2014年10月30日

全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想(2/5)

(2)社会と認識を学ぶために小説を読む

 本稿は,北條亮『医学教育概論の実践―ある医学生の学び』(現代社)の感想を認めて,北條先生の学びを我々の研鑽に活かしていくことを目的とするものである。

 今回は,小説の学びというテーマで説いていきたい。

 まず,本書の「まえがき」では,「弁証法の実力をつけるために重要なことの一つである「一般教養」を学ぶために,私は以下のような本を片っ端から乱読していきました」(p.6)として,いくつかの小説が具体的に紹介されている。それを以下にまとめておきたい。

・アガサ・クリスティー
 『そして誰もいなくなった』,『茶色の服の男』(早川書房)
・エラリー・クイーン
 『Xの悲劇』,『ローマ帽子の謎』(創元推理文庫)
 ※これらの日本語訳は,井上勇や鮎川信夫,桑原千恵子などの現代の新訳ではない訳

・司馬遼太郎
 『北斗の人』(角川文庫),『国盗り物語』(新潮文庫)
・吉川英治
 『宮本武蔵』,『三国志』(新潮文庫)

・江戸川乱歩賞受賞作品
 森村誠一『高層の死角』(祥伝社文庫),真保裕一『連鎖』(講談社),高野和明『13階段』(講談社)
・横溝正史賞受賞作品
 斎藤澪『この子の七つのお祝いに』(角川文庫),小笠原慧『DZ(ディーズィー)』(角川書店)


 これらは,「弁証法の実力をつけるために重要なことの一つである「一般教養」を学ぶために」読んだとある。一般教養を学ぶためにこれらの小説を読むというのはどういうことであろうか。

 そもそも一般教養とは,世界全体=自然・社会・精神の全体像をアバウトながら一体のものとして学ぶということであろう。いかなる専門であれ,その専門領域は世界の一部分なのであるから,その一部分を理解するためには,世界全体をアバウトにでも知っておく必要がある。そうでないと,「群盲,像を撫でる」のようにその一部分ですら正確に把握しえないということになってしまう。ここに一般教養を学ぶ必要性がある。

 では,この一般教養の学びとして上記の小説を読むというのはいかなることであろうか。それは端的にいうと,小説で描かれている世界を通して,特に社会と精神(認識)を具体的に学ぶ,ということではないだろうか。これはどういうことであろうか。精神(認識)の方から見ていきたい。

 小説は大抵,何らかの人間の心(認識)がテーマになっているものである。それを読むことによって,登場人物に二重化し,登場人物の体験を追体験できる。自分が実際に体験できないようなことでも,小説であれば簡単に追体験できるのである。こうして読者は,自分の経験の限界を突破して,自分の経験だけでは触れることができなかったような,人間の心(認識)にも触れることが可能となっていくのである。

 もう少し,小説を読むことの構造に分け入って説いてみたい。

 北條先生は,アガサ・クリスティーとエラリー・クイーンの小説を紹介した後,次のように説かれている。

「これらを2日に1冊のペースで読み進め,この時学んだことは,これらの本の内容から,「人の行動」と「その時の認識」との関連について知り,現象として見える人の行動から,その行動を起こすに至った認識を読み取ることを学び,また人間の認識は本当に十人十色で,それもまたさまざまに変化していくものであることを学びました。」(pp.6-7)


 アガサ・クリスティーやエラリー・クイーンの推理小説では,探偵が犯人の行動=表現からその認識を読み取って事件を解決していくことが多いといえそうである。だから,探偵に二重化することによって,現象として見える犯人の行動から,その行動を起こすに至った認識を読み取るという経験を,くり返しくり返し追体験できるのだと思う。また,探偵や犯人を含めて,登場人物の認識は,本当にさまざまであるし,それらの認識も,場面を追うごとに変化していく。このように,描かれた世界で認識の弁証法性をも,具体的に学んでいけるのだと思う。特にこのような推理小説では,犯人が殺人を犯すという,ある意味,認識の究極の量質転化が起こる場面が描かれているのである。殺人の動機も,それなりに「なるほど」と読者が思えなければならない。このようなことがあれば,確かに人を殺したいという認識にもなるし,実際殺すこともありうるだろう,というように,認識の変化とその根拠が,具体的に描かれており,それを通して人間の認識の変化・発展を学べるという点も,このような小説で学べる大きなポイントだと思う(念のために説いておくと,これはあくまで小説を通した人間の心の学びのことに限定していっているのであって,殺人の動機がなるほどと思えれば,殺人を犯してもかまわない,などと言っているのではない。殺人が社会的に容認されないのは当然である)。

 では,小説を通して社会を学ぶというのはどういうことであろうか。それは,たとえば,森村誠一『高層の死角』ではホテル業界が,高野和明『13階段』では刑務所が描かれている。また,小笠原慧『DZ(ディーズィー)』では,重度障害児施設が描かれている。このような特殊な小社会は,その領域で仕事をしているか,あるいはその領域で働いている知人がいるかでない限り,直接は知ることが困難である。さらに,現代日本という社会は,このような特殊な小社会の複合体として成立しているものである。したがって,現代日本社会を一般教養的に学ぼうとするならば,もちろん,中学や高校の社会の教科書を勉強することも必要であるが,それだけではなく,このような小説を通して,さまざまな小社会の中に観念的に入り込み,その社会を体験して学ぶ必要があろう。

 歴史小説を読めば,そもそも現代社会とは全く違った社会的認識のもとに人々が生活していたのだということが分かってくると思う。現代社会では当たり前とされていることも,当時はまったく当り前ではなく,そのような発想すらないということもあろうし,逆に,当時は当たり前であったことが,現代社会では通用しない観念になっている,ということもあろう。海外の小説を読めば,外国における社会的認識と,それに基づいた生活のあり方の特殊性が見えてくることもあると思う。このように,時代や国の比較において,現代日本社会を相対化することによって,その分,現代日本社会の特徴がリアルに見えてくる,ということも小説で社会を学ぶ際の重要な点だと考えられる。

 さらにいうと,小説を読み続ければ,社会とそこで生活している人間の認識とのつながりも,それとなく勉強できるような気がする。なるほど,こういう社会で生活しているからこそ,このような認識になるのだな,ということが,アバウトではあっても,把握できるようになっていくのが,小説の学びのよいところでもあり,目指すべきところでもあると思う。例えば,社会のあり方が時代とともに変化していくにつれて,認識の一つのあり方としての恋愛の形も変わってくるであろうし,精神疾患の症状の表現型も変わってくると思う。認識は,自然的外界と社会的外界との相互浸透によって変化・発展していく,というような一般的な知識はあっても,それが具体的にどういうことなのかは,小説の学びを欠いては,その理解が薄っぺらになってしまうであろう。

 以上要するに,単に知識としてではなく,感情を伴って社会や認識,さらにそれらの相互浸透を具体的に学べる点が,小説を通した学びの優れた点であると考えられる。社会や認識を感情を伴って具体的に学べる,感情像として社会や認識について描けるようになる,という点が,一般教養としての小説の学びの大事性だと思った。

 病院で働く医師や看護師の場合,さらに筆者のような心理士の場合は,小説を通して,単に一般教養として社会や認識を学ぶというだけではない。実際の仕事においても,小説を通して具体的な社会や認識,それらのつながりを学んでおくことは必須ともいえる。それは,医師や看護師,それに心理士は,さまざまな小社会で生活してきた患者さんと向き合い,その患者さんの認識に二重化することが求められるからである。その際,自分が実際に体験してきた狭い領域の小社会のことしか知らなければ,どうしても観念的二重化が自分の自分化レベルにとどまってしまうと思う。これでは,適切に相手の認識を読み取って,相手の認識にうまく働きかけるような介入は不可能となってしまう。

 第一部第四章で看護師長が北條先生の祖父と会話をして,祖父が一番気にしていたことを聞き出すことができたこと,第三部第八章で北條先生がいとこのTに糖尿病の恐ろしさを生々しく描かせることに成功したこと,これらは社会と認識のつながりを具体的に学んでこられた成果であろうと思う。

 北條先生が具体的に書名を挙げられている小説も,その多くは読んだことがない。さらに江戸川乱歩賞受賞作品や横溝正史賞受賞作品なども,非常に数多く存在しいている。北條先生の学生時代のように,2日に1冊のペースは無理にしても,できれば1週間に1冊,最低でも1か月に2冊くらいの小説は読んでいきたい。そして,社会や精神(人間の心)についての像を豊かにしていきたいと思っている。
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 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言