2014年12月31日

2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回までに、例会で報告されたレジュメを紹介したあと、『西洋哲学史』全体の要約を4回に分けて掲載し、次いで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介してきました。

 最終回となる今回は、例会を受けての参加者の感想を掲載しておきたいと思います。

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 今回の例会では、これまで学んできた哲学の歴史をどう捉えるかという点について、特にデカルトとカントの二元論の違いについて議論をし、理解を深めることができたことがよかった。デカルトとカントの二元論については私が出した論点であったが、そもそもの問題意識としては物質と精神というデカルトの二元論と、物自体と自我というカントの二元論は一体何が違うのかというものであった。

 この点に関わって重要なのはカントの二元論は、物自体と自我という把握もできれば、物自体と現象という把握もできるが、両者は捉え方が違うということであった。つまり、前者は客観と主観という対立であるのに対して、後者は世界のあり方についての二元論である。つまり、我々が見ている世界は現象にすぎず、その背後に物自体の世界があるというものである。デカルトとのつながりで言えば、カントの二元論は後者として見ていくことが必要だということだった。具体的には、カントはデカルトの二元論に関わって精神から物質(客観的世界)を捉えようとしたのであるが、その解決の過程で、我々が捉えている物質(客観的世界)は現象の世界と物自体の世界があると主張することになったのである、ということだった。ここについては納得することができた。この点も1つの問題意識として持っておいて、来年からの『哲学史』に挑んでいきたい。

 次に、印象的だったのは議論の中で、別のメンバーから議論の進め方について突っ込みが何度かなされたことである。例えば、「プラトンの二元論は現象論として間違いないとしても・・・」という形で議論が進んでいるときに、「そもそもイデア論はなぜ現象論と言えるのか」という問いが出されたし、哲学の歴史を生命の歴史になぞらえるという点に関わっても、「そもそも事物の発展というものはこうなっているんだという把握がなければ、イメージレベルで当てはめるだけになってしまう。だから、ここを議論するならば、生命の歴史から事物の一般的な発展を汲み取らなければならない」という指摘があった。このメンバーには議論の流れ、論の展開という点について、明確な把握がなされているからこそ、それに当てはまらない議論の流れについては違和感が感じられるのだと思う。何から議論していくべきか、どういう流れで議論していくべきか、こういった点は論文を書く上でも非常に重要だと思うので、研究会の中でも意識するようにしたいと思った。

 最後に、今回はチューターが予めメンバーが出した論点への見解について、整理したレジュメを作成していた点が非常によかったと思う。これをきっかけに例会のあり方が1つレベルアップした。思い返してみると、この1年間で研究会自体が大きくレベルアップしてきている。当初はそもそも論点の提示すら当日の議論の中で行われていた。それが事前に行われるようになり、報告レジュメも事前となった。さらに論点について予め見解を提出しておくようになり、今回、その見解がチューターによって整理された上で臨むという形になった。今年はこういう研究会の発展に何とか食らいついていくのが精一杯だった面があるが、来年からは自らが研究会のあり方をレベルアップさせるのだという意気込みを持って臨むようにしたい。

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 今回の例会では、司会(チューター)として、例会報告執筆者として、出来るだけ事前に論点を整理し、さらにそれらの論点に対して出された見解についても整理することで、例会本番の運営をスムーズにできるように準備を進めていった。

 本番では、ここ数回の例会で自分が扱いたい論点があったり自分の見解で披露したいものがあっても、その回の司会(チューター)の進行に変に合わせてしまって、なかなか自分の言いたいことが言えなかったという思いもあり、司会(チューター)としては質問を振ったり議論を整理するだけで、あまり自分で積極的に論点を定めたり、自分の考えを話したりしないでおこうと思っていた。そこで1つ目の論点を扱う当初から、「1つ目の論点にしてもいろいろな議題がありますが、どれを取り上げたいですか? 積極的にお願いします。」というように討論を開始した。しかしこれが結果としては間違いであった。はじめに議論したのが、私の論点への見解になってしまい、私は司会(チューター)ではなくて、回答者になってしまったのであった。回答者として答えながら、さらにその答えに突っ込まれるなどしているうちに、しっかりと議論の道筋をつけることができなくなってしまい、司会(チューター)の役割が果たせなくなってしまった。そのため、今回これだけはと思っていた私の見解、すなわち、無規定の絶対的な不変的存在を定立すると、目まぐるしく変転する現実の世界をそこからどのように説明するのかという問題が生じ、それを解決するために、新たな学説等が創出されてくる流れがいく重にも重なり合いながら(エレア派の有に対するヘラクレイトスの成、プラトンのイデアに対するアリストテレスの質料・形相、新プラトン学派の抽象的な一者に対する人格神としてのキリスト教、スピノザの無規定の普遍者に対するライプニッツのモナド、シェリングの無差別の絶対者に対するヘーゲルの絶対精神)も、徐々に取り扱う問題が現象論レベルから構造論レベルに発展していったのではないか、これが哲学史の過程的構造ではないか、という部分に全く触れることができなかった。

 例会の最後に、今回の進行の不手際について反省の言葉を口にすると、他会員から、せっかく作った論点への見解の整理に沿って、「この論点は、ここの部分はみんな共通しているから、ここの見解が異なる部分について討論していこう」などの形式で進めればよかったのではないか、という意見をいただいた。もっともな指摘である。そもそも、今回の不手際は、先回までの例会において、自分の思いが話せなかったという独りよがりの不満にあったのであって、ここから司会(チューター)の役割を放棄したかのようなはじめ方をしてしまい、最終的に司会(チューター)を果たせなかったという、どこまでも自分の主体性のなさに原因がある。今回の感想では、内容にはほとんど触れていないが、司会(チューター)の役割と主体性の重要性を再確認できたことが最大の成果であった。

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 今回の12月例会では報告レジュメの担当となっていた。そのため、まずはブログ掲載4回分で『西洋哲学史』全体を要約し、さらにそれを大幅に短縮して3つの部分(古代ギリシャとドイツ観念論、およびその中間)に分け報告者コメントを付した報告レジュメを作成した。その上で、各自が提示した論点を司会(チューター)が整理したものに対しての自身の見解の作成を行った。こうした一連の文章を書いていく作業を通じて、哲学史というものは、人間が自身の周囲の環境(自然および社会)の諸現象を何とかひとつに括って把握したい、という切実な思い(感情)によって貫かれたものであること、にもかかわらず、この世界をなかなかひとつに纏めきる(一元論を打ち立てる)ことができずに、たびたび二元論に陥ってしまったのだ、というイメージが鮮明になってきたのであった。

 当日の議論を通じて、プラトン的二元論(イデア/感覚的・現象的事物)、主観と客観の二元論、デカルト的二元論(思考/物体)、カント的二元論(物自体/現象、あるいは物自体/自我)の繋がり(歴史的な流れのなかでの)と差異がある程度明確になったと思う。特にデカルトからカントへの過程で、あくまでも主観と客観の問題として議論されていた2つの流れ(イギリス経験論および大陸合理論)を合流させるためにカントは世界を二重化(物自体/現象)せざるをえなかったのだということ、したがって、より大きな枠組みとしてはあくまでも主観と客観の関係の問題が意識されていたのだということが明確に確認できたのはよかった(後者の問題がカントにおいては「物自体/自我」の問題と捉えられることになるが、これは「客観/主観」のカント的表現にほかならない)。この後者の問題(物自体/自我の二元論)を解決することによって、前者の二元論(物自体/現象)をも解決しようというのが、ドイツ観念論の流れだということになるのであろう。私としては、以上のような内容を、例会当日の議論を通じて明確にすることができた。これは大きな収穫であったといえる。

 哲学史の全体を総括するという非常に大きなテーマであっただけに、当日の議論は諸々の論点が錯綜してしまった感はあったけれども、各自から出された論点への見解を事前に整理しておくという、例会に向けての司会(チューター)の準備作業は特筆すべきものがあったと思う。この1年間、例会での討論を実のあるものとするために、諸々の試行錯誤を重ねてきたわけであるが、その最後を締め括るのにふさわしい非常に意欲的な取り組みであったと思う。こうした努力の方向性は来年以降にもしっかり引き継いでいかなければならない。今回の例会では、各自の論点提起は2週間前までに、チューターによって整理された論点への各自の見解の提示は1週間前までに、ということが確認された。来年初めの1月例会は私がチューターに当たっているので、研究会としての今後の発展をしっかりと方向付けるような、実のある例会となるように、力を尽くしたい。

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 今回の例会は、今年最後にふさわしいものとなったと思う。どういうことかというと、まず、チューターの配慮で、事前に論点に対するコメントがそろい、さらにそのコメントの整理も行われたことである。今年になってから、論点を事前に出し、そして可能ならばそれについての見解を、事前に文章化してメンバー同士で共有するという取り組みを行ってきたが、それが一つの完成形にまで到達したような印象がある。もちろん、まだまだ改良の余地はあるだろうが、一つの雛型として、今回の例会までの準備作業の流れを活用していけると思う。

 例会で行われる議論・討論の質も、徐々に向上してきたことが実感できる。相手が当たり前の前提として説いているところに、あえて突っ込みを入れてみる、そしてそれに対してしっかり答える、などというやり取りが、多くなってきたように感じている。このような議論・討論を経て、認識が深まっていくことがいく度となく体験できたことは、今年の例会全体を通していえることであるが、徐々にその質が上がってきたと感じている。

 今回の討論の中では、デカルト的二元論がいかにしてカント的二元論に移行していったのかが明瞭になったと思う。簡単に振り返ってみれば、デカルトが提起した二大実体たる物質と精神について、一面的な唯物論と一面的な観念論との系譜として発展していく中で、人間の精神は受動的か、それとも能動的かという問題として捉え返され、カントはそれを、人間の精神は受動的でもあれば能動的でもあるという形で解決を試みたものの、その中で、物質世界全体を物自体と現象とに分けてしまい、結果、新しい二元論に陥ってしまった、ということであった。何となく掴んでいたこのような流れも、議論・討論を通して、よりクリアーになっていくことを体験できた点が良かったと思う。

 さて来年はヘーゲル『哲学史』がテーマとなる。今回確認したような問題意識をもって、これまで以上に議論・討論の質と量を向上させていく決意である。
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 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言