2014年10月06日

夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕(1/3)

目次
(1)『坊っちゃん』――小社会どうしの衝突
(2)『吾輩は猫である』――自分の自分化と自分の他人化
(3)『草枕』――自分を客観視することで感情が落ち着く

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)『坊っちゃん』――小社会どうしの衝突

なぜ夏目漱石の小説を読むのか

 京都弁証法認識論研究会では、この6月より、月に1冊のペースで、夏目漱石の中・長編小説を読んで感想を交流しあう場を設けました。これは、端的には認識論の学びのためですが、もう少し具体的なところに踏み込んで確認しておくと、大きく2つの観点からの取り組みだということになります。

 第一は、漱石が小説のなかで描いている諸々の登場人物の心の動きから学ぶ、ということです。このような課題設定は、南郷継正先生が次のように説かれていることに関わります。

「人間とはなにかをわかるための社会と歴史の学びは、学校の教科書とか副読本とか参考書とかを合わせた程度では、大きく不足しているのです。何が不足するのかといえば時代の心、社会の心、人の心、そのための学びとしては三つあります。
 一つは、歴史を題材とした歴史小説です。……
 二つは、人間の心を主題にしている小説です。船橋聖一や丹羽文雄や夏目漱石などの小説です。……
 三つは、社会派とされている推理小説です。……」(南郷継正『看護学科・心理学科学生への“夢”講義(1)』現代社、p.106)


 端的には、人間とは何かをわかる(あらゆる学問にとって必須のことです!)ためには人間の心を学ぶ必要がある、その人間の心の学びために漱石の小説を読むのだ、ということです。

 第二は、漱石という個人の認識の発展過程(成長過程)を辿る、ということです。このような課題設定は、我が研究会の指導者より、かつて次のように説かれたことに関わります。

「個人全集を一回読む、というのをぜひやってほしい。これができるのは若いうちだけである。個人全集を読めば、一人の人間の認識が具体的にどういうふうに変わっていったかがよく分かる。そうすると、人間理解などに非常に役立つ」


 これを踏まえて、漱石の中・長編小説を(だいたい)書かれた順に読み進めていくことにより、漱石という個人の認識の具体的な発展過程を辿ってみよう、というわけです。

 以上のように、漱石が描く小説中の諸人物の心に着目すると同時に、それらを書いている漱石自身の心(認識の発展)にも着目していく、という二重の観点から、我々は、夏目漱石の中・長編小説を読んで感想を交流しあう(認識論的な観点から検討を行う)場を設けたのでした。

 これから、3ヶ月ないしは4ヶ月に1回程度、すなわち、漱石の小説3〜4本ずつを纏めて、我々がどのような議論を行ったのか、簡単に報告をしていくことにします。なお、この漱石読書会は、認識論的な観点から各自が興味深いと感じた点をざっくばらんに語り合う、といった趣のものであり、漱石の生涯と作品について、全面的かつ学問的な突っ込んだ検討を行う、といったものにはなっていません。以下の纏めは、あくまでも各自の感想を何となく整序したレベルのものであり、学問的な体系性には欠けるものであることをご容赦下さい(夏目漱石の生涯と作品についての全面的・学問的な検討については、この読書会を土台としつつ、漱石没後100年となる2016年のうちに何らかの成果を発表できることを目指して、取り組んでいきたいと考えています)。


『坊っちゃん』は小社会どうしの衝突(新時代と旧時代との衝突)を描いている

 第1回として取り上げた作品は『坊っちゃん』(1906〔明治39〕年4月、俳句雑誌『ホトトギス』に掲載)です。厳密には、『吾輩は猫である』の方が先に書き始められているのですが(『坊っちゃん』は『吾輩は猫である』連載中に並行して書かれた作品)、分量面における取っ付き安さを考慮して、読書会としては『坊っちゃん』を先行させることにしました。

 この『坊っちゃん』は、漱石作品のなかでもとりわけ広く親しまれているものですから、改めて詳しくその内容を紹介する必要もないでしょう。ごく簡単に纏めるならば、「坊っちゃん」と呼ばれる主人公が四国の中学校へ新任の数学教師として赴任し、生徒たちや教頭などと衝突して様々な騒動を巻き起こす、といったものです。

 『坊っちゃん』を取り上げた読書会においては、「坊っちゃん」が背負っている(育てられてきた)東京(=江戸)の小社会と、彼の赴任先である四国の田舎の小社会との衝突が、この作品を貫く対立軸となっていることが議論によって深められました(*)。端的には、「坊っちゃん」と四国の田舎の人々とでは、育てられてきた小社会が大きく異なることに規定されて、お互いの認識が決定的に異なっているだけに、「坊っちゃん」は四国の田舎の人々に全くといっていいほど二重化できていないのだ、ということでした(**)。

 このことに関わっては、四国の田舎に明治以降の新しい日本のあり方が、東京(=江戸)に古き良き時代(?)の日本のあり方が象徴されているのではないか、との意見も出されました。『坊っちゃん』とは、端的にいえば、無鉄砲な「江戸っ子」坊っちゃんが「会津っぽ」山嵐とともに、四国の田舎にのさばる「ハイカラ野郎」の赤シャツを打擲する物語です。漱石は、坊っちゃんの活躍を通じて、金力・権力が物をいう社会のあり方、形式ばかりに拘って中味を等閑にする風潮を厳しく批判しているわけです。しかし、その批判は、 無鉄砲な主人公が癇癪を爆発させるという形でなされるに過ぎず、現実をいささかも変革するものとはなっていません。山嵐と坊っちゃんが中学校を去った後は、相も変わらず赤シャツなどがのさばり続けたものと考えられるのです。ここから、新時代を批判する論理を求めあぐねて、結局、旧時代の倫理観に求めるしかなかった漱石の苦しみが読み取れるのではないか、との感想も出されました。

 また、第1章において、「おやじは些ともおれを可愛がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた」と、親から冷たくあしらわれていたことが強調される一方で、「親譲り」がしきりに強調されていることに注目する意見も出されました。ここには、親との繋がりを強く求めつつ満たされなかった(それだけに繋がりを強調せずにはいられない)「坊っちゃん」の痛切な思いが表現されているのではないか、ということです。さらに、「母は兄ばかり贔屓にしていた」とあることからして、主人公は「母」の本当の息子ではなかったのだという推測も成り立ちそうだ、という意見も出されました。ここに関わっては、丸谷才一氏が、清(「坊っちゃん」の家の下女)こそ「坊っちゃん」の本当の母親だ、という説を唱えていたらしいことも紹介されました。丸谷説の真偽はともかく、清に漱石の理想の母親像が投影されていることは間違いないのではないか、との感想も出されました。いずれにせよ、「坊っちゃん」の家庭環境の描写には、漱石自身の複雑な生い立ち、両親への思いが色濃く反映されていることは間違いないだろう、ということになりました。

 なお、漱石による登場人物の心理描写のうち、認識論的に興味深いところとして、第8章における以下のような記述が指摘されました。

「それ以来山嵐はおれと口を利かない。机の上へ返した一銭五厘はいまだに机の上に乗っている。ほこりだらけになって乗っている。おれは無論手が出せない、山嵐は決して持って帰らない。この一銭五厘が二人の間の墻壁になって、おれは話そうと思っても話せない、山嵐は頑として黙まってる。おれと山嵐には一銭五厘が祟った。しまいには学校へ出て一銭五厘を見るのが苦になった。」


これは端的にいえば、「坊っちゃん」が机の上の「一銭五厘」に山嵐との気まずい関係を重ねて見ているうちに、その問いかけが固定化(量質転化)してしまい、しまいには「一銭五厘」を見ると山嵐との気まずい関係についての像が喚起されてしまう、という情況にまで至った、ということにほかなりません。「文芸の哲学的基礎」(1907年の講演)などからは、漱石がヒュームの因果律批判から強い影響を受けていたことが窺えますが、このあたりの記述は、ヒュームの観念連合論を踏まえたものといえるかもしれない、との指摘がなされました。

(*)この小社会について、南郷継正先生は以下のように説かれています。

「人間は社会的な存在です。つまり、社会的な関係の中で生活(生存)しています。ということは、人間誰しもが、その社会(環境)からの反映でもって、育ってくることになるからです。つまり、その社会(環境)が五感覚器官を通して脳に反映され、かつ像を形成し(形成され)ます。ですから、私たちの認識は誰のものでも必ず社会(環境)を反映していますし、反映した(反映された)像しか(当初は)原型として存在しません……社会とはこのばあい、みなさんが生活している(生活できている)範囲の身近な社会、つまり小社会のことです。」(南郷継正『看護学科・心理学科学生への“夢”講義(4)』現代社、p.111-112)


(**)このことに着目した小説として、小林信彦『うらなり』(文春文庫)があります。これは『坊っちゃん』の登場人物の1人「うらなり」(古賀)を語り手とした小説であり、あの事件(とそれ以降の彼自身の人生)を「うらなり」の視点からみればどうなるのかを描いたものです。同一の出来事(対象)が、各人が背負っている小社会が異なるに応じて、全く異なって反映してくることが浮き彫りにされており、非常に興味深いものがあります。
posted by kyoto.dialectic at 05:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
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 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
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 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う