2014年09月15日

アダム・スミス「外部感覚論」を読む(2/5)

(2)スミスによる感覚の二大別――外部の物体の存在を示唆するか否か

 本稿は、アダム・スミスの「外部感覚論」における議論の流れを辿りながら、スミスが如何にしてイギリス経験論のぶつかっていた壁を突破する可能性を掴んでいくことになったのか、検討してみることを目的としたものです。

 前回に紹介したとおり、「外部感覚論」は、形式からいえば、5つの感覚(触覚、味覚、臭覚、聴覚、視覚)を順次検討していくという構成になっています。その冒頭に来るのが、触覚についての議論です。触覚が如何なる感覚かということについて、スミスは以下のように述べています。

「触覚の諸対象は常に、それらを知覚する身体の特定の部分を圧迫するもの、あるいは抗するものとして現われる。私が手をテーブルに置けば、テーブルは私の手を圧迫し、その一層の運動に抵抗する。圧迫や抵抗は必然的に、圧迫し抵抗する事物が外部的なものであることを想定させる。それゆえ、私はテーブルを、私の手の感受作用(affection)としてだけではなく、私の手に対して完全に外部的で独立している、あるものとして感じるのである。」


 このようにスミスは、触覚は器官への圧迫あるいは抵抗による感覚(sense on the organ)であり、必然的に、我々の外部に、我々から独立した物体が存在していることを明示するものである、としているわけです(*)。

 スミスは、この抵抗という力能もしくは性質が固性(Solidity)と呼ばれ、これを持つ事物が固体(Solid Body)と呼ばれていること、また、固体は我々に対して全く外部的なあるモノだと感じられ、必然的に我々から全く独立したモノだと考えられるから、それは実体(Substance)、すなわち、それ自体で存在し他のどの事物からも独立した事物であるとみなされてきたことを説明しています。その上で、この固性的実体に必然的に伴う性質として、延長(空間的な拡がり)、可分割性、形、可動性(運動や静止の可能性)の4つを確認するのです。スミスは言及していませんが、これらはロックなどによって「一次性質」と呼ばれたものとほぼ重なります(例えば、ロック『人間知性論(一)』岩波文庫、p.187)。さらにスミスは、古代ギリシャ以来、抵抗する実体が硬いか軟らいか、流動的であるか固定的であるか、圧縮することが可能であるか不可能であるかに関して、様々な説明が試みられてきたことを紹介しています(こうした歴史を通じて、水や空気なども「抵抗する実体」であることが認められてきたのでした)。そして、これらの問題について如何なる説明が採用されようとも、その実体なるものが我々の器官から完全に独立した存在であるということについて、我々の感覚の明確さと確実性がいささかも影響されることはないのだ、と力強く断言するのです。

 スミスは、器官の圧迫による感覚としての触覚に対して、熱さ冷たさ(これは触覚と同じ身体部分で感知されるにもかかわらず)、味、におい、音の4つの感覚作用(sensation)について、これらは器官を圧迫するものではなく、あくまでも器官の内部に存在する感覚(sense in the organ)であるから、外部の物体の存在を直接に示唆するものではない、としています。熱さ冷たさの感覚作用は皮膚の内部にあるものとして、味の感覚作用は口蓋の内部にあるものとして、においの感覚作用は鼻腔の内部にあるものとして、音の感覚作用は耳の内部にあるものとしてしか感じられないのですから、それらの感覚作用自体としては、器官から独立した外部的なものを示唆しえないのだ、ということになるわけです。しかしスミスは、このように説明した後でただちに、我々は間もなく経験から、これらの感覚作用は通常何らかの外的物体によって引き起こされるのだということを知るようになる、と付け加えています。例えば、花がなくなると匂いの感覚作用が消え去り、花が再び現れると匂いの感覚作用が復活する、という経験を繰り返すことによって、花という外的物体のある力能によって匂いの感覚作用が引き起こされていることが知られるようになるわけです(**)。

 スミスは、熱さ冷たさ、味、におい、音という4種類の感覚作用――これらが哲学者によって「二次性質」と称されてきたことが言及されています――を総括して、それらが、外部の固性的諸実体に必然的に伴う諸性質(延長、形、可動性、可分割性)のいずれも持ちえないことを確認しています。しかし、「熱い」とか「甘い」とかいった感覚作用が、空間的な拡がりとか何らかの形とかいった性質を全く持ちえないことなど、当たり前のことでしかありませんから、スミスがなぜこんな分かりきったことをわざわざ確認しているのか、疑問に思われるかもしれません。これは、これら4種類の感覚作用と固性的諸実体(延長、形、可動性、可分割性といった性質しか持っていないように思われるもの)との間には如何なる直接的な結びつきもありえないのだ、ということを駄目押し的に強調する意図があってのことだと考えられます。

 器官を圧迫する感覚としての触覚は、固性的諸実体に必然的に伴う諸性質(延長、形、可動性、可分割性)を直接に示すものです。したがって、触覚における圧迫という感覚は、ある意味で、固性的諸実体の性質と似ているともいえるものであり、極端にいえば、固性的実体の性質がこうだから触覚もこうなのだ、例えば、「この角砂糖は四角いから手で触ってみれば四角く感じるのだ」で話が済むわけです。しかし、いわゆる二次性質に関わる4種類の感覚作用については、そういうわけにはいきません。「この角砂糖は四角いから味わってみれば甘く感じるのだ」などとはいえないのです(***)。ここに、延長、形、可動性、可分割性といった性質しか持っていないように思われる固性的諸実体が、それ自身とは似ても似つかぬ感覚作用を器官の内部に引き起こしうるのは何故なのか、という問題が提起されることになります。

 この問題に関わってスミスは、哲学者たちがこれまで、外部の固性的実体がこれらの感覚作用を直接に引き起こすのではなく、いくつかの媒介的要因を通じて引き起こすのだと考えようとしてきたことを説明しています(これは、スミスが「天文学史」で論じた「中間的諸事象の鎖」の想定ということにほかなりません)。例えば、味覚の場合、刺激物体から出てくるある種の液体が口蓋の気孔内に入り、その器官の敏感な繊維にある種の振動を引き起こすことで、味の感覚作用を生み出すのだと想定されてきました。また、臭覚の場合は、発臭物体から臭気(Effluvia)と呼ばれる微粒子が呼吸によって鼻孔に吸い込まれ、そこでにおいの感覚作用を生じさせると考えられてきたのですし、聴覚の場合には、発音物体の振動が周囲の空気にそれに対応した波動を引き起こし、これが聴覚器官に到達して音の感覚作用を生じさせると考えられてきたのでした。これらの説明を概観した上で、スミスは総括的に以下のように述べています。

「哲学者たちは、以上のような媒介的諸要因によって、我々の器官内の諸感覚作用とそれらを引き起こす遠くの諸物体とを結合しようと努めてきた。これらの媒介的諸要因が、我々の諸器官に引き起こすと想定される様々な運動と振動を通じて、どのようにして、如何なる種類の振動や運動とも少しの類似性も持っていないような感覚作用をそこに生み出すのか、説明しようと企てた哲学者は、いまだかつてなかった。」


 これをもう少し詳しくいえば、次のようになります。哲学者たちは、延長、形、可動性、可分割性という性質しか持っていない(と思われる)固性的実体が、それと似ても似つかない4つの感覚作用(いわゆる二次性質に関わる感覚作用)を生み出すのはどのようにしてか、という難問を何とかして解こうと、固性的実体から発する微小粒子や空気の振動が器官内部の神経繊維に何らかの振動を引き起こすのだ、と説明するところにまでは到達しました。しかし、そこから先の過程、すなわち、それら神経繊維の運動(これはまだ固性的実体に固有な性質)と感覚作用(固性と共通する性質を何ら持ちえないもの)との繋がりを示すことはついにできなかったのだ、ということです。

 象徴的な例として、ロックによる説明をみておくことにしましょう。ロックは、スミレの匂いは感知できないほど小さなスミレの分子(これ自体は固性的実体そのもの)が感覚器官に衝撃を与えることによって伝えられるのだ、と説明した上で、以下のように述べています。

「神はこのような〔すみれの……匂いの〕観念を、これとすこしも相似しない〔すみれの分子の衝撃という〕そうした運動に結びつけたもうたと想念することは、神が痛みの観念を、この観念にすこしも類似しない、肉を裂く鋼鉄片の運動に結びつけたもうた想念することと同じように、できなくはないのである。」(ロック『人間知性論(一)』岩波文庫、p.190)


 このようにロックは、最後の最後のところで神を持ち出すことによって、この難問を強引に片付けようとしているわけです。

 もちろん、スミスもまたこの難問を解決しているわけではありませんし、そもそも解決しようのないものだと捉えている節もあるのですが、スミスはこの難問の存在を指摘することによって、いわゆる二次性質に関わる感覚作用と固性的諸実体(延長、形、可動性、可分割性といった性質しか持っていないように思われるもの)とが全く異質なものであることを強調したかったのだと考えられます。これは、残された課題である視覚の分析――視覚もまた色彩という二次性質に関わるものにほかなりません!――へと進むための周到な準備作業であったともいえるのです。それが如何なることなのか、次回、説明することにしましょう。

(*)ここで興味深いのは、スミスが、我々がテーブルのような単なる物体に手を置いてみる場合と、他人や他の動物の身体に手を置いてみる場合とを区別していることです。我々は、テーブルが我々の手による圧迫を感じるなどとは思っていないので、取り立てて配慮してやるべき対象であるとは感じません。これに対して、他人や他の動物が我々の身体による圧迫を感じるであろうことを知っているので、それなりの配慮をしてやる必要を感じる(スミスは fellow-feeling という語でこれを表現しています)、というのです。このあたりに、『道徳感情論』で展開される共感論と「外部感覚論」における触覚論との繋がりをみてとることが出来るでしょう。

(**)この問題に関連してスミスは、器官の内部の感覚作用とそれを生み出す外部の物体の力能とが同一の言葉によって表現されるという事情について、例えば「火が熱い」などと表現されるという事情について、検討しています。スミスは、誰かが「火が熱い」と発言したとしても、それは決して「火のなかに熱さの感覚作用がある」という意味で発言したわけではないことは明白である、といいます。にもかかわらず、一部の哲学者たちは、こうした言葉の曖昧さにつけ込んで、火のなかに熱さの感覚作用はないのだということを仰々しく証明して悦に入っているのだ、とスミスは非難しています。名指しこそされてはいませんが、これはバークリのことにほかなりません(バークリ『ハイラスとフィロナスの三つの対話』岩波文庫、pp.31-41)。「外部感覚論」の後の部分では、バークリ『視覚新論』への賞賛が明示的になされているのですが、ここでこのような辛辣なバークリ批判が暗示的になされていることも見逃してはならないでしょう。
 なお、sense が抽象的に感覚を指すのに対して、sensation は感覚器官が実際に何らかの刺激を受けて作用している内容を具体的に指すものと思われます。このため、本稿においては、sensation を「感覚作用」と訳出しておきます。ちなみに、大槻春彦訳の岩波文庫版ロック『人間知性論』では、sense が感官、sensation が感覚と訳出されています。ロックのいわゆる経験の2種類、すなわち、感覚と内省といったときの感覚は sensation です。

(***)ロックは「物体の一次性質の観念は物体の類似物であり、その範型は物体自身に実在するが、それら二次性質によって私たちのうちに産みだされる観念は、物体に少しも類似しない」と述べています(『人間知性論(一)』岩波文庫、p.191)。
posted by kyoto.dialectic at 05:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

>圧迫や抵抗は必然的に、圧迫し抵抗する事物が外部的なものであることを想定させる。

>スミスは、器官の圧迫による感覚としての触覚に対して、熱さ冷たさ(これは触覚と同じ身体部分で感知されるにもかかわらず)、味、におい、音の4つの感覚作用(sensation)について、これらは器官を圧迫するものではなく、あくまでも器官の内部に存在する感覚(sense in the organ)であるから、外部の物体の存在を直接に示唆するものではない、としています。

スミスの感覚器官の分析についての記述、とても勉強になります。
ありがとうございます。次回の「視覚」が楽しみです ♪♪♪
Posted by 自由びと at 2014年09月15日 08:11
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 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言