2015年01月31日

必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想(2/5)

(2)心理士が主体的にカウンセリングに必要な事実を取りだす

 本稿は昨年執筆した「心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想」の続編として,『医学教育 概論(2)』から学んだことを,主として筆者の専門であるカウンセリング(心理臨床)にどのように活かせるのか,認識論的にはどのような点が学びとなったのか,という観点から説いていくものである。

 今回は,本書で説かれている「事実」という言葉をキーワードにして考察していきたい。

 まず「事実」とは何か。端的には,「実際にあること,あったこと」(p.19)である。このようにいうと,「そんなことは当たり前ではないか。そのような単純な『事実』がなぜ問題になるのか?」と食ってかかりたい方もおられるであろう。しかし,事はそう単純な問題ではないのである。そのあたりの事情が,本『医学教育 概論(2)』では,第7課や第8課で延々と説かれている。以下に詳しく考察する内容で,上述の人々に対する反論としたい。

 本書では,この「実際にあること,あったこと」である「事実」を,医師の診断に必要な事実とは何かと言う観点から,大きく三つに分けている。一つ目が,しっかりと現象している,目に見える事実である。これは患者の表情・顔色とか,服装とか,歩き方,姿勢,呼吸の速さとかいったものである。

 二つ目が,目に見えない,すなわち現象してはいないけれども,内部構造としては目の前に存在している事実である。これらの事実は,聴診器や打診法,レントゲンやCTなどの媒介を使って把握するのである。

 最後に,これら目の前に存在する事実に至る,過程の事実である。先の二つが「実際にあること」であったのに対して,これは「実際にあったこと」であり,現在はその事実は既に存在していないのである。この事実は,患者との会話によって取り出すしかないものである。

 このように,診断に必要な事実の三種類を説明した後に,本書では次のように説かれていく。

「現象している事実,現象はしていないけれど存在している事実,すでに存在しない過去の事実など,無限ともいえる事実のなかから,われわれは必要な事実を取りだしてこなければなりません。医師に必要な診断のための事実は,それとして『ある』のではなく,われわれが目的をもって取りだしてくるものなのです。」(p.29)


「目の前に現象している事実,現象はしていないけれども存在している事実,あるいは大事なことでも,今この現在ではすでに存在していない過去の事実など,無限の事実という事実のなかから,現在の病気といわれる状態になぜなったのか,そしてそれを治すにはどうすべきなのかを,きちんと客観的に納得できる説明を与えてくれる事実を,医師自らが取りだしてこなければならないのです。

 したがって,なんのために,何を知りたいのかという,医師の目的をもった事実への問いかけが重要であり,必要性に応じて事実を取りだしてくることのできる技を身につけ,使いこなすことができなければならないのです。」(p.43)


 すなわち,診断と治療のための事実は,それとして「ある」のではなく,無限ともいえる事実の中から医師が取り出してくる必要があるのであり,そのためには,何のために,何を知りたいのかという目的をもった問いかけが技化している必要がある,ということである。

 また,次のようにも説かれている。

「つまり,事実はたしかに『実際にあること,あったこと』ですが,診断と治療に必要な事実は,医師自らが目的をもって現象させ,取りだしてこなければならないということです。素人にはみえないものがみえる,それが専門家です。」(p.66)


「一口に『病気の診断と治療にとって必要な事実を取りだす』といっても,その『必要な事実』とやらは,誰の目にもみえる形で目の前に存在しているわけではけっしてなく,医師が,対象とする患者に存在する無限ともいえる事実のなかから,自らの責任で取りだしてこなければならいなもの」(pp.77-78)


 ここでは先の内容に加えて,素人には見えないものが見える専門家の「責任」ということに言及されている。すなわち,ある事実が診断と治療に必要か否かは,医師が主体的に(その結果に責任をもって)判断するものである,ということである。

 以上のような内容は,認識論的にも非常に興味深い。そもそも認識とは,外界の対象の反映であり,像なのであるが,誰もが同じ対象を同じように反映するわけではない。というのは,認識は単なる受動的な反映なのではなく,問いかけ的反映だからであり,問いかけたようにしか反映しないからである。したがって,どのように問いかけるか,どのような問いかけ像をもっているかによって,反映してくる中身が全く違ってくるものなのである。

 たとえば,家の玄関に置いてある靴が,キチンと踵をそろえて置かれていなかったとしよう。両親のしつけがゆるく,靴の揃え方などには無頓着な人は,それを見ても特別なにも反映しないといってよい。強いていえば,ただ「靴があるな」というような反映である。ところが,しっかりとしたしつけを受け,靴はきちんと揃えて置くものだという認識が創られている人の場合,同じ状況を見たら「わあ,ひどい!」と反映するものなのである。すなわち,でたらめに置かれた靴が反映すると直接に,不快の感情が湧きあがってくるのである。このように,問いかけしだいで反映してくる内容はまったく違うのであり,それに応じて感情も異なるということになる。

 専門家は,ある特定の偏った問いかけを創ることによって,素人には見えないものが見えるのだともいえる。ではカウンセリングを行う心理士は,どのような事実をとり出してくる必要があるのであろうか。そしてその必要な事実をとり出してくるためには,どのような問いかけを創っていく必要があるのであろうか。

 ごく一般的・大雑把にいってしまえば,心理士は相手の認識=像を,事実として取り出してくることができるようにならないといけない。すなわち,心理士のもとにカウンセリングを受けにくる人は,何らかの問題を抱えてやってこられるのであるが,問題を問題とするのはその人の認識であり,何を,どのように捉えて問題だとしているのかという相手の認識をしっかり把握しないと,適切な介入が行えないのである。

 しかし,認識は直接目に見えるものではなく,その人の言動という形で表現されることによって初めて現象してくるものであるから,心理士は相手の言動をしっかりと観察して,「それはどのような認識の表現であるか」と問いかけて,それらの言動を意味(=言動の背景にある認識)を掴みとらねばならない。

 さらにいうと,認識は対象の反映である。相談に来る人が,問題を問題として認識するようになったのも,当然,何らかの対象が反映した結果である。したがって,その人がどのような体験をして,どのような反映を積み重ねていったのか,その人の体験した外界はどのようなものであったのか,という点も,しっかりと把握しなければならない事実である。特にカウンセリングにくるような方が問題とするのは対人関係の場合が非常に多いから,その人を取り巻く重要な他者については,しっかりと聞き出し,事実として把握していく必要があろう。

 必要に応じて,これまでの生育歴も辿る必要が出てくる。というのは,その人がどのような人生を歩んできたかということを把握することが,その人の問いかけを理解するうえで必要となってくるからである。

 以上要するに,心理士はカウンセリングを受けに来た人の認識=像を把握する必要があるのであるが,それにはまず,現在現象していて目に見えるその人の言動を頼りにして,その背後にある認識を取り出してくる必要があるのであり,また,そのような認識になるに至った元となる外界(の対象)についても,聞き出して,しっかりと事実として取り出してくる必要もある,また,必要に応じて,もっと長期的なスパンでその人の人生を辿り返して,どのような外界を反映してきたのか,どの結果,どのような問いかけがその人の個性といえるほどのものとして育ってきたのか,ということも把握する必要がある,ということである。

 このように,対象→認識→表現という過程的構造,および,認識は問いかけ的反映であるという認識の本質的な特徴を踏まえて,すなわち,科学的認識論の基礎をしっかりと踏まえて,心理士がカウンセリングに必要な事実を主体的に取り出してくることが必要なのである。
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 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言