2014年10月24日

アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか(1/5)

目次

(1)スミスはどのような観点から言語について論じたのか
(2)スミスは言語表現と認識および社会的外界との繋がりに着目した
(3)スミスは言語表現の発展史を社会的認識・社会的労働の発展史と重ねて把握しようとした
(4)スミスは読み手の心を動かす要因として共感を強調した
(5)スミスは言語を社会との相互浸透において把握した

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)スミスはどのような観点から言語について論じたのか

 我々京都弁証法認識論研究会はこの間、アダム・スミスの遺稿集『哲学論文集』に収録されている「天文学史」および「外部感覚論」を検討することを通じて、学問史上のアダム・スミスを単なる「古典派経済学の祖」というレベルで片付けてしまってはならないこと、あくまでも、イギリス経験論の伝統を受け継ぎつつその限界を突破することに挑戦した偉大な哲学者として評価しなければならないことを、明らかにしてきました。

 スミスが生前に出版することができた著作はわずか2冊、『道徳感情論』と『国富論』だけですが、この2冊だけから、スミスは倫理学を土台に経済学という領域を確立したのだ、といった具合に総括してしまうわけにはいきません。スミスは、最終的に完成させることはできなかったものの、壮大な学問的構想を抱いていたのであり、そうした学問的構想の存在を念頭におかなければ、『道徳感情論』や『国富論』の真意を掴み損ねてしまうことにもなりかねないのです。その極端な例が、スミスを「市場原理主義」の元祖としてしまうような通俗的な見方にほかなりません。

 それでは、未完に終わったスミスの学問的構想の全体像を推測するには、どうすればよいのでしょうか。そのための手がかりとして、まずは遺稿集『哲学論文集』が挙げられるのですが、それに加えて重要なものとして、グラスゴウ大学におけるスミスの講義を受講した学生のノートがあります。こうした学生のノートにもとづいて編集・出版されたものとして、大きく2つ、『法学講義』と『文学・修辞学講義』があります。このうち、後者について検討することが本稿の目的です。

 スミスは、1751年にグラスゴウ大学の論理学教授に就任すると、従来のスコラ的な論理学(カトリックの絶対的権威が失われていくなかで、煩瑣で無用な議論をするものだと受け止められるようになっていました)ではなく、もっと面白くて有益な学びを学生に提供しようという意図のもと、古代ギリシャの論理学をごく簡単に解説した後はもっぱら修辞学や文学の問題を中心に論じたといわれています。こうした講義は、1752年にスミスが道徳哲学教授に転じた後も、1763年に大学を辞するまで継続されました。このうち、1762年から1763年にかけての講義(すなわち最後の講義)を受講した学生のノートにもとづいて出版されたものが、『修辞学・文学講義』(原題:Lectures on Rhetoric and Belles Lettres)です。

 その内容についての説明に入る前に、タイトルに出てくる修辞学(Rhetoric)および文学(Belles Lettres)について、簡単に説明しておく必要があるでしょう。

 修辞学(レトリック)とは、端的には「複雑な文章をどのように効果的に表現すべきかを論ずる」(三浦つとむ『認識と言語の理論(第二部)』、p.527)ものだということができます。通常は、文章を華麗に飾り立てるための技巧としてイメージされがちですが、もともとは弁論において聞き手を効果的に説得するための術(弁論術)のことであり、その起源は古代ギリシャにまで遡ります。アリストテレスには『弁論術』として知られた著作がありますが、これはもともとのギリシャ語では「レトーリケー」なのです。

 これに対して、ベル・レトル(Belles Lettres)はあまり馴染みのない言葉ですが、通常は「文学」あるいは「純文学」と訳されます。belle というのはもともと「美しい(女性)」を意味するフランス語であり、言語表現の美しさを問題にするものであるといえるでしょう。三浦つとむさんによる「実用的な表現」「観賞用の表現」という区分を踏まえれば、修辞学が言語表現による説得という実用的な側面を扱うものであるのに対して、ベル・レトルは観賞の対象となる言語表現を指すものだ、ということができるかもしれません(もちろん、両者は相互に浸透しあっているものであり、厳密に境界線を引けるようなものではありません)。

 ところで「スミスが担当したのはそもそも論理学の講義だったはずなのに、なぜ『修辞学』と『文学』が講じられたのか?」という疑問が生じるかもしれません。これは端的には、論理学と修辞学が密接に繋がるものとして捉えられてきた伝統があったからだといえます。どういうことかといえば、論理学は真理を如何に把握するかを問題にするものであり、修辞学は把握された真理を如何に提示する(他者に効果的に伝える)かを問題にするものであった、というわけです。

 さらに、文学(文体)ということに関していえば、18世紀のスコットランドにおいて、文学への関心や文章表現の改善への意欲が非常に高まっていたという事情を指摘することができます。スコットランドはもともとイングランドとは別の国だったのですが、1707年、スコットランド議会がイングランドとの合同条約を批准したことにより、イングランドと合同してひとつの国家を形成することになりました(つい先日、スコットランド独立の是非を問う住民投票が行われて、世界的に大きな注目を集めました)。当時のスコットランドは、イングランドと比べるとかなり経済の発展が遅れていましたし、国内的にみても、豊かな平地(南部)と貧しい高地(北部)という地域間格差を抱えていました。しかし、イングランドとの合邦で植民地アメリカとの貿易を含むイングランド市場に全面的に参加する道が拓かれたことにより、スコットランドは急速に経済的な発展を遂げていくことになったのです。こうした前向きで明るい時代的雰囲気のなかで、スコットランドの市民たちは、教養の必要性を感じて文学への関心を高めていくとともに、英語によるコミュニケーションを改善していく(イングランド語を習得してスコットランド方言を矯正していく)ことに強い意欲を持つようになったのでした。

 こうした時代背景のもとに行われた『修辞学・文学講義』ですが、これはスミス自身が書いた文章ではなく、あくまでも学生の筆記にもとづくものであることに注意しなければなりません。全30回の講義のうち第1講がどういうわけかすっぽりと欠落していますし、空白(聞き取れなかった部分を空けたままにしておいたのでしょう)も多く、明らかな書き誤りも少なからずあるようです。そういう不完全なノートにもとづくものですから、あまり細かい部分にとらわれないようにして、スミスの論じたかったであろう内容をあくまでも大きな流れからざっくりと掴む、といった読み方が必要になると思われます。

 この講義ノートは、30回の講義を順番に記録していったものであり、立体的な目次立てがあるわけではありませんが、その内容に即して『修辞学・文学講義』全体の構成を図式的に示すならば、以下のようになります。

1、言語・文体・性格について
 (1)言語の発展と起源について(2-3講)
 (2)言語と文体について(4-6講)
 (3)文体と性格について(7-11講)
2、論説の諸形態について
 (1)事実を述べる論説について
  ・対象(事実)を記述する方法について(12-15講)
  ・歴史の記述について(16-20講)
   *叙事詩と演劇について(21講)
 (2)命題を立証する論説(弁論)について
  ・演示型弁論について(22-23講)
   *訓話型論説(科学的論説)について(24講)
  ・討議型弁論について(25-27講)
  ・法廷弁論について(28-30講)


 スミスは、明晰な文体とはどういうものかを論じるにあたって、多数言語の複合体である英語の欠陥(外来語が多く、もとの言語を熟知していなければ理解しがたい単語が多い)について、言語一般の起源と発展を踏まえて論じます。その上で、こうした欠陥の矯正のための一手段として言葉の適正な配列に心を砕くべきことを強調し、文体についての議論に入っていくわけです。そのなかでは、文体が作者の性格(個性)の表現にほかならないことも論じられていくことになります。

 続いてスミスは、論説の諸形態について、事実を述べる論説と命題を立証する論説(弁論)の大きく2つに分けて論じていきます。

 まず、事実を述べる論説についてですが、ここでは、記述の対象となる事実が、外的か内的か(精神の外側か内側か)、単純か複雑か、という2つの軸によって、大きく4つ――単純で外的な事実(外的諸物体)、単純で内的な事実(人間の感情)、複雑で外的な事実(人間の行動)、複雑で内的な事実(人間の性格)に分けられます。その上で、事実を記述する方法として直接法(ある対象の性質を直接に記述する方法)と間接法(ある対象の性質を、それを見る人の心に生み出される効果を媒介として、記述する方法)の2つが挙げられ、先に4つに区分された事実のそれぞれについて、直接法と間接法のどちらが適しているかが検討されていくのです。さらに、4つの事実の複合体としての歴史を如何に記述すべきかという問題が論じられます。ちなみに、歴史叙述の企図についてスミスは、「諸々の国民に生起した注目すべき事件と、その時代の最重要人物たちの企図、動機、見解とを、その歴史叙述が語ろうと意図している諸国家の重大な変化と革命の説明に必要な限りにおいて、述べることである」としています。なお、補足的に叙事詩と演劇についても論じられています。

 命題を立証する論説(弁論)については、アリストテレス以来の伝統に則って、演示型弁論(ある人物を賞賛することを目的とした弁論)、討議型弁論(国家の重要問題に関して議会でなされた弁論)、法廷弁論の3つに分けて論じられています。なお、討議型弁論についての考察への導入として、訓話型論説(didactic discourse)が取り上げられ、このなかで自然哲学の論文におけるアリストテレス的な方法とニュートン的な方法との比較がなされています。

 本稿では、こうしたスミスの講義の認識論的な、あるいは言語論的な意義について明瞭に浮き彫りにするために、その内容を大きく以下の3つの観点から整理して、紹介していくことにします(講義の流れを順番に追って解説していくよりも、これら3点に整理した方が、スミスの講義のエッセンスがよく伝わるものと判断しました。このことは、本稿を通して読んでいただければ、納得していただけることでしょう)。

 第一は、スミスが、言語表現と認識、さらには認識を規定する身体のあり方や対象となる社会的外界との繋がりについて強調していたことです。

 第二は、スミスが、言語表現の歴史的な発展過程を社会的認識・社会的労働の歴史的な発展過程と繋げて理解しようという発想を持っていたことです。

 第三は、スミスが、言語表現が読み手の心を動かす要因として「共感(sympathy)」の重要性を強調していたことです。

 次回以降、以上のような点に着目してスミスの講義について検討を行うことで、その認識論的な、あるいは言語論的な意義について明らかにしていくことにしましょう。
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 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史