2014年11月13日

精神障害の弁証法的分類へ向けた試み(1/5)

目次

(1)3つの精神疾患の共通性とは?
(2)弁証法から見た自閉症スペクトラム障害の特徴
(3)弁証法から見た境界性パーソナリティ障害の特徴
(4)弁証法から見たうつ病の特徴
(5)ものの見方が極度に形而上学的になると適応が難しい

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)3つの精神疾患の共通性とは?

 昨年5月に,アメリカ精神医学会(APA)が作成しているDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders:精神障害の統計・診断マニュアル)が約20年ぶりに改訂され,精神科医療の現場では大きな話題となりました。DSMというのは,精神障害の診断に用いられる基準で,この基準に基づいて,「統合失調症」とか「パニック障害」とか診断されるわけです。このDSMが改訂される直前には,以下のような新聞記事も見られました。

「【行方史郎=ワシントン,土肥修一】日本でも広く使われている米精神医学会の診断の手引(DSM)が5月に改訂され,発達障害の一種「アスペルガー症候群(AS)」の分類が消える見通しだ。「適切な支援が受けられなくなる人が出る」などの不安が米国で出ており,日本の臨床現場への影響も出そうだ。

 ASは,言語発達の遅れや知的障害はないが,対人関係を築くのが苦手なのが特徴で,「アスペルガー障害」とも呼ばれる。「軽い自閉症」と見なされることもあり,19年ぶりに改訂されるDSM第5版では,重い自閉症からASまでを連続的に捉える「自閉症スペクトラム(連続体)障害」に一本化される。

 診断に使う項目も改訂版では,「社会コミュニケーションの障害」「限定した興味や反復行動」に絞る。 改訂に関わったグループは「第4版の基準は医師によって診断名が違ってくる」などとし,「より正確な診断が可能になる」としている。

 だが,米エール大の研究グループが,第4版でASと診断される人のデータを第5版で診断し直したところ,4分の3の人が,自閉症スペクトラム障害に該当しなくなった。

 そのため,今後は同じような障害を抱えていても診断で除外され,コミュニケーション技術の支援教育などが受けられない可能性があるという。さらに,現在,ASと診断されている人の間でも,診断名がなくなることへの不安の声が出ている。」(朝日新聞電子版 2013年4月30日)


 ここでは,改訂されるDSMでは「アスペルガー症候群」という分類が消えて,他の発達障害を含めて新たにつくられる「自閉症スペクトラム障害」という分類に一本化されそうだと記されています。実際,この後公開されたDSM-5では,「アスペルガー」という名前は消えていました。

 この他にもDSM-5では,統合失調症の妄想型とか解体型などというサブタイプが廃止されたり,気分障害が双極性障害とうつ病性障害に分割されたり,不安障害から独立して強迫性とその関連の障害やトラウマとストレッサー関連障害が新設されたりと,さまざまな変更点があります。

 このような変更は,何を意味しているのでしょうか。端的にいうと,精神障害に関しては,まだまだ解明されていない点が多く,新たな発見によって精神障害の分類が変更されていっている,ということです。

 病気の分類については,瀬江千史先生が詳しく説かれていますが,ここではコンパクトにまとまっている部分を引用します。

「そもそも,医療の歴史を遡ってみるならば,それは一面では,病気の分類に労力を注ぎ込んだ歴史といえるのであるが,その病気の分類の方向性は,大きく二段階に分けることができた。

 第一段階は,病気の現象的事実が積み重なっていった結果,それらの事実の共通性をみてとることによって,病気を分類していった段階であり,第二段階は,技術の進歩によって様々に病気の事実の構造に分けいっていけるようになり,より細かな違いに着目して,病気を分類,すなわち細分化していった段階である。そして現代医療は,この第二段階の発展に,ますます拍車がかかっているのが実情である……。

 しかしながら,この病気の分類の細分化は,大きな欠陥をもたらすことになった。それは何かといえば,人間の生活の全体像が考えられないことはもちろんのこと,人間の生理構造の全体像さえも消失し,医師にとって最も大切な「病気の全体像」が忘れ去られて,その結果,病気の実態を把握することが不可能になってきている,ということである。」(瀬江千史「『医学原論』講義(第6回)」,『学城』第8号,pp.43-44)


 要するに,病気分類の歴史は,アバウトに共通性を捉えて分類する第一段階から,より細かな違いに着目して細分化していく第二段階に至っており,その結果,人間の生活の全体像や人間の生理構造の全体像が忘れ去られてしまうという大欠陥が生じてきている,ということです。このような現状であるだけに,瀬江先生は科学的な医学の学問体系を構築して,現在の細かな知見を論理的に統合しようとされているのだと思います。

 本稿ではこのような指摘を踏まえて,現在の精神疾患の分類から主なものを3つ取り上げて,細かな違いに着目するのではなく,論理的な統合を目指してその共通性を探ることを試みてみたいと思います(※)。その際,世界全体の一般的な運動について扱っている弁証法の観点から,その共通性を探っていきたいと考えています。そこでまず,弁証法的なものの見方・考え方と,その対立物である形而上学的なものの見方・考え方について,簡単に復習しておきましょう。

 まずは形而上学的なものの見方・考え方の方からです。これは端的にいうと,物事を変化しないとみなす見方,つながっているものを切り離して,別のものとして扱う見方です。三浦つとむさんがよく使う言葉で表現すると「あれかこれか」的な見方です。もう少しいうと,条件を無視した硬直的な見方ということもできます。

 たとえば,仲のよかった友人とけんかをして,「絶交だ!」といわれたとします。そのとき,「もう,この友人とはずっと話もできないのだ。このままずっと仲が悪いままだ」と考えてしまうとします。これは形而上学的な見方ということができます。なぜなら,友人の認識は本来,変化していくものなのに,このまま変化しないと考えているからです。あるいは,このけんかの原因をすべて自分にあると見なすのも,形而上学的な見方ということができます。なぜなら,ある現象の原因というものは,一つとは限らず,もろもろの要因がつながりあって一つの結果をもたらしているのに,そのつながりを無視して,自分の要因だけを見ているからです。関係がいい時もあれば悪い時もあると考えずに,悪くなってしまったらもうよくなることはないのだと考えているのですから,「あれかこれか」的な発想であり,どのような条件を整えればまたいい関係になれるのかを考えていないという点でも,形而上学的な見方ということができます。

 これに対して,弁証法的なものの見方・考え方とは,どのようなものでしょうか。それは,全ては変化するとする見方,全てはつながっているとする見方です。三浦つとむさん的に表現すると,「あれもこれも」という見方です。全ては条件次第で変化するという,非常に柔軟な見方といってもいいでしょう。

 たとえば,先の例でいうと,友人とけんかをして「絶交だ!」といわれたとしても,そのような悪い関係もいつかは変化するだろうと考えるのが,弁証法的な見方です。けんかの原因も多面的に考えて,決して自分一人だけが悪い,というようなことは考えません。人間関係は,いい時もあれば悪い時もあると考えて,どうすれば今の悪い関係からいい関係に戻れるのか,その条件を考えていくのが弁証法的な見方・考え方ということができるでしょう。
 
 もちろん,弁証法的なものの見方・考え方がいつでも無条件によくて,逆に,形而上学的なものの見方・考え方がいつでも無条件に悪い,ということではありません。これこそ,条件を無視した形而上学的な見方ということになります。そうではなくて,形而上学的な見方も,世界をせまい範囲で,短期において見るときにはけっこう通用するけれども,世界を広い範囲で,長期にわたって見るときには通用しなくなるので,その場合には弁証法的なものの見方・考え方が求められるのだ,そういう意味では,弁証法的なものの見方・考え方の方が広範囲で使えて汎用性が高いのだ,ということなのです。

 本稿では,以上のような弁証法的な観点から,3つの精神障害の症状を検討して,その共通性を探っていくことを目的としています。次回以降,自閉症スペクトラム障害,境界性パーソナリティ障害,うつ病の順番に考察していくことにします。本稿では,これら3つの障害分類の妥当性についての判断は保留して,これらの教科書的な特徴や,筆者が臨床場面で関わった経験をもとに,その共通性を探っていきたいと思います。


※「細かな違いに着目するのではなく,論理的な統合を目指してその共通性を探る」という意味では,新聞記事で紹介したDSM-5における「自閉症スペクトラム障害」という分類の仕方は,それなりに妥当だと評価することができます。ただし,DSM-5全体としてみると,このようにいくつかの障害が統合されることもありますが,本論でも紹介したように,気分障害が双極性障害とうつ病性障害に分割されたり,強迫性障害が不安障害から独立したりと,細分化の流れも見られます。要するに,統一的な指針で統合の流れになっている,というわけではないという点をご確認ください。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
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 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
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 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する