ,『哲学史』を読んでいけば,何かが分かってくることもあるかもしれない。


【3】哲学とは,そして哲学史とは何か?
 そもそも,哲学上の実力とは,学問という学問の総てを統括可能な実力という事である。すなわち,右は国家学から,左は医学迄の学という名のつく学問体系の総ての内実を,一つの系統性あるものとして,つまりは総体的かつ一体的体系性を把持したものとして説ききれる事こそが,哲学上の実力なのである。
 「古代ギリシャからの哲学の過程史の理解」のためには,まず文化の発達について少し説いておく事が大事である。そもそも人類が文化を誕生させたのは約一万年前だとも説かれてはいるが,しかしそれは文化すなわち観念的な精神の世界の実体化たる本物の文化として誕生させられたものではなく,いわゆる技レベル,すなわち技術レベルでの発展を指すものでしかない。それは文化の構造たる精神世界の構築ではなかったのである。やがて技術が発展してきて,それゆえに精神上の豊かさを持つようになった結果,世界を全体として見る事の実力をつけた人々がその中に出てくるようになる。すなわち,「世界とは何なのであろうか」を学問レベルから問う人々が出始めたのである。世界の総てを把握しようという強烈な意識そのもの精神構造そのものがsophiaの大本である。知識を集める人間,その中で知識を人類の英知と呼んでいき,英知,つまりソフィアがやがてフィロソフィア(愛知)となっていった事が学問の起源なのである。
それゆえ,原点的にすら世の中の総てを知るための学問が本来の哲学なのである。哲学者というのは,歴史性を把持した過去の文化遺産を集めてこれを己が一身の実力となし,世界全般を考えるのが原点,すなわち出立点であり,やがては世界を観念的には当然の事,実体的にも総て学問的に手の平に載せる(説く・解く)事の出来るような実力者となる事である。学問としての哲学は思想と違って総ての文化を体系制を把持できる学問として修得する,すなわち学問を総て研鑽した上で世界の何たるかを解き,描き,かつ説く事,にこそその本分があるのである。
 以下に,哲学=学問のしっかりとした定義を説いておこう。

学問というものは,自然・社会・精神として存在している現実の世界の歴史性,体系性を観念的な実体の論理性として構築し,その内実の歴史的構造性を理論レベルで体系化するにある。

哲学とは学問としての国家体系である。より正確には,学問としての哲学の体系とは実体世界の国家体系を論じる国家学に対しての,いわば観念的世界における学術国家としての体系学であり,端的には学 国家学である。


 哲学史を説けるものは哲学の資料などではなく人類史である。人間が学問を始められるようになった,学問がどうして出来るようになったか,その中身を説くべきである。人間の認識が,心が,精神になるプロセスをこそまず説くべきなのである。魂になるプロセスではない,精神になる,すなわちGeistになるプロセスこそ,そこを説いてこそ本物の哲学史となるのである。

◆報告者コメント
 ヘーゲルは,哲学をあるものとしてとらえてしまって,その前提からそれぞれの哲学者とされている人々が,一生懸命に自分の学びを学問化しようとした中身を哲学の中身として説いていったのであるが,本来は,そもそもその哲学なるものがどのようにして誕生可能となっていったのか,哲学なるものを生み出すまでに発展していった人間の認識の発展を原点から説いてく必要があり,そうしてこそ,本物の哲学の歴史となる,ということであろうか。
 「生命の歴史」で喩えれば,ヘーゲルは最初から単細胞生命体が存在しているという前提の元に説いていってしまったが,本来は,その単細胞生命体とされるものがどのようにして誕生してきたのかのプロセスを説かなければ,本物の「生命の歴史」にはならない,ということであろうか。
 このような原点から説いてこそ,「右は国家学から,左は医学迄の学という名のつく学問体系の総ての内実を,一つの系統性あるものとして,つまりは総体的かつ一体的体系性を把持したものとして説ききれる」のだ,すなわち,本物の哲学を構築できるのだ,ということかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以上の報告レジュメについて、およそ以下のようなコメントがなされました。

 まず、【概要】で全体を端的に纏めているのがよかった、ということです。それ以降の部分についても、内容を漫然と纏めるのではなく、ヘーゲル『哲学史』の学びのために、という問題意識を前面に出して、大きく3つの問いを立てて内容を主体的に整理しようとしているのもよかったのではないか、というコメントがなされました。報告レジュメというのは、どういう観点から纏めるのか、どういう観点からコメントを加えるのか、という点が決定的に重要になるのだな、といった感想も出されました。

 ただし、内容の纏めに比して報告者コメントが分量的に少ないのではないか、内容の纏め部分と報告者コメント部分は分量的に半々になるくらいを目指すべきではないか、という注文もつけられました。
posted by kyoto.dialectic at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
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 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
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 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
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 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
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 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2