2014年09月04日

2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章(1/10)

目次

(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント
(2)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章要約@
(3)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章要約A
(4)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章要約B
(5)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:カントの批判哲学の全体像をどのように捉えるか
(8)論点2:カントの打ち立てた二律背反の哲学史的意義をどのように捉えるか
(9)論点3:カントからヘーゲルへの発展についてどのように考えるか
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者レジュメおよびそれに対しての他メンバーからのコメント

 本年、わが京都弁証法認識論研究会は、ヘーゲル『歴史哲学』とセットで理解すべきヘーゲル『哲学史』を理解するための準備段階として、南郷継正先生も著書で推薦されているシュヴェーグラー『西洋哲学史』(岩波文庫)を一年かけて読破し、その内容を主体的に掴み取ることを例会の目標として掲げています。

 8月例会では、「第39章 カント」および「第40章 カント以後の哲学への移り行き」を扱いました。ここでは、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』といういわゆる三批判書を中心にカント哲学の全体像が概観された上で、カント哲学が後に続く哲学者たちに如何なる影響を及ぼすことになったのかが、説かれていました。

 今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱ったテキストの要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメ、およびそのレジュメに対してなされた他メンバーからのコメントを紹介することにしましょう。

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【報告レジュメ】シュヴェーグラー『西洋哲学史』(第39章、第40章)

時代背景―17,18世紀のドイツ(プロイセン)
 カントが終生過ごしたケーニヒスベルクはプロイセンによって支配された土地であった。宗教戦争である三十年戦争の後、ウェストファリア条約によってドイツ内の各領邦はそれぞれが主権を持つこととなった。その1つとして大きな勢力を持っていたのがプロイセンである。
 プロイセンの強国としての基礎を築いたのはフリードリヒ・ヴィルヘルム1世(在位1713〜1740)である。彼は王権の強化を目指し、重商主義政策によって国家の充実を図り、官僚制度を整備し、強力な軍隊の養成に努力した。
 その子であるフリードリヒ2世(フリードリヒ大王)(1740〜86)は君主の利益よりも人民の幸福を求める政治思想を掲げ、諸政策を行った。司法に関わって法の下の平等や刑罰の人道化、宗教政策については信仰の自由を認め、文化政策としてベルリン科学アカデミーを改革して学問の振興を図るなどした。しかし、その中心に据えられていたのはあくまでも富国強兵であり、オーストリア継承戦争に乗じてシュレジエンを獲得し、ドイツ統一の中心としての基礎を確立した。

1.カント哲学の全体像
 カントは自らの哲学を心理学的に分類している。人間のあらゆる心的能力は認識、感情、意欲に還元される。認識能力が認識作用そのものの諸原理を含んでいるかぎり、それは理論的理性であり、欲求と行為の諸原理を含んでいるかぎり、それは実践的理性であり、最後にそれが快不快の感情の原理を含んでいるかぎり、判断力の能力である。かくして、カントの哲学は純粋理論理性の批判、実践理性の批判、判断力の批判にわかれる。

2.われわれは世界をどうやって捉えるか
 あらゆる認識の要因である感性と悟性に関わって、われわれの感性または直観能力のア・プリオリな所有物を研究するのが先験的感性論であり、われわれの悟性のア・プリオリな所有物を研究するのが先験的分析論である。
 われわれの感性的認識のア・プリオリな原理は、空間と時間である。空間および時間は外官および内官の最高の形式である。われわれは物をありのままに認識するのではなくて、時間と空間という主観的媒質を通して物がわれわれに現象する姿を認識するにすぎないのである。一方、悟性の根本概念(カテゴリー)は量・質・関係・様相である。カテゴリーの感性的な直観への適用を媒介するものが空間と時間(特に時間)である。なぜなら時間は先験的であり、かつ現象はすべて時間のうちにのみ表象されるからである。
 これらは経験しうる対象としての物にのみ適用しうるのであって、物自体に適用することは許されない。悟性の概念を無制約的なものの認識に適用することによって、先験的仮象が生まれる。理性の思弁的理念には心理学的理念・宇宙論的理念・神学的理念の3つがある。心理学的理念においては純粋理性の誤謬推理を犯し、宇宙論的理念においては、純粋理性の二律背反へと追いやられ、神学的理念においては空虚な純粋理性の理想のうちをさまよう。

<報告者コメント>
 カントは物自体と現象とにわけて、物自体は認識することができず、われわれが見ているのは現象だと主張した。これは合宿や例会で扱った「人間は主観的世界の中に生きている」ということに相当するだろう。我々が外界のある対象を見ているというとき、その対象を反映させて、アタマの中にその対象の像を描いている状態である。このとき、見ているのは外界の対象そのものではなく、あくまでもアタマの中に描かれた対象の像である。つまり、我々にとっては、その対象の像こそが客観的な現実なのである。したがって、その対象の像の成立こそがその人間にとっての対象の成立であり、まさしくカントの言うとおりだということになるだろう。
 このように人間が見ているのは客観的な対象ではなく、アタマの中の像だと指摘した点がコペルニクス的展開であり、認識論的に重要な意義だと言えるだろう。

3.われわれは世界にどうやって働きかけるか
 実践理性の批判は、いかにして意志を客体にかんしてア・プリオリに決定しうるかを研究しなければならない。人間の行為は感性的動機からだけでなく、純粋な理性による意志の決定も存在する。これは道徳律の事実によって確実である。道徳律とは、理性が自分自身によって意志に与える法則にほかならない。道徳律は定言的命令であって、たんに経験的な諸目的に役だつ規則を与える仮定的命令ではなく、それはすべての理性的意志を拘束する普遍的な法則である。ここから意志の自由という理念に完全な確実性と真理を与えられる。道徳律の命令とは「汝の意志の格率(行為の規則)を一般的にまもられる法則として考えるばあい、矛盾が生じないように行為せよ」である。道徳律への尊敬が意志を道徳律に従わせることになる。
 最高善は最高の徳に最高の幸福が結合されるときにのみ完全である。この2つの概念は異種的であるから総合的にのみ結合が生じうるが、因果関係として連関していない。カントはこの二律背反の批判的な解決を感性界と叡智界との区別に見出し、感性界においては徳と幸福は一致しないが、超感覚的な世界では徳と幸福との争いは存在しないとした。最高の徳の実現の要求は魂の不死を、最高の幸福の実現の要求は神の存在を要請する。このように、実践理性からは自由の理念と同じように、不死の理念と神の理念とが生まれるのである。カントはこうした道徳の上に宗教がうち立てられると考えた。

<報告者コメント>
 カントは意志を道徳律の命令に従わせなければならないと主張している。この道徳律の命令とは、アダム・スミスで言えば公平な観察者であり、ヘルバルトで言えば美的判断に相当するものだと言えるだろう。つまり、そうした絶対的なものに意志を従わせることこそが必要だと論じている点で共通していると言えるだろう。
 さらに、カントが言う道徳律への尊敬の念とは、(アダム・スミスが言うところの)他者に尊敬されるに値する人間になりたいという思いだと言えるだろう。なお、『小学校学習指導要領解説 道徳編』では、「人間は,本来,人間としてよりよく生きたいという願いをもっている」と解説されている。この「よりよく生きたいという願い」こそ、道徳律への尊敬の念に他ならないだろう。
 また、中世の道徳との関係で興味深いのは、カントが適法性と道徳性を区別している点である。カントは、感性的欲求によって道徳的な行為をした場合は適法性があるだけであり、道徳律そのもののために道徳的な行為をした場合は道徳性があるとしている。つまり前者は道徳律以外の目的(要するに何らかの行動の結果)を描いているということであり、後者は道徳律そのものを目的に描いているということである。中世の道徳とは、結局のところ、神の救済を求めるものであったから、道徳そのものではなく神の救済という別の目的(結果)をアタマの中に描いていたと言えるのではないか。つまり、カントの言うところの適法性に相当するのではないかと思われる。そこから時代の発展とともに、適法性と区別される道徳性というものをカントは打ち出したと言えるのではないか。なお、個体発生においても、「結果を重視する見方から動機をも重視する見方へ」(『小学校学習指導要領解説 道徳編』)と発展するとされている。この辺りも個体発生と系統発生がパラレルな印象を受けて、非常に興味深い。

4.2つの世界をどう統一するか
 理論的理性は世界を自然法則にしたがって把握することを教え、実践理性は、すべてが自由によって規定されている倫理の世界をわれわれに開いた。判断力は両者の統一の根拠の概念を掲げることで、自然の国と自由の国との間の深淵を埋める。判断力は特殊を普遍のもとに含まれているものとして思考する能力であるから、それは自然の経験的多様性を、1つの超感的、先験的な原理へ関係させるものである。目的こそ超感性的な統一であるから、判断力の対象は自然の合目的性である。しかも合目的性は快と結びついているから、判断力が快不快の感情の諸法則を含んでいるということも説明される。
 自然の合目的性は、そう思われる場合と、客観的にそう思われる場合とがありうる。前者の主観的な判断力は美的判断力と名づけられる。後者の客観的な目的を判定する能力としての判断力は、目的論的判断力と呼ばれる。美的判断力の分析論は、美の分析論と崇高の分析論に分かれる。一方、目的論的判断力の分析論は客観的合目的性を外的合目的性と内的合目的性にわかれる。
 われわれは、自然そのものに内的な合目的性があるかどうかは決定せず、ただわれわれの判断力が自然の目的にかなったものと見なさざるをえないというだけである。

5.カント以後の哲学
 カント哲学に進歩をもたらしたのはフィヒテとヘルバルトの2人だけである。カントの批判主義の反対者たちのうちでは、ヤコービのみが哲学上重要である。ヤコービは、カントが理論的確実性を与えられなかった神、自由、不死という三つの理念の疑いを取り除くために、批判主義の立場に信仰哲学の立場を対立させた。フィヒテは実践理性の優位を強調することによって、カントの二元論をとりのぞいた。ヘルバルトは主観的経験を批判的に研究し加工することを課題としている点のみ、カントの立脚点と共通している。

<報告者コメント>
 カントの判断力批判は、カント自身が2つに分けてしまった自然の国と自由の国を統一しようとする試みであった。しかし、その統一はカントによっては十分になされずに、後の哲学の課題となり、これを果たしたのがヘーゲルだという流れになるのだろう。
 古代ギリシャにおいて、プラトンも世界をイデア界と現実界にわけて説いたが、両者を統一することはできず、それが課題として残された。イデアを現実の個物に内在するものとして両者を統一したのがアリストテレスであったが、カントからヘーゲルへの流れはこのような古代ギリシャ哲学の発展過程と非常に類似していると言えるだろう。

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 以上の報告レジュメに対して、大きく以下の3点が指摘されました。

 第一は、時代背景の記述がいささか平板すぎるのではないか、というものです。もう少し詳しくいえば、あくまでもカント哲学を登場させた社会的環境は如何なるものであったのか、そこから如何なる必然性を持ってカント哲学が登場してきたのか、という問いかけが必要であるはずなのに、そうしたものが感じられない、というものでした。

 第二は、「2.われわれは世界をどうやって捉えるか」の報告者コメントにおいて、対象の成立についてのカントの主張に何らの留保もつけることなく「まさしくカントの言うとおり」としてしまうのは、唯物論の立場からすれば問題ではないのか、というものです。唯物論の立場からすれば、対象はもともと諸々の性質を備えているのであって、対象に備わっている諸々の性質は全て我々の認識が与えたものとするカントの主張は受け入れられません。そのあたりを丁寧に踏まえて、カントの主張の是とすべき部分と非とすべき部分を分けておく必要があるのではないか、という提起でした。

 第三は、「3.われわれは世界にどうやって働きかけるか」の報告者コメントにおいて、カントのいわゆる「道徳律の命令」をアダム・スミスのいわゆる「公平な観察者」と並べ、カントのいわゆる「道徳律への尊敬の念」をアダム・スミスのいわゆる「他者に尊敬されるに値する人間になりたいという思い」と並べるのはおかしいのではないか、というものです。カントの「道徳律の命令」に相当するのはスミスにおいては「公平な観察者からの命令」であり、カントの「道徳律への尊敬の念」に相当するのは、スミスにおいては「公平な観察者からの命令が絶対的な義務としてみなされるようになること」ではないのか、との指摘でした。
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 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編