2014年10月09日

2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章要約@
(3)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章要約A
(4)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章要約B
(5)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:ドイツ観念論を哲学史にどのように位置づけるか
(8)論点2:フィヒテ哲学はカント哲学をどのように発展させたのか
(9)論点3:ヘルバルトの哲学をどのように捉えるか
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 本年、わが京都弁証法認識論研究会は、ヘーゲル『歴史哲学』とセットで理解すべきヘーゲル『哲学史』を理解するための準備段階として、南郷継正先生も著書で推薦されているシュヴェーグラー『西洋哲学史』(岩波文庫)を一年かけて読破し、その内容を主体的に掴み取ることを例会の目標として掲げています。

 9月例会では、「第41章 ヤコービ」「第42章 フィヒテ」「第43章 ヘルバルト」を扱いました。ここでは、各章のタイトルとなっている3人について、それぞれカント哲学から如何なる影響を受けているのか、論じられています。端的には、カント哲学への批判者としてのヤコービ、カント哲学を自我一元論として発展させたフィヒテ、カントと同様に批判主義の立場に立ちつつ全く異なる結論に至ったヘルバルト、ということになります。

 今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱ったテキストの要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41章〜43章

【時代背景:18世紀後半から19世紀初頭のドイツ】
ヤコービ(1743〜1807)
フィヒテ(1762〜1814)
ヘルバルト(1776〜1841)

 17世紀の三十年戦争後,ドイツでは分裂状態が顕著で,統一国家は実現されていなかった。そのような中,ドイツの東北部にあって戦争の被害が比較的少なかったプロイセンが急速に台頭し始め,名目的には皇帝の下に立つ諸侯の一つでありながら,事実上一つの独立の強国として,他のヨーロッパ諸国と肩を並べる地位に立つにいたった。
 プロイセンは18世紀の後半に至り,フリードリヒ2世(大王)(在位1762〜1796)の力によって一層の飛躍を示した。彼はヴォルテールを招き,啓蒙専制君主として上からの近代化を推進した。また,侵略主義を強行して国力の伸長に努め,オーストリア継承戦争と七年戦争によって,オーストリアからシュレジエンを獲得した。こうしてフリードリヒの名声は一躍ヨーロッパに広まり,プロイセンはヨーロッパ一流の強国にのし上がったのである。
 それでもドイツ全体として見れば,産業革命の進行は停滞していた。また,19世初頭にナポレオンとの戦争に敗れ,領地の半分を失った上に多額の賠償金を背負い,陸軍の大幅削減とフランス軍の駐留をも強いられた。ドイツはまさに国家的危機にあったのである。
 このようなドイツも,中世以来大学の数も多く,学問的伝統に関してはヨーロッパの一流に位置していた。それゆえ,数多くの知識階級が存在し,西ヨーロッパに比べて遜色ない学者を輩出した。しかし,一般の市民階級や農民の間では文化の発達が低く,知識階級と一般大衆との間にはかなり大きなギャップがあった。そのため,ドイツの思想はとかく抽象的,観念的で,一つの問題を徹底的に掘り下げる力には秀でていたが,実際の問題を合理的に処理するという能力には欠けていたといわれている。

【1】ヤコービは批判主義の立場に反定立として信仰哲学の立場を対立させた
 ヤコービの哲学的思索の消極的な出発点となったのはスピノザである。彼はスピノザ主義は宿命論であり,無神論であるといっている。しかしこのような宿命論や無神論は,厳密な論証をこととするあらゆる哲学的思考の必然的な帰結にすぎない,とヤコービは主張する。彼は,もしこれに陥るまいと思えば,われわれは論証の限界を認め,人間のあらゆる認識のエレメントが信仰であることを承認しなければならないというのである。
 彼はこのようにして媒介された知識=間接知を反駁し,直接知の原理を述べる。彼によると,哲学は客観的で純粋な感情から出発し,この感情の権威を最高の権威とするものである。感情の能力こそ人間のうちにおける最高の能力であり,人間を動物から種的に区別する唯一のものであり,理性は感情能力からのみ現われ出るというのである。
 ヤコービは,カントの感性的認識に関する説に同意しない。彼は経験論の立場を弁護し,感覚の真実性を主張して空間と時間の先天性を否定している。他方,ヤコービは,カントの悟性批判には根本において同意している。両者とも,悟性が超感性的なものを認識するには不十分であり,最高の理念は信仰においてのみとらえられることを主張しているからである。しかしヤコービは,カントが理論理性に客観的認識の能力がまったくないとしているのに完全に同意しているわけではない。彼はカントが,人間の理性はその諸理念を理論的には証明する力がないことを歎いているのを非難している。
 以上のようなヤコービの哲学的立場を批判的に振り返ってみると,悟性と感情とを抽象的に分離していることがその特徴であるということができる。

◆報告者コメント
 ヤコービは、人間の理性の力を強調する啓蒙思想に対して、人間の感性や信仰を重視したのではないだろうか。当時、神の存在を否定することは許されないような社会的認識が存在しており、哲学の発展が神の否定につながることを悟ったヤコービは、カント哲学も含めた従来の哲学の成果はそれなりに受け入れながらも、その前提自体を否定して、信仰を根底に据えた哲学的立場を打ち立てたといえるのではないか。


【2】フィヒテは実践理性の優位を強調してカントの二元論を取り除いた
 フィヒテの徹底した主観的観念論は,カントの立場の帰結にほかならない。自我のみがあり,外物による自我の制限と考えられているものは,むしろ自我そのものの自己制限である,というのがフィヒテ観念論の根本テーマである。
 フィヒテは知識学全体の3つの原則を定立−反定立−総合という方法によって示している。それらは,「自我は自我のうちで可分的な自我に可分的な非我を反定立する」という定式のうちに総括されうる。
 理論的知識学の根本的ジンテーゼは,自我は自己を非我によって規定されたものとして定立する,という命題である。ここには,自我は能動的であるとともに受動的でなければならぬという矛盾がある。これは,「自我は部分的に規定し,部分的に規定される」という命題において解決される。ここからフィヒテは,カントの関係のカテゴリーに属する相互規定,因果性,実体性のカテゴリーを導き出す。そして,実体はあらゆる変化の総括であり,偶有は変化する他のものとともに変化する特定のものである,本源的に存在する実体はただ一つ自我だけであって,この唯一の実体のうちに一切の可能な偶有性,したがって一切の可能な実在が定立されていると説くのである。こうして,カントがまだ存立させていた客観性を,フィヒテは取り除いてしまった。しかし自我は非我を,したがってやはり一種の客体を前提している。フィヒテによれば,自我の活動に対して,一つの反定立された障害が起こり,これが自我の活動を曲げてそれ自身のうちへ反射させる。我々が対象と名付けているものは,自我の活動がある不可解な障害に出会って起こる様々な屈折にほかならないというのである。
 このように理論的自我は非我に依存していたが,絶対的自我はけっして受動的であることはできず,絶対的活動でなければならない。したがって,障害がそれに由来する未知の非我は自我によって規定される,としなければならない。自我は,理論的自我として非我のうちで自己に対立させていた制限を,実践的自我として再び廃棄し,非我を再び自己のうちへ吸収することに努めねばならない(自我の自己制限として捉えることに努めなければならない)。
 フィヒテはその知識学において述べた諸原則をただちに法律論と道徳論とへ適用している。彼の法律論は,根本権利,強制の権利,国法という三部門に分かれるが,結局,一方の側には理性的国家があり,他方の側には現実の国家がある,と述べている。現実の国家を理性的国家へ接近させる目的をもつ学が政治学であるという。
 知識学の絶対的自我は,法律論において無数の法的人格に分かれたが,これを再び統一するのが道徳論の課題である。彼は倫理的行為の本質を次のように規定している。すなわち,あらゆる行動は,行為の一系列を形成し,この系列の継続において自我は絶対的独立へ接近しなければならない。この系列中にある行為を常になしつつあることが我々の倫理的本分である。我々は,あることが自分の本分または義務であることをはっきり意識してのみ行為すべきであり,ひたすら義務のために義務を遂行しなければならないというのである。
 フィヒテはその宗教論において,世界の道徳的秩序こそ,我々の想定する神的なものであると説いている。特別な実体としての神という概念は不可能であり矛盾しているとした。

◆報告者コメント
 フィヒテは、「自我と物自体とが同一の思考的な実体であることはありえないことではない」というカントの示唆の方向へ哲学を発展させたといえるのではないだろうか。すなわち、物自体=客観的実在というのは、自我の活動がある不可解な障害に出会って起こる様々な屈折にほかならず、端的にいってしまえば自我そのものであるといえるとしたのである。これは、ヘーゲルが説いた絶対精神の自己運動という発想の原型といえるのではないだろうか。


【3】ヘルバルトは主観的経験の吟味を課題とし,独自の結論をもった
 ヘルバルトの哲学は,理念を原理としないで,主観的経験を批判的に吟味し修整することを課題としている。彼によれば哲学の基礎及び出発点は,事物に関する経験的知識である。彼は懐疑すること,すなわち哲学の素材である経験的諸概念を思考することによって哲学は始まるとしている。
 ヘルバルトによると,形而上学とは経験の把捉性に関する学である。論理的な分析は,経験的諸概念のうちにいろいろな矛盾を見出す。経験的諸概念の修整,それらから矛盾を除去することが思弁に特有な行為である。ここから出発して,ヘルバルトは,実在の本質を,次のように規定する。すなわち,それは絶対に積極的なものであり,絶対に単純で,量の概念によって規定することのできないものである,と。ヘルバルトは,物の根底にある実在を,一つ一つ質を異にする多くの単純な実体,モナドと考えなければならないとしている。
 ヘルバルト心理学の根底には,自己保存説がある。それによれば,感情,思考,意欲は,魂の自己保存における種差にすぎない。それらはいくつかの方面から生じて互いの間で廃棄しあったり促進しあったり変形しあったりする諸関係にすぎないのである。このような諸表象の運動は,力学の法則によって計算することができるとされている。

◆報告者コメント
 ヘルバルトは、カント哲学を踏まえて、人間の認識にとって矛盾は必然性であると捉えたものの、矛盾を不合理なものと考え、それを除去することが哲学(形而上学)の使命だと考えたように思われる。また、ヘルバルトの心理学は、当時の自然科学の考え方をそのまま人間の心に適用しようとしたものであり、現代の心理学につながるような発想であったと考えられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以上の報告レジュメに対して、大きく以下の3点が指摘されました。

 第一は、時代背景の記述について、社会情勢と学問的な動向との繋がりがきちんと指摘されている点は(充分で妥当な説明になっているかどうかは別にして)よかったのではないか、ということです。

 第二は、報告レジュメの形式的な問題として、「報告者コメント」の量的・質的なレベルに不充分さがあるのではないか、ということです(もっとも、今回の範囲は非常に難解であり、纏まったコメントを書くことに重大な困難があったという事情は考慮されるべきですが)。「報告者コメント」はテキストの内容を纏めた部分と同等以上の分量で、テキストの内容を主体的に(自身の学問構築の過程に活かしていくという観点で)どう受けとめるか、踏み込んで論じてもらいたい、ということでした。

 第三は、「【1】ヤコービは批判主義の立場に反定立として信仰哲学の立場を対立させた」の報告者コメントにおいて、ヤコービが信仰を根底に据えた哲学的立場を主張した根拠として、「神の存在を否定することは許されないような社会的認識」の存在が指摘されていることについて、これはあくまでも外的な要因であり、ヤコービの信仰哲学が成立するための内的な要因は別に指摘されるべきではないか、ということです。すなわち、ヤコービが「本当は神は存在するとは思えないけど、そう主張することは社会的に許されないから……」と消極的に考えていたわけではなく、積極的に信仰こそ哲学の基礎であるべきと考える何らかの理由があったのではないか、それはカントの善意志とかフィヒテの絶対的自我(これらは理論理性のような限界を持っていません)とかの主張にも通じるものがあるのではないか、という指摘でした。
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 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか