2014年10月19日

ルソーとカントの道徳教育思想を概観する(1/5)

○目次
(1)ルソーとカントの道徳教育思想の意義とは何か
(2)ルソーは自らの良心こそ善悪の基準だと主張した
(3)カントは自らの理性が把握した道徳法則こそが絶対的な基準だと主張した
(4)ルソーとカントの共通点と相違点
(5)目的・対象・方法という3つの観点での発展があった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)ルソーとカントの道徳教育思想の意義とは何か

 これまで道徳教育の観点から古代・中世の教育と教育思想を眺めてきました。本稿はその続編として、ルソーとカントの道徳教育思想を取り上げたいと思います。

 人間はサルから進化する過程で、本能による統括が次第に薄れていくことになりました。それまでの生命体にとって本能とは、いわば生きていくためのプログラムでした。生命体は本能があるからこそ、成長していく過程で生存に必要な能力を獲得したり、またリーダーの指示に従って集団生活を営んだりすることができていたのです。この本能が薄れていくことにより、必要な能力を身につけたり集団生活を営んだりすることができない者が現れてきました。これを放っておいたのでは、何らかの危機に直面した際、集団として適切な行動がとれずに滅んでしまうことにもなりかねません。

 そこで、社会の維持のために、集団のメンバーに必要な能力を身につけさせたり、ルールを教えたりしなければならないという問題意識が芽生えてくることになりました。こうして教育が行われるようになったのです。つまり教育とは、社会の維持・発展のために、社会生活に必要な実力を個人に身につけさせることだと言えるでしょう。

 この中でも社会の維持に直接的に関わってくるのがルール(社会的認識)を身につけさせることです。人類は本能が薄れる中で、本能の統括に従わないいわば自分勝手な認識(個人的認識)を形成するようになりました。しかし、個々人が自分勝手な認識に従って行動していたら、社会は滅んでしまいます。そこで、社会の維持を可能とするために、メンバー全員が遵守すべき規範(社会的認識)が定められるようになりました。この社会的認識が個人的認識を支配するという構造を維持すること、これこそ社会の根本的な課題にほかなりません。

 この構造は、当初、社会の中のリーダーの意志を他のメンバーがそのまま受け入れて従うという形で維持されていました。しかし、他のメンバーの実力が向上してくると、リーダーの意志に素直に従わない認識が芽生えてくることになります。つまり、その正当性を問う認識が生まれてくるのです。

 そこで、人々が納得するように善悪の基準を指し示し、自らその基準に従って生きていくように育てること、これによって社会的認識が個人的認識を支配する構造を維持することが求められるようになります。この役割を担うものこそ道徳教育にほかなりません。つまり、道徳教育とは、社会の維持・発展のために、社会における善悪の基準を個人に身につけさせ、個人の思いや言動をそれに従わせていけるようにすることだと言えるでしょう。

 道徳教育が最初に大きな問題として浮上してきたのは古代ギリシャです。ポリス社会において人々は慣習に素直に従って生きていました。しかし、ポリス社会の衰退に伴って慣習が崩れていくと、個々人はいかに生きるべきか、何に従って生きていくべきかが問題となったのです。

 その中で、個々人は自らの主観に基づいて生きていくべきだと主張したのがソフィストたちです。これに対して、どう生きるのがよいのか(あるいは悪いのか)に関する何らかの基準があるはずだという問題提起を行ったのがソクラテスであり、この問題提起を受けてプラトンがイデア論を唱えて、人間を越えた存在にその基準を求めることとなりました。さらにアリストテレスはそのような基準(真理)をつかむための教育的な働きかけを教示と呼び、それに従えるようにするために習慣が必要だと主張しました。古代ギリシャでは、人々が納得する善悪の基準が求められるようになったのだと言えるでしょう。

 善悪の基準が明確に打ち出されるようになったのは、ローマ帝国末期から中世にかけてです。外敵の侵入に伴い社会が大きく混乱している状況の中で、社会の秩序を維持するためには、皇帝の意志を越える絶対的な存在を基準として持ち出す必要がありました。そこで利用されたのがキリスト教です。つまり、皇帝の意志は神によって裏付けられたものであり、これに従うことによって、神による救済がなされるのだと説いたのです。現実世界の混乱に苦しんでいた人々にとって、神の救済を説くキリスト教は福音でした。こうしてキリスト教の教えこそが、善悪の普遍的な基準として考えられるようになりました。

 教会によりキリスト教が広められていくと、徐々に教会は現実的な支配者としての権力を持つようになりました。そこでは、教会こそが神の教えの担い手であり、人々は教会を通して神の教えを学んでいました。教会の説く言葉を神の言葉として捉えたのです。つまり教会の言うことこそが善悪の基準だとされていたのです。

 しかし、商工業が発展し商人や商人と手を結んだ国王が力を持つようになると、教会の権威は相対的に低下していくことになりました。こうした中でルターは、教会を媒介とするのではなく、個々人が神の教えを学んで自らの生き方の基準にすべきだと主張しました。つまり聖書こそが善悪の基準であり、聖書に照らして自己の生き方を考えていくべきだとしたのです。そこでルターは、教育の中ですべての人々を対象とした聖書の学びが必要だと主張しました。

 しかし近代においてキリスト教そのものの権威が低下してくると、聖書を善悪の基準とする考え方は力を失っていきます。では、近代においては何が善悪の基準だと考えられるようになったのでしょうか。

 この点を明らかにするべく、本稿では近代教育史において重要な位置にいるルソー、カントに焦点を当てて、それぞれの道徳教育思想を概観していきたいと思います。その中で、両者の道徳教育思想がどのような意義をもったのかもを明らかにしていきたいと思います。
posted by kyoto.dialectic at 08:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
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 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
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 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
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 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
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 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
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 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史