2014年11月02日

全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想(5/5)

(5)北條亮先生に負けない強烈な目的意識を!

 本稿は,北條亮『医学教育概論の実践―ある医学生の学び』(現代社)を読んで,我々自身の研鑽に活かしていくことを目的として,感想を認めてきた。ここで,現代社のホームページにある本書の紹介文を引用して本書の全体像を確認した後,今までの流れを振り返ってみたい。

 現代社のホームページでは,本書について以下のように述べられている。


医学教育概論の実践
 
―ある医学生の学び
 
北條亮著

本書は,季刊『綜合看護』(現代社)に連載された『次代を担う看護学生・医学生への医学概論教育講座』の中の「医学生の学び」の文章に,大きく加筆して,構成し直して,単行本化したものである。(この「医学生の学び」は小社刊『医学教育概論』にも収載)

現在,ある病院に医師として勤務する著者は,かつて漫然と毎日を過ごしていた20代に偶然,『なんごうつぐまさが説く看護学科・心理学科学生への“夢”講義』(南ク継正著・現代社)に出会う。この本に大きな影響を受けた著者は,一念発起して医師を目指すのだが,本書はその著者が大学の医学部で「本当に実力ある医師になる」という目標を掲げ,「どのように学べば優秀な医師になれるのか」を日々考えて行動した,その実践レポートである。そこには「医学概論」に導かれ,医学の学びと平行して弁証法を学び,それらを互いに昇華させながら理想とする医師像を目指す,どこまでも真摯な著者の姿がある。

誰も地図無しには目的地へ着けないように,しかるべく「医学概論」を医師への学びの地図として,それに即した学びを実践した記録である本書は,これから医師や看護師を目指す人たちに,その学び方の良き参考となる。

■第1版/2014年/四六判/192頁
■定価1,836円(本体1,700円) ■ISBN978-4-87474-162-7



 読んでいただいたとおりであるが,最後にある「誰も地図無しには目的地へ着けない」という指摘が興味深い。確かに,北條先生は『医学教育概論』や『看護学と医学』などを地図として,自らの足で目的地=実力ある見事な医師へと歩みを進めておられるプロセスが,本書には説かれているように思った。全てを実力ある見事な医師になるために! という目的意識に収斂させていく姿勢を把持されている天も非常に印象的であった。

 では,このような本書に学んで,どのような感想を持ったのか,どのような内容を我々の研鑽に活かしていけると考えたのか,これまでの流れを振り返ってみたい。

 はじめに,本書で説かれている小説の学びについて考察した。北條先生は,「弁証法の実力をつけるために重要なことの一つである「一般教養」を学ぶために,私は以下のような本を片っ端から乱読していきました」(p.6)として,アガサ・クリスティーや司馬遼太郎,それに江戸川乱歩賞受賞作品など,いくつかの小説を具体的に紹介されていた。これらを一般教養として学ばれたのはどういうことかというと,端的には,小説を通して社会や精神(認識)を具体的に学ばれたのではないか,ということであった。小説では,何らかの人間の心(認識)がテーマになっているものであるし,登場人物に二重化することによって,自分では直接に体験できないような認識に触れることもできる。また推理小説では,犯人の言動からその背後にある認識を読みとる経験もできると指摘しておいた。さらに,小説には様々な特殊な小社会が描かれていることがあるし,時代や国が違う社会も描かれている。こういったものを読んでいくことによってこそ,現代日本社会のリアルで具体的な像が描けるようになっていくのだと説いておいた。それだけではなく,小説を読み続けることによって,社会と認識の相互浸透,社会の影響の下で生成発展していく認識,ということが,具体的に学べるのではないか,とも指摘しておいた。このように,小説の学びにおいては,社会や精神(認識),あるいはそれらのつながりを具体的な像として描けるようになる,感情を伴って理解できる,という点がすぐれているのだと説いた。こういった小説の学びは,医師や看護師,あるいは筆者のような心理士にとっては,患者さんに適切に二重化して,適切に介入していくためには,特に大切である,ということにも触れた。

 次に,本書で説かれている上達論,とりわけ学ぶ順序について取り上げた。まず,本書の目次を参考にして,どのような順番で北條先生が学ばれていったのかを確認した。すると,一般教養→基礎医学→臨床医学→診断学という順になっていることが分かった。なぜこのような順番になっているのか。医師の専門性は,人間の病気の診断と治療にあった。したがって,あくまでも対象は人間の病気であるから,人間の病気についての学びである臨床医学を学べばいいと思われるかもしれないが,人間の病気というのは,人間の正常な生理構造が歪んだ結果であるからして,人間の病気を理解するためには,正常な生理構造を基礎医学として学んでおく必要があるのであった。さらに,人間の正常な生理構造は,自然や社会との相互浸透によって維持されているのであるから,自然や社会についても一般教養として理解しておかないと,人間の正常な生理構造も理解できないのであった。このため,先に示したような順に学んでいくことが必然化されるのであった。ここをもう少し抽象化,一般化してみると,常に全体から部分へと学んでいき,部分は全体の中に位置づけながら学んでいく必要がある,ということになるのであった。例えば人間の体について学ぶためには,人間の体は全体として一つであるから,まずは全体像をしっかりと押さえないといけない。その人間の体の全体を押さえるためには,看護学生や鍼灸師等が使う本の方が,薄くてコンパクトに大切なところ・エッセンスが説かれているのでよいのだということを確認した。このように全体から部分へ進んでいき,部分も全体にきちんと位置づけながら学んでいくということは,日本史の学びであれ,臨床心理学の学びであれ,同じことであった。南郷先生はこのようなコンパクトに全体を説いているような本を多数推薦されているし,南郷先生の弟子の先生方や薄井坦子先生の学術書も,見事に理論化されているだけに,コンパクトに全体が説かれているのだ,ということを見た。

 最後に,北條先生が学生時代に本書につながるようなレポートを毎日毎日書いておられたこと自体に焦点を当てて,感想を認めた。端的にいうと,北條先生は,レポートを書き続けることによって,自らの事実と科学的医学体系の論理との間を,何度も何度ものぼりおりされ,その結果,科学的医学体系の論理を再措定され,自らの事実も論理的に捉えられるような頭になっていかれたのだ,ということであった。ここでいう自らの事実には3種類のものがあった。1つは,『医学教育概論』や『看護学と医学』などでやりなさいと指示されたことは,愚直に実行されて,その結果創られた事実である。たとえば,学びのゴールである医師像を具体的に描く必要があるといわれれば,見学をさせてもらえそうな診療所を自ら探して,診察を見学させてもらうことによって,学びのゴールである医師像を具体的に描いていかれた。また,『暮らしの医学』を勧められれば,何とか入手してすぐさま読み込み,その学びの成果をレポートにまとめておられるのであった。自らの事実の2つ目は,ふだんの何気ない体験や日常生活での出来事などである。これらを実力ある意志になるための学びの材料として活用し,そこで気づいたことや学んだことなどをしっかりとレポートに認めておられるのであった。こういうことが可能なのも,レポートを書き続けることによって,自らの問題意識や目的意識が強烈になってきたがために,それらの事実が意味あるものとして飛び込んでくるようになったからであろう。自らの事実の3つ目は,大学の授業や教科書で学ぶ専門的知識である。これらに筋を通していくために,『看護の生理学』で説かれている内容とこれらの専門的な事実との間を何度も往復され,その思索のプロセスをしっかりとレポートとしてまとめておられたのであった。このような自らの事実と論理との往復運動は,単にアタマの中で考えているだけでは不可能なのであって,しっかりと,書くことは考えることであるを実践する=レポートに書いていくということが必須だということも確認した。

 このように見てくると,北條先生は,「実力ある見事な医師になるために!」という目的を達成するために,全てをここに収斂される形で学んでおられることがはっきりすると思う。すなわち,見事な医師になるためには,患者さんの認識と,それを作り出す患者さんを取り巻く社会をリアルに学んでいく必要があり,そのためにこそ,一般教養として小説を学ぶのだということであろうし,見事な医師になるためにこそ,しっかりした上達論を踏まえて,全体から部分へと学びを進めていく必要があるということであろうし,さらにまた,見事な医師になるためにこそ,日々事実と論理ののぼりおりをくり返して,レポートを執筆していく必要があるのだ,ということだと感じた。

 筆者自身も,現在師事している恩師に初めて合宿で指導いただいたとき,「自分の〜したい」という大志=大目的に全てをつなげていかないと,学んだことがただの雑学になってしまう,しっかりつなげることができれば,学んだ知識すべてが生きて活動をし始める,学んだことを使えるようになる,というような内容のことを説いていただいた。まさにこの点を本書でしっかりと再確認できたように思う。

 では,以上の感想を受けて,筆者は具体的に何をしていけばいいのであろうか。最後にこの点をまとめておきたい。前提として明確にしておく必要があるのは,筆者自身の大志=人生の大目的である。それは端的にいうと,世界全体を把握したところの自らの哲学を創りあげることである。そのための専門分野として,もっとも弁証法性豊かな認識論を設定し,認識論を実践的に学んでいくためにこそ,心理臨床の現場で仕事をしているのである。もちろん,自分自身の実践上の実力ということについても,歴史上の,そして現在活躍されている名セラピストと同じくらいの実力をつける必要があると思われるが,それ自体が筆者の目的ではない。あくまでも人間の認識の構造を追及して,そこから自分なりの哲学を構築することによって,認識に関するあらゆる問題を見事に解ききれる学者になることこそが,筆者の大目的なのである。このことを前提として押さえたうえで,具体的にやっていくことを確認しておきたい。

 まずは,北條先生が挙げておられるような小説,そして南郷継正先生が推薦されているような小説を,とにかくたくさん読んできたい。これは本来,学生の間にやるべきことであったのだと思うし,我々も学生の間に,南郷先生の教えにしたがって,それなりに小説を読んできた。しかし,2日に1冊のペースで読んでこられたという北條先生にはとうてい及ばない。そこで,遅ればせながらでも,しっかりと小説の学びを実践していきたいと思うのである。現在,京都弁証法認識論研究会では,毎月一冊のペースで,夏目漱石の小説を読み進めて,定期的に認識論の観点から感想を交流し,討論している。これに加えて,毎月,もう一冊は小説を読んでいくことにしたい。

 全体から部分へという学び方については,やはり世界全体(に近い内容)を学べるようなすぐれた書物を,継続的に読んでいきたいと思う。例えば,一人の著者が世界の歴史の全体を描いたような本とか,中学・高校レベルの理科の内容を説いたブルーバックスとか,美術の歴史,戦争の歴史など,あるテーマについての通史をコンパクトに説いた本とか,心理学関係の新書とかである。このような広い観点をしっかりと押さえて,部分を学んだり研究したりする時には,必ずこの全体像に位置づけながら行っていきたい。

 最後に,レポートを執筆することについてである。現在は,本ブログ用の小論の執筆が中心となっているが,他にも,毎月,学んだ内容を振り返るレポートを書き,コーチングや合宿のたびに,その内容をまとめて感想を付けたレポートを書き,子育てを振り返って育児日誌を書いている。まずはこれらを着実に継続して,その量・質を向上させていきたい。また,筆者は仕事で日々患者さんに対してカウンセリング(心理療法)を実施しているのであるから,そのなかで生じた疑問や気づきなどを,少しずつでもいいので,定期的にレポート化していく必要もあると考えている。

 これらすべてを,しっかり自分の大使=大目的に位置づけながら,「北條先生に負けないように!」という強烈な意識のもと,何とか負けじ魂を創っていくべく,実践していきたいと思っている。もともと鈍才的で,学者としての素質は我々よりも数段上であったはずの北條先生ですら,強烈な目的意識のもと,このようなすさまじいまでの研鑽をされて見事なる「変身」を遂げられたのである。我々のようにもともと秀才と呼ばれても仕方がないような学者に不向きな人間は,より以上の目的意識の把持とそれに基づいた努力と研鑽が求められよう。怠けそうになった時には,北條先生の姿(といっても,お目にかかったことはないが)を思い出して,怠け心を一掃していきたいと思う。続きの巻の刊行を期待して,本稿を終えたい。


(了)
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作・論文の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック

<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言