2014年11月03日

2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章(1/10)

目次

(1)報告者から提示されたレジュメ
(2)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章要約@
(3)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章要約A
(4)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章要約B
(5)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:シェリング哲学の特徴とは
(8)論点2:ヘーゲルはシェリングをどのように批判したのか
(9)論点3:ドイツ観念論においてシェリングはどう位置づけられるか
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者から提示されたレジュメ

 本年,わが京都弁証法認識論研究会は,ヘーゲル『歴史哲学』とセットで理解すべきヘーゲル『哲学史』を理解するための準備段階として,南郷継正先生も著書で推薦されているシュヴェーグラー『西洋哲学史』(岩波文庫)を一年かけて読破し,哲学史のアバウトな流れを把握し,それを主体的に掴み取ることを例会の目標として掲げています。

 10月例会では,「第44章 シェリング」と「第45章 ヘーゲルへの移り行き」を扱いました。ここでは,シェリング哲学の変遷がかなり詳しく説かれたうえで,ヘーゲルがそのシェリングをどのように批判したのかが説かれています。

 本例会報告では,まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと,扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し,次に,参加者から提起された論点について,どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に,この例会を受けての参加者の感想を紹介したいと思います。

 今回はまず,報告担当者から提示されたレジュメを紹介することにしましょう。


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シュヴェーグラー『西洋哲学史』(第44章シェリング,第45章ヘーゲルへの移り行き)

時代背景
 ドイツはイギリスやフランスに比べて国家としての発展が大きく立ち後れていたために,諸領邦は互いの生き残りをかけて,イギリスやフランスの先進文化(啓蒙思想など)を学び,強固な国家体制を築き上げていく必要があった。
 しかし商工業の担い手であるブルジョアジーが成長していなかったドイツ(プロイセン)においては,イギリスなどのように革命によって(啓蒙思想が目指す)自由な社会を現実的に築き上げることはできなかった。そこで,ドイツでは「そもそも自由とはどういうことなのか」などの問題を理論的に考察していくこととなった。
 また18世紀後半から19世紀前半の間にイギリスでは産業革命が達成され,フランス・ドイツ・アメリカなどでも19世紀前半から産業革命が開始された。それに伴い自然科学上の発見が多数なされるようにもなった。


フィヒテからの継承と発展―自然哲学と先験哲学の区別
 シェリングの哲学は,まとまった体系ではなく,発展の歴史である。自己の原理に基づいて個々の学を体系的に仕上げるのではなく,いつもはじめからやり直し,いつも新しい基礎付け,新しい立場を試みている。
 シェリングはフィヒテを出発点とし,自然をあくまでも自我の本質から導きだそうとした。自然は,それを媒介として純粋な自己直観すなわち自己意識へ帰るために,精神自身が生み出した精神の似姿として出現する。われわれの精神のうちには自己を有機的に組織しようとする努力があるから,外界のうちにも有機化へ向かう一般的な傾向が現れずにはいない。全宇宙は一種の有機的組織であるという見地からすれば,自然の生命に統一をもたらすことこそ,自然哲学者の主要な努力でなければならないとシェリングは考えたのである。
 やがてシェリングは自然をまったく自律的なものとして理解するという大きな進歩をしている。シェリングは自然の客観性,独立な生命を認め,哲学の2つの側面として自然哲学と先験哲学とを明白に区別するにいたった。
 自然哲学の任務は,現象する世界の諸法則と諸形式とのうちに知性の世界を完全に表現すること,そしてまたこれらの諸法則と諸形式とを知性の世界から完全に把握すること,したがって,自然と観念の世界との同一性を表現することである。シェリングはその中身を「自然の最初の産物が有機的であることの証明」「無機的自然の諸条件の導出」「有機的自然と無機的自然との相互規定」という3つに区分した。
 一方,先験哲学の任務は,すべての知識をはじめから発生させ,できあがった真理と思われていたすべてのもの,あらゆる先入見を新しく吟味にかけることである。常識がもつ先入見に基づいて,理論哲学,実践哲学を定義づけ,両者の矛盾を解決するものとして自然の目的と芸術とに関する学を主張した。

<報告者コメント>
 シェリングが先験哲学と自然哲学を区別するに至ったのは,当時の自然科学の成果に着目したという点が大きく関わっているだろう。フィヒテとシェリングは13歳差でしかないが,その間に自然科学上の発見が多数なされたのではないか。1800年前後には,例えばクーロンやヴォルタなどが電気についての研究を行っているし,ベリマンによる無機物と有機物の区別も行われている。化学においてフロギストン説を否定したラヴォアジエは,最も重要な著作である『化学教科書』を1789年に出版している。シェリングが学的出発点にいる時期に自然科学の発展が様々に行われたことが,両者の哲学に大きな違いをもたらすことになったのではないか。


シェリング哲学の移り変わり
 自然哲学と先験哲学とを対立させたシェリングは,(その統一のために)観念的なものと実在的なもの,思考と存在との同一性を原理とした。すべての事物のうちで主観と客観は合一されており,その混合の割合がさまざまであるだけだと考えた。このような絶対的同一性を認識するための出発点としたのは知的直観であり,この知的直観を方法とするのが構成である。
 しかし,彼の哲学上の諸見解は構成的方法によっては適切に表現しきれなかった。こうして,シェリングは構成的方法を捨てて,その想像力のほしいままの歩みに身をゆだねるに至ったのである。絶対者は観念的なものと実在的なものとの無差別と規定されていたのが,観念的なものの方が重く見られ,観念性こそ絶対者の根本的規定とされた。無差別の立場においては,絶対者と宇宙とは同一であり,自然および歴史は絶対者の直接の顕示であったが,やがてシェリングは両者の区別,世界の孤立性を強調し,世界を絶対者からの分離,堕落によって生じたものとするようになった。この堕落を贖うこと,神の顕示を完成することが歴史の究極目的である。
 さらにシェリングはベーメに基づき,絶対者が自分自身を外化し,この外化から自己とのより高い統一へ帰るものと考えた。この発展は2つの段階をもっている。1つは光の誕生,すなわち自然が人間にいたるまで段階的に発展することであり,もう一つは精神の誕生,すなわち人間が歴史のうちで発展することである。
 ここまでのシェリングの学説は思考の歩みであったから,合理哲学と呼ぶのがふさわしいが,思考には実在を与える力はないから,合理哲学の到達点は理念としての神にすぎない。思考にはできないことを行うのは意志である。意志が要求する神は,万物の主であって,実際に生じた分裂に対抗することを欲する能動的な神である。現実的な神を求める要求が宗教であり,哲学は宗教をその対象とするようになることによって,これまでと全く別な性質を持つようになり,積極哲学になる。このように,シェリングは世界の内面的および外面的歴史の全過程を神の自己媒介として把握し,汎神論と有神論とを,自由であるとともに発展する神というより高い概念のうちで合一しようとしたのである。

<報告者コメント>
 『西洋哲学史』の中で,シェリングが「いつもはじめからやり直し」ているということを読んだとき,常に原点から説き直すということ(リセットの論理)を思い浮かべた。例えば,教育の問題を説く場合に,絶えず「教育とは何か」という一般論(原点)に戻って説くということである。したがって,シェリングは学問を構築する上で非常によいことをやっているのではないかとも思った。しかし,よくよく読んでみれば,シェリングは原点そのものが打ち立てられていなかったのだということがわかった。シェリングの「はじめからやり直す」とは,いわば「一からスタートする」というより「ゼロからスタートする」というものだったのだろう。
 原点(「一」)とはいわば自らの拠り所である。学問の出立時にここをしっかりと確立しておくことが必要になる。シェリングはそれをなさなかったからこそ,その過程で様々な問題にぶち当たったときに,先達の学説にすがっていくことになったのではないか。そのために自らのまとまった体系を築き上げることができなかったのではないか。
 こうしたシェリングの例から,我々は自らの専門分野における一般論をしっかりと把持し,常にそこに立ち戻りながら問題に切り込んでいくという作業を行わなければならないことを改めて思い起こしていくことが必要であろうと思う。
 なおシェリングの説の中に,人間のうちで特殊意志と普遍意志が合一されており,普遍意志と特殊意志とが分離しうることが善と悪の可能性であるという主張や,人類の歴史は我意と普遍意志との争いであるなどの把握がある。特殊意志や普遍意志などの概念はルソーに端を発するものであろうから,そこからカントを経て受け継がれてきているものなのだろうと感じた。


シェリング哲学からヘーゲル哲学へ
 シェリング哲学の根本欠陥は,絶対者を抽象的に客観的なものと理解したことであった。絶対者は無差別,同一性であった。このような無差別からは規定されたもの,実在的なものへと移っていくことは不可能である。また,このような無差別のうちでは,自然的なものに対する精神的なものの優位がなくなり,両者は同等のものとされた。
 このような一面性の反省からヘーゲル哲学は現れた。すべての実在に先行するものは,すべての個別的なものを含む普遍的なものであるという原理をかたくまもり,しかもこの普遍的なものは無差別ではなく発展であると考えた。同様に,ヘーゲルに依れば,絶対者はあくまでも観念的なもの(理念)であり,すべて現実的なものは理念の実現にほかならない。宇宙は実在的なものと観念的なものの平衡ではなく,理念が非現実的な抽象体でなくなるために自己を展開して多様な形態となった実在である。しかも理念はこれらの諸形態のうちで自分を見失うことなく,自分自身を思考する意識的な理念として自分の本質にかなった真のすがたをとって存在するために,思考する精神のうちでふたたび自己のうちへ帰ると考えた。

<報告者コメント>
 シェリング哲学では無差別の絶対者と実在的なものとが切り離されたものとして,二元論になっていた。これに対して,ヘーゲルは宇宙を理念が多様な形態となった実在として捉えた。つまり実在のうちに理念が含まれているというような把握であろうと思われる。これは古代ギリシャ哲学において,イデアと現実の個物を切り離して考えたプラトンに対して,現実の個物の中にイデアが含まれていると考えたアリストテレスという関係に対応するようなものだと言えるのではないか。


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 この報告レジュメに対しては,「フィヒテとシェリングが13歳差であり,その間に自然科学の大きな発見があったというが,それがフィヒテとシェリングの自然科学への関心の違いの大きな要因といえるのだろうか?」という疑問が出されました。確かにこの時期には,いくつかの自然科学上の発見がなされているものの,それよりは,両者の生活した場所や交わった人間の違いが,二人の関心の違いの要因としては大きいのではないか,という見解でした。ここについては,「シェリングがライプチヒに住んでいたことが自然科学に目を向けたことに関わる」(シュテーリヒ『世界の思想史』)という記述も紹介されましたが,詳しくは,今後の研究課題ということになりました。

 また,時代背景の書き方についても指摘がありました。それは,今回扱う範囲には,ほぼシェリングしか出てこないにもかかわらず,時代背景に書かれている内容が一般的すぎる,という指摘でした。もっとその人の生涯と絡めて書いた方がよいのではないか,ということです。たとえば,シェリングがフランス革命のときに,友人のヘルダーリンやヘーゲルとともに革命を祝ってお祭り騒ぎをしたというようなエピソードも紹介されました。

 このようなレジュメに対する指摘の後,具体的な論点についての討論を始めました。本稿では討論の内容を紹介する前に,今回扱った範囲の要約を,次回以降,4回にわたって掲載していきたいと思います。
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 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2