2014年11月23日

2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章(1/10)

目次
(1)報告者から提示されたレジュメ
(2)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章要約@
(3)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章要約A
(4)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章要約B
(5)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:ヘーゲル哲学とはどのようなものか
(8)論点2:ヘーゲル哲学の歴史的意義とは何か
(9)論点3:ヘーゲル哲学の限界とは何か
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1)報告者から提示されたレジュメ

 本年,わが京都弁証法認識論研究会は,ヘーゲル『歴史哲学』とセットで理解すべきヘーゲル『哲学史』を理解するための準備段階として,南郷継正先生も著書で推薦されているシュヴェーグラー『西洋哲学史』(岩波文庫)を一年かけて読破し,哲学史のアバウトな流れを把握し,それを主体的に掴み取ることを例会の目標として掲げています。

 11月例会では,いよいよ最後の章「第46章 ヘーゲル」を扱いました。ここでは,観念論哲学における到達点であるヘーゲル哲学が詳しく説かれています。

 本例会報告では,まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと,扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し,次に,参加者から提起された論点について,どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に,この例会を受けての参加者の感想を紹介したいと思います。

 今回はまず,報告担当者から提示されたレジュメを紹介することにしましょう。

シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章ヘーゲル
【人物背景】
 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年8月27日 - 1831年11月14日)が活躍した18世紀後半から19世紀前半にかけての世界は、アメリカ独立戦争やフランス革命など、絶対王政の社会から近代市民社会へ大きく時代が激変する、啓蒙と理性の時代であった。この時代の理念である「自由」は、ヘーゲルの哲学にも大きな影響を与えた。

 ヘーゲルは学生時代のチュービンゲン大学で、シェリングやヘルダーリンと共にフランス革命を称賛し、「自由の樹」を植えて、そのもとで踊りまわったり、サインブックに「昨年のモットーは酒、今年のは恋。91年11月7日、アウグステ万歳。」などと心ひかれた女性の名を記したりしている。家庭教師時代を経て、初めて大学での職を得たイエナ大学では、既に5歳年下のシェリングが教授として教壇に立っていた。しかし、それまで兄事していたシェリング哲学に対して、『精神の現象学』にて徹底的に批判し、さらにその著作をシェリングに送って感想を求めるという態度に出たヘーゲルは、このころから独自の哲学体系を創出していくようになる。

 バンベルク時代には、新聞編集の仕事に携わりながら現実社会のあり方を徹底的に研究し、ニュルンベルクのギムナジウムの校長時代には、その後の『エンチクロペディー』のもととなる内容を講義するなど、ヘーゲルにとって哲学の基礎を固める上での重要な時期となった。

 ハイデルベルク大学やベルリン大学では、その就任演説にて、「人間の精神の偉大さと力」を強調し、人間理性によって捉えることができないものなどないのだと語ることで、学生たちの学問魂を大いに鼓舞した。また、歴史哲学、哲学史、美学など、のちに『ヘーゲル全集』に収録されるような、幅広い分野の講義を行った。

<報告者コメント>
 ヘーゲルの生涯は、大学に関わる時代と大学とは離れて過ごした時代が交互に展開されている。その生涯を、主に活躍した都市に応じてみてみると、以下のようになる。

ヘーゲルの生涯.png

 ヘーゲルはフランス革命に大きな影響を受けており、その理念である自由について、特に考察を深めていった。世界史的個人としてのナポレオンについては、その没落後においても崇拝の念を示しており、絶対精神が自己を展開し、自由を実現する過程こそ世界歴史である、という『歴史哲学』の根本的な考え方がここに現れている。ベルン時代には市政の研究をしたり、バンベルク時代には現実の出来事を理論化しようとしたりと、抽象的で晦渋な文章や論理展開の背後に、常に現実に目を向け、現実と格闘し続けた姿があったのである。

 地理的には、ドイツの全土にわたって(スイスのベルンに飛び出しながら)螺旋状に遍歴しており、ヘーゲルの頭脳が“change of the place”によって発展していったことが分かる。ヘーゲル哲学の根本である「全体・発展・否定」という考え方が、こうした場所の移動によって徐々に明確化されていったのではないか。

【1】論理学
 ヘーゲルは、あらゆる思考と存在の根柢にある純粋な理性概念を把握するために、否定を通じてより具体的な概念へと進んでいく弁証法的方法によって、純粋な理性的知識の全体系を導き出そうとする。論理学の全体は、有論から本質論へ、さらに概念論へと発展していく。

 有論では、規定性を持った有である質が否定され、区別と質的規定性に対する無関心である量が導き出される。さらに両者が統一されて、度合の概念が生じる。度合とは、質が依存している定量である。

 続いて本質論では、直接的な有から独立している質としての本質、有の自己分裂としての本質について述べられる。本質は反射された有であり、根拠づけられた有である。現象とは本質に充たされた現れである。現象が本質の完全で十分な顕現である場合、それは現実性である。真の現実性は必然的存在、合理的必然性である。

 概念論では、概念が他のもののうちにありながらも自分自身と同一なもの、諸契機が全体そのものであるような実体的総体であるとされ、主観的概念、客観性、理念の3つに分けられる。主観的概念は、普遍、特殊、個の3契機を含んでおり、主観的に把握されたものであるが、客観的概念すなわち客観性は、主観によって把握されている存在の総体のうちに実在する、自分の中で完結し概念的に規定されている存在である。客観性に内在する目的が理念であり、これは絶対者の論理的定義である。

<報告者コメント>
 ヘーゲルの論理学は、絶対者の理念を把握する道程を論理的に、弁証法的に説いているのだと言えると思う。

 後の自然哲学や精神哲学に比べて抽象的であるのは、歴史的な把握として、絶対精神を捉えていないためであろう。純粋に論理的に、絶対精神そのものを把握する視点で説かれているために、かなりの難解な文章展開となっている。そんな中でも、水の温度を度合として、量と質との統一として把握している点や、真の因果関係を2つの側面の各々が原因であるとともに結果であるような関係として、相互規定的相互浸透関係として把握している点は、非常に分かりやすいものだと感じた。

 こうした把握は、対立物の統一として、矛盾として、否定の否定として、現実の事物からその弁証法性を捉えたものを論理化したものだと言えるだろう。

 ヘーゲルは決して、机の前で概念をいじくりまわし、内容のない抽象論を展開しているわけではなくて、フランス革命を中心とした現実社会のあり方を絶対精神の自己展開であり顕現であると捉え、森羅万象に筋を通す形で哲学体系を創出していく中で、その結論として論理学の中身を抽出したのである。否定を原動力として発展していく世界のあり方を絶対精神に収斂させたものが、この論理学であると言えると思う。

【2】自然哲学
 理念は自分を外化し、直接的な現実、つまり自然となる。自然は他在の形態における理念である。自然哲学は、自然の自己喪失の抽象的な普遍性である空間と物質から、精神が自然から脱却し人間にまで至る過程を辿っていくことをその課題とする。

 物質は自然の自己外存在の普遍的な形態であり、向自的存在への傾向、つまり重力をもつ。重力は自己内存在、我にかえろうとする憧れであり、物体が求めている一者である。しかし力学の対象としては、物質はまだ個性を持たない。

 物質は、質化された物質として、物理学の対象となる。ここでは、個性へと自己を特殊化した物質、つまり物体(無機的自然)とその諸形態および相互関係が取り扱われる。

 無機的自然は化学的過程のうちに亡びさり、化学的過程を克服した有機的なもの、生命あるものが現れる。有機体学では、自然は主観性にまで進む。すでに過ぎ去った生命と形成の過程の結果である鉱物界、主観性の最初の活動が現れ出る植物界、個体の絶対的統一であり個別的具体的主観性である動物界という3つの段階をなす生命は、人間において自分を意識的な個性、すなわち自我として把握する。精神はここで自然からの自己解放を完結する。

<報告者コメント>
 ヘーゲルの自然哲学では、絶対精神が自己を外化してから、再び人間精神に還ってくるまでの道程が説かれている。論理的に見れば、力学の対象である量と、物理学の対象である質との統一として、主観性が生じ、その主観性が徐々に自らを知る過程で、鉱物界、植物界、動物界と発展していくと捉えられるのではないか。

 現在の学問の到達点である「生命の歴史」から見てみると、観念論的な展開とはいえ、物質から始まって、物理的な変化過程、化学的な変化過程を経て生命現象が生じ、代謝する生命体の最終的な形として、認識を有する人間が誕生するまでの過程が描かれていて、「生命の歴史」を彷彿とさせるような壮大なスケールのものだと言えるのではないかと思う。

 通常、ヘーゲル哲学の最大の弱点とされる自然哲学も、このように見れば、一定筋の通った大きな論理展開となっており、それなりの評価に値すると言えるのではないか。

【3】精神哲学
 精神は自然の真理であり、自己の外化を克服し、自己と同一になったものである。精神の本質は自由であり、自分を意識ある合理性として示し、精神的な宇宙を自分の国として打ち立てる能力である。

 精神は最初、自然的精神であり、いたるところ自然のうちに埋もれている。自然性を脱却した精神は、意識すなわち自我である。精神自身の規定性であったものは外界として自我と対峙することで、客観性が創造され、この客観性と対峙してのみ、自我は意識的な主観性へめざめる。自我は自己意識へと成長し、他の自己意識と争う中から真に普遍的である理性的自己意識として立ち上がる。精神はまず知性であり、直観、表象、思考を経て意志にいたり、その意志はまた衝動、欲望、傾向を経て自由意志へ進む。

 主観的精神である自由意志が現存するとき、それは客観的精神、法と国家である。法は、自由意志の直接的な存在であり、普遍的なものとして承認された自由意志である。人格としての人間は、物に意志を加えたり、所有物を他の人格に譲りわたしたりする権利をもち、このことは契約によって行われる。契約は2つの意志が一つの共通意志のうちに融合して法となる。普遍的意志と特殊的意志との対立が主観のうちへ移されたものが道徳であり、ここにおいて意志の自由は主観の自己規定にまで進む。善と意志とが具体的に一体となったものが人倫である。人倫は、まず結婚および家族として存在し、多数の家族に分かれることで市民社会となり、個人の利害が人倫的全体という理念のうちで止揚されることによって国家へと移っていく。最後に諸国家は世界史の過程をつくる。

 絶対精神とは、客観的なものの領域から自分自身へ帰っている精神、すなわちあらゆる存在の真理である絶対的理念の知識へ帰っている精神である。その第1段階は客観的現実のうちで理念を直接に見る芸術であり、第2段階は理念が絶対的な存在の力であることを確信する宗教であり、第3段階は前二者の統一であり、理念が絶対的であると同様にあらゆる現実であることを知る哲学である。

<報告者コメント>
 ヘーゲルの精神哲学では、自己の自然としての外化を克服した精神が、再び自己と同一になったものとして、「否定の否定」としての精神が説かれている。そしてこの精神もまた、一度自己を客観的精神として現存させ、再び自分自身へ帰って絶対精神となるという「否定の否定」を辿るのである。

 ヘーゲルは、大きな流れでいえば、主観的精神がまずあって、それが客観的に現存したものとしての客観的精神を説き、その両者を統一したものとして絶対的精神を定立しているのであるが、これは唯物論的に言えば、個人の独自の認識が、対象化された認識を媒介して、社会的認識として発展していくあり方を把握したものだと言えるのではないか。個人の自由意志が、国家や法などの社会的外界、上部構造に規定されながら、その時代時代の学問や芸術を創出していく流れが、絶対精神の自己発展として、観念論的に説かれているのではないか。

 観念論の立場では、最初に精神があるわけであるから、最終段階として哲学に至った精神の発展過程は、「多くの円からなる一つの閉じられた円にほかならない」となるわけである。ここで注目すべきは、「多くの円からなる」という表現である。「否定の否定」の法則は、「全体系の構成に対する根本法則としての役割を演じている」(『弁証法はどういう科学か』p.104、エンゲルス『自然弁証法』の引用)とある通り、ヘーゲルの体系は「否定の否定」を根底に展開しながら、さらにその連鎖全体がまた「否定の否定」として発展しているという、重層的な構造になっていることを表した表現だと言えるのではないか。


 このレジュメの中の「ヘーゲルの体系は『否定の否定』を根底に展開しながら、さらにその連鎖全体がまた『否定の否定』として発展しているという、重層的な構造になっている」というコメントについて、疑問が出されました。これを読むと、ヘーゲルは小さな否定の否定の積み重ね(部分)によって大きな否定の否定が起きる(全体)と考えていったかのように読めるが、果たしてヘーゲルはこのように部分から全体へと見て行ったのかというものでした。

 この問題については、ヘーゲルの認識の発展の過程と叙述の過程と2つにわけて考える必要があるのではないかという意見が出されました。ヘーゲルの認識の発展の過程としては、全世界を大きく捉えたときに否定の否定があることを発見し、その観点から部分を見つめていったときにも否定の否定が起こっていることを見つけるという流れ、つまり全体から部分へという流れだということです。しかし、この観点から全世界の生成発展を見て行くと、小さな否定の否定の積み重ねによって大きな否定の否定が起こるという流れになっており、叙述もそれに即した流れになっています。つまり、認識の発展は全体から部分だが、叙述の流れは部分から全体へという流れになっているのではないかということです。この見解にメンバーは全員納得しました。

 このようにレジュメに関わって簡単な議論を行った後、予め提出されていた論点についての討論を始めました。本稿では討論の内容を紹介する前に,今回扱った範囲の要約を,次回以降,4回にわたって掲載していきたいと思います。
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 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
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 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史